私がなぜ鎌倉に憧れを持つようになったのか。長くなるがこの際述べておこう。
大阪に住んでいるため、京都、奈良、神戸の中間で、それぞれ40分から1時間程度で行くことができる。
歴史の好きな私は京都、奈良に出かけ、帰りは行きつけの飲み屋さんで一杯ひっかけて帰るのが休日の過ごし方であった。
よく地方の友人に大阪は食べ物がおいしくてとい言われる。確かにおいしい。特に粉もの文化に長けている。
きつねうどん、たこ焼き、お好み焼き、串カツ。手ごろな食べ物なら十分である。
しかし、これと言った長けたものはないと思う。
大阪と違い京都は、和食を感じさせてくれる。和食は景観を楽しみながら、味わう事で美味しさを倍増させてくれる。
しかし、高価なひと時になる。
また、京都は現在、大企業も多く存在するが、本来、職・住を共存させる、家内工業の町である。
東京や大阪と違い、寺社、公家、町人が混在する町であるため、近所の家同士のしきた、ルールが存在する。
ルールを無視する人は京都では何年住んでも京都人になれない。
文化的に見れと、NHKで放送された、「京都人の密やかな愉しみ」ドキュメントタイプのドラマが的確に表現されている。。
機会があれば見ていただきた。
私自身、思うのは坊主・文化人が、伝統という文字を掲げ、町中宗教行事。伝統行事として1年を動かしている。
それにより、多彩な職業が支えあっている。
今や観光ブームで外人さんお原宿状態である。京都人の門戸を開放してしまえば、京都の価値観は無くなる。
お茶屋さんは置屋に居る舞妓さん、芸者さんを呼んで遊ぶところ。しかし、料理は仕出し屋さんが時間に合わせて順次運ぶ。
3種の業種が関連する。一見さんお断りは、その中でルールが守らなければ、支払いの面等、関連する業種に迷惑がかかる。
懐石料理は本来、茶事で振る舞われる食事ことを言う。茶席は茶道家元、寺、民家などの貸し茶席がある。
茶菓子には生菓子屋、懐石料理には仕出し屋さんの出番が回る。
ここで、高価な茶道具も出てくる。それを拝見するのもお茶の楽しみの一つである。
しかし一般的に客を選別しないと、もしも茶碗を割ってしまったり、掛け軸を汚していまったりすると大変である。
そのため相応しい人か堂か認識するために紹介者が必要になってくる。いわゆる一見さんお断りである。
他業種が絡み合っているため迷惑(難儀)をかけないための方策でもある。
しかし「ぶぶ付けでもどうでっしゃろ」は狭い職住一体の住居、ぶぶはさ湯、また京都人ならではの人に対する観察力かもしれない。
大阪人は流行に目ざといが飽きも早い。周りに京都、奈良があるため、堅苦しくはさほど無く、合理性を追求する。
本来ひょうきん者であるが、寂しがり屋で、話が好きである。
大阪のおばちゃんを見ればよく分かると思う。「誰々さんが、こういうこと言うてはったて。私知らんけど」
奈良の人はまた少し違う。また機会があれば紹介したいと思う。
続きはまた後日。