大船を出て横須賀線のカーブを過ぎたあたりに、成福寺が見えてくる。成福寺の裏山(亀甲山)の頂に厳島神社が建っており、境内は広く眺望がすばらしい小袋谷の鎮守社である。
本来この場所には成福寺の鬼門除けの八幡社があった場所で、吾妻社は小袋谷公会堂の場所にあったとされ、順年祭祀を行っていたとされている。厳島神社は「相模風土記」に、かつて「弁天さま」と呼ばれ村寺と記され、成福寺の南側の踏切の向こう側にあったとされる。明治六年に村社に列せられ、明治期の神仏分離で仏教の弁財天と市杵島姫命は同一視されている為、弁財天から厳島神社に改名された。本社は広島県の厳島神社である。明治二十二年に横須賀線開通により小袋谷公会堂の所に遷し、吾妻社と並べ奉齊された。関東大震災で倒壊した後、昭和八年(1933)になり吾妻社、弁天社が合祀され現在の地に厳島神社として移された。なかなか変遷された経緯が複雑である。八幡社は応神天皇、吾妻社は橘姫命、厳島神社の祭神は市杵島姫命で現在の祭神も同じである。
祭神:応神天皇、橘姫命、市杵島姫命。 例祭:七月二十二日以降の日曜日。 神事芸能:鎌倉神楽、子供神輿渡御(例祭)。 宝物:石造庚申塔寛文十年(1670)銘)。
鳥居を過ぎたところに船形の庚申塔が有り、上部中央から阿弥陀、両脇に観音、姿勢の種子が刻まれ、阿弥陀三尊の種子をつけた庚申塔では鎌倉で最も古いものとされ、市指定有形民俗資料とされている(寛文十年(1670)銘)。
この日の天気は良く、私の棲む山崎の山並みの眺望がすばらしかった。しばらくの間、私の住居を探していた。