鎌倉散策 帰郷 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

  七月に入り、二十四節句の夏至の末候、半夏生ず(はんげしょうず)。半夏(からすびしゃく)が生じはじめるころ(サトイモ科の植物の一種)。田植えを終わらせる、農事の筋目とされている。

 三日に鎌倉に来てから一月半ぶりに大阪に帰る。これが帰郷なのかと感じた。妻の父の一周忌の為であり、あれから一年、早いものである。九十三際で腎臓癌による肝臓、肺への転移だった。昨年の1月に癌と分かり、4月まで自宅で過ごしていたが、5月から入院7月19日の深夜に亡くなった。昭和の人間で海軍に行き、気丈であるが、無口な人であった。そう苦しむことも少なく、5月と6月中旬まで急性期病院の個室で過ごせ、それから一月、ターミナルケア―病院でも個室で過ごすことができ、安らかな死であった。男性の九十三歳では日本人男性の平均寿命でも十年少々上回っているため、大往生と言ってよいだろう。その後、妻の母も私たちの住居の近く、直線距離で50メートルほどの有料老人ホームに入居させた。十畳ほどの個室で窓を開ければ、私たちのマンションも見える。洗面台もトイレも室内にあり、綺麗な施設で私たちは喜んだ。しかし、当の本人にしてみれば自宅を処分し義父の残した年金等で十分に暮らせて行けるが、悲しみと不安と不満が入交、元気付けるのに喜ばせたり、諭したり、怒ったりを繰り返した。ホームでは入居者の安全を考え、刺身、熱い汁物、鍋物は提供しない。週末に私たちのところへ一泊して食べにくる。今は機嫌よく暮らしている。

 四月に私一人で鎌倉へ行くことを告げ、驚いていた。いずれ誰もが人生を全うするわけだが、このような生活もまた良いのではと感じた。昔はそう思わなかったが、鎌倉に来て散策するたびに、坂や階段が多く老人には大変だと思うようになってきた。散策中、介護施設や、老人ホームに目が行くようになったのも年のせいだろう。海の見える施設があれば最後はこういう所が良いなと思ってしまう。それまで健康であり、この鎌倉で好きな事をして、のんびりと暮らしていきたいものだ。

 大阪に戻るまで雨と暑さが続いていたようだが、戻ってからは、すべて天気が良く、無事法要を済ませることができた。大阪、京都、奈良の知人・友人に鎌倉へ行ったことを話していなかった為、挨拶回りを行う。行きつけの店では何処も「最近ご無沙汰だったのはそう言う事だったんですか」と同じ反応だった。そして3か月ぶりに甲子園球場での阪神対広島戦を見に行き3対1で勝利した。5日ほど自宅にいたが、すべて外食で、少々時間の速度が速すぎることを感じ、そろそろ鎌倉へ帰りたくなり大阪を後にした。