鎌倉散策 啓運治(けいうんじ) | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 水道橋バス停近くの民家に挟まれた路地に「南無妙法蓮華経」の題目碑があり、参道と気が付く。奥に進むと門石柱の向こうに、寂れた小さな寺院があり、ここが松光山啓運寺である。現在は無住の為、寂れた様相を示しているが、日蓮宗寺院としては非常に価値を有する寺院であると思われるが、手入れはあまりされていない状況である。この寺院は啓運日澄(にっちょう)上人(1441-1510)が文明十五年(1483)に開かれたた寺院であり、そのことから寺名が啓運寺とされた。日澄上人は妙法寺の住職であった僧で、文亀三年(1503)に五十五巻からなる『啓運抄』と言う法華経の研究所を出し、学僧として知られていた。

日澄上人没後、明治期まで長勝寺の住職が住持を兼任し、妙法寺と寺号を交換したと言う。

宗派:日蓮宗。 山号寺号:松光山啓運寺。 創建:文明十五年(1483)。 開山:啓運日澄上人。本尊:三宝祖師。 寺宝:本尊、日蓮上人読経造(江戸時代作)等。

 
境内には海難を防ぐことから漁師の信仰を集めた守舟稲荷も祀られている。この材木座界隈の寺社には海難防止を祀る石塔などが目立つが、現在、漁業に従事する人が少なくなり、維持管理が難しくなっている。墓地には鎌倉時代に造られたとされる石塔があり、本堂は昭和八年(1933)に再建されている。

 

 明治期に入り無住であったために、学制が敷かれると、小学校校舎として明治中期まで利用された。また、日本近代洋画を確立した画家の黒田清輝(日蓮上人辻説法の画も描いている)がアトリエとして本堂を使用したことがあったと言う。いつまでも残していただきたい寺院である。