本蓮寺は龍口寺輪番八ヵ寺の一つで、龍口寺、常立寺と共に藤沢市に位置する寺院である。創建はかなり古く、歴史を持つ寺院である。鎌倉市の杉本寺は鎌倉市で一番古い寺院とされ天平六年(734)の創建であるが、本蓮寺は推古天皇三年(595)、高句麗から来た義玄により開山と伝えられ、義玄は聖徳太子の師、恵慈の弟子である。その後、真言密教系寺院となり、元暦4元年(1184)11月、源頼朝により再建され「頼朝公駒止の松」と伝えられる切り株が現存している。『吾妻鏡』文治元年(1185)八月三十日条で頼朝が平治の乱で亡くなった父義朝の遺骨の返却を後白河院に奏聞し、十二日に刑の執行官に調査を命じ、探し出された。大江公朝が勅使として三十日到着し、義朝の遺骨が後白河院から届けられ、頼朝は固瀬川辺りで勅使を迎え遺骨を受け取ったと記載されている。
本蓮寺において供養し、その後勝長寿院にて納骨されたと言われる。文永八年(1271)、龍ノ口法難を逃れた際、本蓮寺で休息されたことから日蓮上人像が祀られている。もとは密教寺院だったが嘉元年間(1303~1306)の頃、日秀が日蓮宗に改宗し、慶安二年(1649)に江戸幕府より朱印地七国を賜った。
山号寺号:龍口山本蓮寺。宗派:日蓮宗。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)。本尊三宝諸尊。創建推古天皇三年(595)。開基:義玄。
本堂、山門は昭和六年(1931)に再建、本堂裏稲荷山中腹にある多宝塔は平成元年(1989)建立。総門は江戸時代、仁王門で、現在の総門は平成二十年(2008)に再建された。西行戻り松は平成二十四年(2012)十二月、大門脇に復興。『新編相模風土記稿』に「本蓮寺の門外大路の傍に在り、枝葉西方を指す、往昔、西行この地に来たり、都の方を見帰り、この枝を取って西方に押しまげ向けたり、故にこの名ありという」と記載されている。
宗尊親王歌碑が境内に建立されている。宗尊親王は鎌倉幕府六代将軍で謀反の疑いで五代執権北条時頼に解任追放され、帰京の途、本蓮寺に参籠、歌会にて「帰り来て また見ん事も 固瀬川 濁れる水の すまぬ世なれば」詠んでいる。
片瀬の町の中にある寺院としては、山門は唐門で境内は広く、よく整備され、多宝塔を持つ独特な寺風を供えておられる。また季節に応じて彩を楽しめる寺院である。
本蓮寺(ほんれんじ) 藤沢市片瀬3-4-41 ☏0466-22-9039