安国論寺(あんこくろんじ)
山号 妙法華経山。 創建 建長五年(1253)。 開山 日蓮上人。本尊 南無久遠実成本師釈迦牟尼仏(なむくおんじつじょうほんししゃかむにぶつ)。寺宝木造日蓮上人座像。日蓮上人の道場を起源とする御小庵の建物は、元禄時代に尾張徳川家が寄進したもので総欅造り。鬼子母神像。十羅刹女立像(じゅうらせつにょ)。七面大明神立像。大黒天像等。富士見台背後の山上に近年に据えられた梵鐘は、人間国宝香取正彦氏の作。
妙法寺から立ち並ぶ家々の小道を東に行くと、すぐに安国論寺に着く。妙法寺と同じような大きさの寺院であり、道場としての要素を持つからだろうか。妙法寺では護良親王の王墓から、安国論寺は富士見台から相模湾、稲村ケ崎を見渡せるので混同してしまう時がある。私自身で優劣つけがたく、谷戸の緑に包まれた静寂な鎌倉らしい寺院である。
現在の大町四丁目付近を松葉ヶ谷と言われ、建長五年(1253)、安房国から鎌倉に入った日蓮上人が初めて庵を結んだ場所として知られる。日蓮上人はおよそ二十年をこの松葉ヶ谷で過ごし、霊石寺院が建てられた。実際に松葉ヶ谷の草庵はどこだったのか。妙法寺、安国論寺、材木座の長勝寺があげられるが、江戸幕府が天明七年(1787)将軍家斉の頃に裁定を下している。妙法寺が松葉ヶ谷の草庵であり、安国論寺は伊豆へ流されたのち許され(1263)鎌倉で小庵を営んだ地となったそうであるが、断定する資料はない。しかし、この松葉ヶ谷を拠点に小町大路周辺で辻説法による布教活動が行われた。
安国論寺の三門の横に石碑があり、「松葉谷根本道場」と彫られている。三門をくぐると御札所があり境内霊場案内の図を頂き、それに沿って境内を散策する。三門から延びる石畳の参道の左横には、東京・増上寺の徳川家御霊屋(おたまや)から移された石灯篭が立てられおり、その正面に本堂が建てられている。当初、日蓮上人がこの地を修行道場として作られ、「御法窟」、「日蓮岩屋」と呼ばれる岩窟が本堂向かいにある。『立正安国論』はここで書かれた。本堂の右に「至孝第一」と言われた直弟子日郎の御荼毘所の小堂がある。草木に覆われ、解り辛いが、石段がある。上ると塔があり、さらに山道の奥を登ると、「松葉ヶ谷の法難」の際に日蓮上人が山王権現の使いとされる白狐の導きで難をのがれたという「南面窟」がある。さらに右手の山道を進むと平和の鐘の鐘楼があり、その奥を行くと富士見台がある。日蓮聖人が毎日ここで富士山に向かい法華経を唱えたと伝わる場所である。ここから急な下り階段になり、日蓮聖人を支えた熊王丸を祀る「熊王尊殿」の下に降りてくる。
境内には、日蓮の桜の杖が寝根付いたといわれる妙法桜や山茶花、海棠の巨木があり、いずれも市の天然記念物に定められている。
梅雨の合間の晴れた新緑の風景もよいが、春、秋の風景も感じたいものだ。
最後にこの季節、のどが渇き、御札所横の休憩所で頂いた冷たい抹茶は今年の初物で、清涼感の味わいを美味しく頂いた。この帰り道、妙法寺を過ぎたところでBarのマスタ―に会った。自転車で今から仕事に行かれるところらしい。十メートルの程の間でお互い「あっ」、「あっ」と言いながら、マスターは「自宅はこの奥なんです」と言いながら行き過ぎていった。やはり狭い町だ、越してきてからほぼ一月になろうとしているが、知りあいに会えることの嬉しさを感じた。鎌倉に来てから店には2度行ったが、また今週中に行かないとと思いながら帰路に就く。
安国論寺(あんこくろんじ) 鎌倉市おおまち4-4-18 ☎0467(22)4825 9時から17時 拝観料100円月曜閉館