鎌倉散策 本成寺(ほんじょうじ) | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 本成寺は龍口寺輪番八ヵ寺の一つで日蓮の淡路阿闍梨日賢が延慶二年(1309)に開山とされ、もとは本覚寺(鎌倉市大町)の末寺だった。龍口寺が建武四年(1337)建立され、それ以前に、この周辺にあった寺院は本龍寺、勧行寺、妙典寺、法源寺、本蓮寺(藤沢市片瀬)と本成寺である。東漸寺と常立寺(藤沢市片瀬)は 龍口寺が建立されてから龍口寺輪番制に加えられたと推察する。

 明治十九年(1886)までの約五百五十年間、輪番制で住職が変わっていたことに対し日蓮宗の宗教的な輪番維持制度には感服する。輪番制が無くなったのは慶応四年(1868)三月に発せられた「太政官布告(神仏分離令)」と明治三年(1870)に出された詔書「大教宣布」による廃仏毀釈運動による影響があったのではないかと考える。本来、明治政府は神仏分離の政策において神社、寺院の整理を目的とされた。しかし、水戸学においての神仏分離、神道尊重、仏教軽視の風潮が親政府を形成する官僚たちや長年仏教に虐げられたと考える神職等により廃仏毀釈(「廃仏」は仏の廃(破壊)し、「稀釈」釈迦の教えを壊すという意味)の運動が広がり多くの寺院に対し破壊行動もなされた。鎌倉においても鶴岡八幡宮の大塔が破却されている。奈良の興福寺の五重塔(国宝)は当時二十五円で売りに出されている。その中で輪番制の維持は寺院を守るため困難を極めたのではないかと考える。江戸時代初期、あの有名な水戸黄門(徳川光圀)も水戸藩内で光圀指導の下、廃仏が行われ領内のほぼ半分の寺院が廃されている(圭室文雄「水戸藩の撞鐘徴収政策」)。

 本成寺の本堂には本尊三宝祖師と日蓮上人像が祀られ、境内には稲荷明神も祀られている。

山号寺号:龍口山本成寺。宗派:日蓮宗。創建延慶二年(1309)。開山:日賢上人。本尊:三宝祖師。寺宝:本尊、日蓮上人坐像等。

本成寺は地図上では江ノ電、腰越駅北西側の、すぐ近くにあるが住宅が密集しているため携帯マップを使い、江ノ電の線路を渡り境内にたどり着いた。小さな境内は緑に覆われ、脇に稲荷社が祀られている。静寂の中に本堂があり、本尊三宝祖師と日蓮上人像が祀られていた。

 

本成寺(ほんじょうじ) 鎌倉市腰越2-19-9 ☏0467(31)1481 拝観時間特に無、拝観無料