旧名越街道を少し北に入った、妙本寺、案国論寺は団体観光客がほとんど来ないため、谷戸の緑に囲まれた静寂な寺院で、鎌倉を感じさせてくれる私の好きな寺院の一つである。今回、妙本寺について述べさせていただく。
山号寺号、楞厳山蓮華院妙法寺。創建 建長五年(1253)。 開山 日蓮(中興開山・日叡)。 本尊 一塔尊四師。 寺宝としては、本尊他不動明王像、銘木造大黒天立像、細川姫耈(こう)絵
日蓮聖人が安房から出てきて、草庵を結んだ地であり、伊豆配流後、鎌倉に戻ってからもこの地に二十年留まったといわれる。「松葉ヶ谷法難」の地に建てられた日蓮宗の霊跡寺院である。毎年八月に行われる法難会では、日蓮聖人を白猿が裏山に導き、命からがら逃げることができた、助けた白猿にショウガを捧げたいわれにちなみ、厄除けショウガの供養がある。
文応元年(1260)七月、日蓮が『立正安国論』を著して、北条時頼の謹慎宿屋光則を通じ献進した。日蓮は「念仏無間天魔真言亡国律国賊」を唱え、他宗を排斥したため念仏衆(浄土宗徒)の怒りをかい、八月に松葉ヶ谷の草庵(現妙法寺隣接の地)が放火された。松葉ヶ谷の草庵跡はこの妙法寺だったらしく、松葉谷御小庵跡が残されているが、その他の資料は残されていない。
後醍醐天皇の皇子の大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王の遺児で幼名楞厳丸、後の日叡上人が亡き父の菩提を弔うためと、宗祖日蓮の遺跡を守るために寺を再興した。御小庵後、日蓮聖人塔、日叡上人とその母南の方の墓がある。山頂には護良親王の大塔宮御墓があり、市内や、稲村ケ崎と相模湾の海を見渡せる。本堂は総欅作りで杉戸や、欄間に描かれた絵画が美しく、細川家による寄進である。法華堂は水戸家からの寄進により建てられた。両建造物の内部は非公開になっている。朱塗りの仁王門があり徳川幕府11代将軍家斉公を迎えるため当時法華堂、総門も朱塗りであったとされている。また、明治中期まで将軍御成りの門が置かれていた。江戸時代には各地の大名や江戸城大奥の女人たちの信仰を集めた事が窺える。
鎌倉一の「苔寺」として有名で4月から6月にかけ新緑に覆われ木漏れ日に移る苔生した石段の色彩が美しい(立ち入り禁止)。何度も来てみたい寺院である。次回は安国論寺について述べさせていただきます。
妙法寺(みょうほうじ) 鎌倉市大町4-7-4 ☎0467(22)5813 開門日限定 9時から6時30分 拝観料300円