二十四節句の「夏至」を迎え、一年で昼間の時間が一番長い時期になった。一年もほぼ半分を過ぎようとしている。七十二候は「乃東枯(なつかれぐさかれる)」。乃東は冬至に芽を出し夏至に枯れる夏枯草(かこうそう)の事である、それを示している。先日まで続いていた晴れ間も、夏至に入り、、梅雨の雨が再び降りだした。憂鬱な天気であるが例年気象異常の為か大雨による災害が増えている。雨が降らなければ作物に影響するが、降りすぎによる災害が無いよう願いたいものである。今回も引き続き北鎌倉の寺院を述べさせていただく。女性に人気のある北鎌倉の東慶寺、明月院、そして浄智寺がある。
浄智寺 じょうちじ 山号 金宝山。
宗派 臨済宗円覚寺派。 開山 南洲宏海、大休正念、兀庵普寧(ごつたんふねい)。
開基 北条師時。 創建 弘安四年(1281)。
現在の北鎌倉周辺は北条氏の所領であった。時頼の執権政治も安定し、北条家も勢力が強まったと時である。この頃、中国から伝えられた禅宗が鎌倉幕府の庇護のもと、最も栄えた時であり、浄智寺は鎌倉五山第四位での寺であった。北条時頼の三男宗政が二十九歳の若さで歿し、まもなく宗政夫人が一族の助けを得て寺を起こした。亡夫と幼少の師時(時宗の従兄弟、後十代執権)を開基として、宗政の菩提を弔う為に創建された。開山には南洲宏海、大休正念、兀庵普寧の三人の名を連ねている。当初、南洲宏海が開山に招かれたが、大任すぎる事で身を引き、師の仏源禅師大休正念を講じて入仏供養の儀式が行われた。すでに亡くなっていた師僧の中国で名僧の兀庵普寧を開山に立て名誉を遺贈したため、複雑な形を取る事になった。請待開山に仏源禅師大休正念を仰ぎ、日本人である南洲宏海は当初から二世を名乗ったのではないかと『新編相模国風土記稿』では推論している。
南洲宏海は嘉元元年(1303)に歿し、以後、高峰顕日・夢窓疎石・清拙正澄・竺仙梵僊・古先印元などの高僧が次々に住職に迎えられている。延文元年(1356)の火災で、初期の伽藍を失うが、室町時代には、方丈・書院・法堂・五百羅漢像を安置した三門・外門・行堂・維那寮・僧堂などの主要な建物、あるいは蔵雲庵・正紹庵・正源庵・龍渕山真際精舎・楞伽院・正覚庵・大円庵・同証庵・正印庵・興福院・福正庵といった塔頭がたちそろっていた。
戦国時代から江戸時代に入ると、鎌倉は農漁村になって寂れ、寺院の多くも次第に、かつての繁栄を失う。しかし、寺院によっては檀那と言われる各大名が庇護を与え、存続、あるいは反映した寺院もあった。室町時代ごろには、仏殿・鐘楼・外門・惣門そして塔頭の中の八院があったがこれらの建物は大正十二年の関東大震災でほとんどが倒壊した。現在は三門・二階に金を下げた楼門や新しい仏殿の曇華殿・方丈・客殿などが伽藍を形作っている。
文化財として
・木造三世仏座像:神奈川県重要文化財:本尊として仏殿に祀る。向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・未来の時を代表する。十五世紀半ばごろに再興された像で、鎌倉地方に多い衣の裾を台座に長く垂らした様式の典型的な作品。
・木造達磨大使像:菩薩達磨はインドの僧で、中国に禅を伝え、六世紀初めに歿したという。前週の祖師として敬われ、その肖像はほとんどの禅刹で祀られている。十四、五世紀ごろの作品。
・木造大休正念像:禅宗では、達磨など祖師方の関係深い像の肖像を、絵画や彫刻で作っているが、この種の肖像中、これは代表的な作品と言える。面部の写実は極めて鋭く、衣部分の彫技も優れている。十四世紀ごろの作品であろう。
・木造南洲宏海像:大休正念像より小柄で、十四、五世紀ごろの作品であろう。以前は兀庵普寧像もあったというが、失われた。
・木造観音菩薩立像:もと三門の上の五百羅漢と一緒に祀られていた像である。南北朝時代の作。
・木造地蔵座像:重要文化財 鎌倉氏指定文化財: 鎌倉国宝館に出陳中。美技手に錫杖、左手に宝珠を持って安座する像で、鎌倉時代後期の作品。
・木造韋駄天立像:鎌倉市指定文化財: 鎌倉国宝館に出陳中。韋駄天は寒建陀・建陀とも呼ばれ、天軍の将で走力に優れ、邪心を消除して釈迦の違法を護持するといわれている。甲冑を着け、合掌した腕の上に宝棒を横たえる。顔や両手などは江戸時代に補われたらしいが、同部は古く十四世紀ごろの作品である。冑の模様には、土を練って形に入れ張り付けて刺繍に似た効果を出す土紋が使われている。
・西来庵修造勧進帳:重要文化財: 鎌倉国宝館に出陳中。西来庵は建長寺開山大覚寺禅師蘭渓道隆の塔所である。同庵が荒廃したのを嘆き、建長寺に住したことのある禅僧玉隠英が修造の資材を集めるため、英正十三年(1516)に書いたもの。
この北鎌倉では樹木に覆われた谷戸の谷合の中で堂宇が並んでいる。車の多い鎌倉街道を外れると、一瞬に樹木に覆われ、静観な風景に変わる。「寶所在近」(ほうしょざいきん)を掲げた惣門の前に池があり、掛かる苔生した石橋の横に鎌倉十井の甘露の井がある。
惣門の石段を上ると唐様鐘楼門が建っており、二階が鐘楼になっているのが珍しい。鎌倉の寺院の石段は角がすり減り、変形した石で登り辛い。鎌倉石を使用している為、加工もしやすい点、このように自然に削れた石段にな。苔生してくると登るのが非常に困難で、杉本寺や妙法寺などでは現在、登ることができない。しかし、苔むした石段もそれぞれの季節の木漏れ日によって色彩を変えてくれることが楽しめる。また、鎌倉七福神巡りが流行っており、布袋さんが祀られている。そして浄智寺から源氏山ハイキングコースが伸びており、土日曜日には寺院への参拝者と別に行く人を多く見かける。