龍口寺が延元二年(1337)創建してから明治十九年(1886)まで住職は置かれず、龍口寺輪番八ヵ寺の輪番で行われていた。八ヵ寺の中では龍口寺よりも古い寺院はあるが輪番八ヵ寺としては最も新しい寺院が常立寺である。所在は龍口寺と同じ藤沢市であり、徒歩で五分ほどのところにある。鎌倉散策で龍口寺輪番八ヵ寺を取り上げて来たので常立寺も記載させて頂く。
山号寺号:龍口山常立寺。宗派:日蓮宗。創建:享禄五年(1532)。本尊:一塔両尊(三宝尊)。開山:日豪。開基:鈴木隼人正。中興年:弘花二年(1845)。中興:日教。寺宝:鎌倉時代板碑数点、法華三十番神。
枝垂れ梅の名所で春先の二月、三月は白梅、紅梅の枝垂れ梅は見事であり、また北条時宗の命により処刑された杜世忠ら元の国司の塚があることで知られている古刹である。この龍口は罪人の処刑場があり、日蓮上人の龍口ノ法難で有名だが処刑場は龍口寺入り口西側、埋葬地は常立寺もしくは、すばな通り中央付近西側などの説がある。
元寇の文永の役の翌年、建治元年(1275)四月十五日に長門国室津に上陸した。元の正史、杜世忠ら元の国司五名は高麗国と同様に元への服従を求める国書を携えた。文永の役まで六度使節団を派遣し、七度目の使節団であった。一行は捕らえられ太宰府に送られた後、鎌倉に護送された。文永の役の翌年であり、日本の国情偵察および間諜(スパイ行為)として八代執権時宗により、同年九月二十七日、龍ノ口刑場にて斬首され、この地に葬られた。処刑されたものを弔う為「誰姿森(たがすのもり)」と呼ばれる龍口寺の隣接地に埋葬され。「面影塚」を作り供養塔が建てられ、その地に真言宗の回向院利生寺があったとされ常立寺のもととされている。享禄五年(1532)に妙国産法華寺(現、円融寺)七世日豪により日蓮宗へと改宗し常立寺と改名された。当初法華寺の末寺であったが現六十一年(1698)身延山久遠寺の末寺となる。元使塚は大正十五年(1925)に磯野本精住職により建てられた。また、五名の墓標が残されている。
藤沢市の片瀬にある常立寺と本蓮寺は日蓮宗寺院であるが、腰越の龍ノ口輪番寺と少し寺風が違う寺院に感じられた。常立寺は枝垂れ梅が有名で、よく手入れのされた寺院である。山門をくぐると花を添えられた六地蔵が迎えてくれる。ひっそりとした境内の静けさは錫杖と宝珠を持ったお地蔵さんが優しく微笑んでくれている。そっと手を合わせた。そんな寺院であった。
元使塚
常立寺(じょうりゅうじ) 神奈川県藤沢市片瀬3-14-3 ☏0466(26)1911 拝観時間境内自由 拝観無料