明王院は政所から見て鬼門の方角で、鎌倉の安泰を願った幕府は鬼門除け祈願寺として五代明王を祀った。各明王のお堂があり、そのことから五大堂と呼ばれ、当時は格式の高い寺院であった真言宗泉涌寺派の寺院である。
鎌倉市内で五大尊明王を祀るのは明王院だけである。明王は密教特有の尊格があり、中心的役割を担う五明王は不動を中心に、東に降三世、南に軍荼利、西に大威徳、北に金剛夜叉を組み合わせ、五方位に配置されている明王である(密教は東密:真言宗と台密:天台宗が有り、台密では金剛夜叉が鳥枢沙摩明王になる)。密教の教主、大日如来の化身、あるいは命を受け、怒りの姿ですべての魔障を降伏させると言う尊像として、また仏教を信仰しない者を救済する役割を担い、平安時代より人々の信仰を集めてきた。
江戸時代の寛永年間(1624~44)には火災で焼失し、現在の本堂はその後再建されたものであるが、茅葺屋根の本堂は杉本寺、円覚寺塔頭の仏日庵時宗廟所、龍隠庵、選仏場、正続院、舎利殿、浄智寺方丈、書院、明月院開山堂、覚園寺薬師堂、長寿寺観音堂、海蔵寺庫裡などがあり鐘楼、三門を含めると三十近くになるようだ。本尊は五大明王だが江戸期の火災により焼失、不動明王のみが残されている。
毎月二十八日午後一時より本堂にて護摩法要が行われ誰もが法要を受ける事が出来る。一月二十八日は初不動御縁日として賑わうために一月だけ十時と十三時に行われる。令和二年初不動御縁日を拝観させて頂くために訪れた。前日には関東甲信越での積雪注意がなされており、朝から冷たい雨が降っていた。午後から一層雨が強く、一層荒れ模様になるとの事で、急いで十時に間に合うように出かけた。バスで泉水橋に着いた時、雨は止んでおり、お不動様のご利益と思い、厳粛に法要を受けさせていただいた。雨で寒さの中四十人ほどの参列者であったが、普段は百人を超えるらしい。観音教が七十冊ほど置かれており、住職の他五人の僧と共に教を唱える。修験者の方が、ほら貝を吹かれ、僧侶の太鼓を打つ音が堂内に響く。真言宗の密教による護摩祈祷は、やはり重量感のある祈祷であった。法要が終わり、その際「添え護摩」と言われる細い箸状の護摩木を頂き、焼香の代わりに炎の中に入れて行き、動明王にお参りする。四十五分ほどの法要であったが本殿が明けられている状態の中で寒さが身に染みた。
法要が終わり参列者に甘酒が振る舞われ、少し、肌色掛かった甘酒は今まで頂いた中で一番の美味しさで心にぬくもりを感じた。関西に育った私は京都の東寺の講堂で立体曼荼羅の五大明王をよく拝観させて頂いたが、このような初不動御縁日で護摩法要を受けさせて頂いた事は、貴重な初めての体験であった。境内写真撮影ができないため、写真が少なく申し訳ございません。