鎌倉散策 向福寺(こうふくじ) | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 九品寺循環バス、五所神社バス停の少し先の路地に入ると、本堂と庫裡だけの小さな寺院があり、鎌倉三十三観音霊場の第十五番札所である。

宗派:時宗藤沢山清浄光寺末。 山号寺号:円龍山向福寺。 創建:弘安五年(1282)と言われる。 開山:一向俊聖。 本尊:阿弥陀三尊(木像南北朝期の作:県指定文化財)。寺宝:本尊、木製聖観世音像等。本堂は関東大震災で崩壊、昭和五年(1930)に再建された。

  

 一向俊聖は鎌倉時、代時宗の開祖の一遍上人同様、諸国を遊行遍歴し、踊念仏により布教を行い「一向宗」をおこした。江戸時代に幕府により時宗に統合されたため、向福寺は藤沢遊行寺 清浄光寺末寺となった。本尊は阿弥陀三尊で観音菩薩像、姿勢菩薩像を脇侍とする。阿弥陀菩薩像は造立当時の姿をとどめ、中尊の深く刻み込まれた衣文の線は美しく、良く知られている。また、本尊の来迎印を結ぶ指先が震災により、欠損した。また聖観世音像は二十五センチほどの細身のすらりとした立像である。

 

  

 本堂横には墓地があり、その入り口に二体の石像のお地蔵さまが祀られている。左側のお地蔵さまが袖引き地蔵と言われ、両手で宝珠を持ち、訪れた人に優しい顔で迎えてくれる。寺院の伝承ではないが、この地に伝わる袖引き地蔵の由来の伝承がある。この地蔵を信仰していた漁師の夫婦が海で命を落としたが、この地蔵様のおかげで生き返った。また、続けて食あたりにより亡くなったが再度生き返った。お地蔵さまは閻魔王のお叱りを受けて錫杖を取り上げられた。しかしこの夫婦に再度災難が降りかかり大津波で亡くなった。閻魔王も今回は許さず、お地蔵さまは仕方なく二人を自分の袖に掴回れ冥土を抜け出した。それ以来錫杖を持たない地蔵は袖引き地蔵と呼ばれたと言う。慈悲を下さるお地蔵さまの優しさを物語る話で、地蔵信仰が尽きない理由でもある。

    

 本堂南側の部屋は震災前には「丹下作善」の作者林不忘(はやしふぼう:長谷川海太郎)が新婚生活を送った所と言われる。

その日、訪ねたところ、奥様が庭の手入れをされており、御挨拶をさせて頂いた。本尊のお話を聞くと、丁寧に答えて頂き、本堂に上がらせていただき拝観させて頂いた。本尊阿弥陀如来像の美しさに納得することができた。本尊は阿弥陀三尊で観音菩薩像、姿勢菩薩像は四年半がかりで修理を行われているとの事で、現在姿勢菩薩が修理に出されており、それが終わると本尊はお揃いになるらしい。修理は材木座で仏像修理をされる方がおられるらしい。単なる旅人に気さくにお話しして頂き、この土地の人々が袖引き地蔵の伝承を伝える、信仰の寺院であることに心が休まる思いであった。

住所:鎌倉市材木座3-15-13.。 ☎0467-22-9498  交通:鎌倉駅東口。九品寺循環バス五所神社下車一分。

拝観時間特に無し。 拝観料:無料。