八月十六日土曜日に円応寺水施餓鬼会(えんおうじみずせがきかい)が午後二時から行われる。
当日、午後一時前に住居を出ればと思い、お昼を済ませ、片付けをしながら時計を見ると、十二時五十分になった。慌てて、昨日用意していた、白のポロシャツとベージュと綿パンに履き替え、手荷物をまとめ午後一時四分に住居を出た。小袋谷のバス停の時刻表は午後一時十分発になっている。台風の通過で、まだ強風圏内であるため風がある。そんなに暑くはない。急ぎ足で小袋谷に降りる。先日は時刻通りにバスが来たことがあり、通常三分から七分は遅れる。それを期待した。小袋谷のバス停に13分に着いた。バスが出たのか、遅れているのかわからない。次のバスは三十分。扇子で仰ぎながら、いつ来るかわからないバスを十分ほど待っているとバスがやって来た。これで十分に間に合うと安堵してバスに乗った。
何か今回の供養に対し、救われていることが多いと感じる。経木の件と言い、バスが遅れて来たことも閻魔様のおかげだろうと考える。北鎌倉を過ぎ、外国人観光客が多いのが目立つ。お盆で寺院も檀家の供養塔で忙しく閉門しているところも多い。東慶寺さんも閉門しているようだった。建長寺前に着き、円応寺に向かう。何人かの人が円応寺に向かって石段を上がっていった。
閻魔縁日とは通称らしく、一月十六日と八月十六日に水施餓鬼会が行われることを言うらしい。水施餓鬼会とは八月十六日に、地獄の釜が開き、地獄で苦しむすべての餓鬼が解放される。餓鬼を供養して地獄の苦しみから救うために施餓鬼会が行われる。十三時半に着いた私はどうしていいのかわからず仏殿に入る。席が二百席ほど用意されていたが、既にわずかしか開いておらず、その一席に座る事が出来た。御住職の簡単なご挨拶などが行われ、戒名の書かれた喬木を受け取っていない方がおられるか聞かれ、手を挙げた。御住職は二日前に来た私を覚えて頂いていたようで、外の受付まで連れて行ってもらい、施主の自分の名で書かれた父と義父の戒名が書かれた経木を受け取った。
十三時四十分から御詠歌の奉納が女性檀信徒によって行われる。十四時から御住職により般若心経が唱えられ、配布された懺悔文の経を私たちも唱え、閻魔様の前の供えられた焼香台にて焼香が始まる。そして水施餓鬼が行われる。仏殿入り口に戒名の書かれた経木を入れる大き目の桶が中央に置かれ、両脇に、みそ藤の花の付いた一刺しが、水桶に水とともに入れられている。経木を中央の桶に入れ水に浸されたみそ藤で経木に水をかけ、なぞる。そして延命十句観音経を参加者全員で唱える。経が終わると、住職の簡単な法話があり、一時間ほどで水施餓鬼会が終わった。
人は罪を知らずとも犯す者である。閻魔様の前で懺悔文の経を三度唱える事で、今まで犯した罪はすべて許される。仏教において十王思想とは生前の罪を十王がそれぞれ七日ごとに調べて行く、初七日は秦広王、十三日は初江王、二十一日は宋帝王、三十五日に閻魔様が六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の行き場所を決め、四十九日に泰山王が男女、性別と寿命を決定する。この四十九日までの期間を「中有」または「中陰」と言われ、この間亡者はこの世からあの世まで旅を続ける。遺族は百日の平等王貧(とん)の心、貪りの(むさぼり)。一周忌の都市王には瞋(じん)の心、怒り。三回忌の五道転輪王には痴の心を慎むことを誓って法要を行うことにより、亡者の追討供養となるばかりではなく、自身の現世における功徳となる善巧を積む事が出来、来世の安楽へとつながってゆく。お釈迦様は「因果業法説」を説いておられる。「善因善果、悪因悪果」と言われ、「善い行いには必ず良い幸福な果報が得られ、悪い行いには悪い不幸な結果となる。それは過去世、今世、来世と三世にわたって輪廻転生する」と説いておられる。(円応寺パンフレットより)
また十王思想には良い事をすることは自分に果報があり、十王思想から始まった、十三仏信仰では十三回忌まで各仏様は見ておられ、先祖を供養することで、先祖も救い、助けることにもなる。宗教行事の一つであるが、家族がそろって、お盆を終える行事として、子供にも残し続ける事が大切だと思う。鎌倉の初盆は静かに終わった。