スポーツ鍼世界一 その2
つぶやきます・・・![]()
昨日の続きです!
サンパウロFC軍団がさっそうと現れました![]()
当時はスポーツクラブ内に治療院があったのでスポーツクラブの会員さんがそれはそれは驚いていましたね![]()
なんで、ここにサンパウロFCの選手がいるの? みたいな感じで・・・
普段、治療に来ない方も治療院まで顔を出す(やはり日本人はミーハーな方が多いのかな・・・)
で、自分はというと5人の選手をどういう順番で回そうかと・・・
クラブのドクターに通訳通して何時頃まで大丈夫かと聞くと、3時間は大丈夫だというので、それだったら出来るかなと伝える。
カフーは右肩の痛み(肩鎖関節脱臼の後遺症)
ジュニーニョー(左足首捻挫)
バウベル(右内転筋痛)
アンドレ(右ハムスト痛)
ドリーバ(腰痛)
サンパウロFCのドクターに治療は任せてもらってもいいか聞いたら、任せるとのことだったので、それぞれ鍼を行った。
全選手、生まれて初めての鍼治療だったようで、かなりビビっていた・・・
でも、良くなるためだったら、やってもらいたいとの事だったので、打ちまくった![]()
約3時間の治療が終了して選手たちも満足げだったが、何気に自分は疲れきったような・・・
そう、言葉が通じないから、いくら通訳さんがいても専門用語は訳してくれないので分かってもらえるまでが大変だった。
その時の通訳は今は日本に来ているほとんどのブラジル人の代理人をやっています。有名どころでいえば元レッズのエメルソン、元ブラジル代表のエジムンドなど、フッキもそうかな。ちなみに通訳さんの名前はテオと言います。
さて、治療が終わり選手が帰る時に明日も来ていいか?
と聞かれ、もちろんいいよと答えてブラジル人は帰って行った・・・
でも、あの時を思い出すと、凄い選手が来たんだなと、今になって思うこのごろ。
つづく・・・
お疲れ様!
カリアリ戦でのフル出場と勝利おめでとう!
佑都はどんどん進化していってんな。
今までの積み重ねと努力が、このような結果に結び付いているんだな。
取材でも話しをさせてもらったけど、佑都は相手が強ければ強い分だけ成長していくと。
世界一のサイドバックは、もう夢ではない。
佑都の強い気持ちでなれるよ!
ガンバレ佑都!
佑都から☟
ありがとうございます!
まだまだ、やるべきことはたくさんありますが一つ一つクリアして頑張ります!
自信を持って前へ進みます!
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世界一のスポーツ鍼(トヨタカップ編) その1
つぶやきます・・・![]()
今日は懐かしい写真と記事をお見せします![]()
恥ずかしかったので自分の中では封印していたのですが、伝えるために思い切って載せる事にしました![]()
1994年 トヨタカップの出来事!
この時、自分はFC東京の前身の東京ガスサッカー部にエグザス治療院から派遣でトレーナーとして参加していました。(自分の従兄弟が東京ガスサッカー部)
そこで、当時フィジカルコーチだった方がブラジル人の方で、トヨタカップでサンパウロFCが来るんだけど、怪我人がいるから治療できるトレーナーを紹介してもらいたいと言う事で、エグザス治療院に来てもらったのですが、自分は恥ずかしながら、当時、トヨタカップも知らなければサンパウロFCも知らなかった
(今、思えば凄い事ですが)
連れてきていいですか?という回答にまず、言った事が「サンパウロってブラジル人ですよね? 保険証は持っていますか?」って代理人の方に言った事はよく記憶にあります。
で、連れて来てもらったのですが、当初何人来るかと言う事を伝えてもらっていなく、来ても2人位かなと思っていたのですが・・・なんと・・・ ブラジル人が5人も来ました![]()
この時はめちゃくちゃびっくりしました!
えっ? 5人? しかも通訳さん、ドクター、代理人などなど・・・
合わせたら、10人くらい・・・
とりあえず、5日後のトヨタカップ(VS ACミラン戦)に合わせたいと。
すべてレギュラー・・・
それぞれ、痛めている場所が違う・・・
さあ、どうしよう?
つづく・・・
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インテル佑都 記事
つぶやきます・・・![]()
とうとう、フル出場を果たしました!
これからが正念場!
行けるぞ佑都! ガンバレ佑都! 負けるな佑都!
長友「徹底して抑えよう」初フル出場で初完封!
スポーツ報知 2月21日(月)8時0分配信
1―0でリードの前半ロスタイム、自陣右から相手MFビオンディーニがペナルティーエリア内に放り込んだボールをDFコルドバがクリアミス。長友はそこにスライディングで飛び込み間一髪クリア。危機を脱した。
過去3試合で5失点だったインテルの、4戦ぶりの無失点に貢献。「僕らDF陣として、徹底して抑えようと言っていた。ゼロで抑えてよかった」と満足げ。「コルドバとはこういう場面ではこうしてくれとか、要求も僕自身も言えてる。だからよくなってきてる」と、出場4試合で守備の連係の向上を実感した。
サン・シーロ(ホームの別称)では初先発。立ち上がり約20分は大胆なオーバーラップで左からの連続攻撃を見せた。1―0の同11分にクロスで左CKを獲得。しかし同17分、43分とクロスは受け手が不在。前半37分にバックパスを相手DFにカットされる危険なミスも。攻撃面の連係不足は明らか。「徐々にチームの戦術や選手の特徴が分かってきた。もっともっとよくなる」と前向きに受け止めた。
追い風はまだ吹いている。左サイドバックのキブが出場停止から戻るが、次節27日のサンプドリア戦はDFマイコンが出場停止となり出場が濃厚。23日の欧州CL、決勝トーナメント(T)第1戦、バイエルン(ドイツ)戦はベンチスタートの見込み。「本当に試合に出たいし、経験を積みたい」と日本人4人目のCL決勝T出場のチャンスを待つ。
長友、連続出場4試合目で初のフル出場
◆イタリア・セリエA第26節 インテル1─0カリアリ(19日) インテルは、ホームでカリアリと対戦し、日本代表DF長友佑都は2試合連続で先発し、初のフル出場を果たした。インテルは2連勝。
長友は前半にクロスを上げるなど積極的に攻撃参加したが、後半は左サイドを攻め込まれる場面もあった。長友は16日のフィオレンティナ戦に続く先発で、4試合連続出場。
インテルは23日に欧州チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦の第1戦でバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)と対戦する。
移籍後、初めてフル出場を果たした長友は勝利の喜びをピッチ上で味わった。「試合をやるたびに連係はよくなっている」と強豪インテルの一員としてさらに自信を深めた様子だった。
試合は前半にハルジャが奪った1点で逃げ切った。前半の長友は果敢に左サイドバックの位置から攻撃参加したが、後半は「まず守備を考えた。DFとしてはゼロで抑えたい」と前線に上がる回数を減らした。持ち味の運動量を、より守備に割いて勝利に貢献した。
23日には2連覇を目指す欧州チャンピオンズリーグでバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)との決勝トーナメント1回戦の第1戦が控える。
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試験官
つぶやきます・・・
これから、未来のトレーナーを目指す人達の試験官を行ってきます。
受験生は、緊張するとは思いますが、全力で頑張ってもらいたいです。
ガンバレ!!
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お宝画像 その1
つぶやきます・・・![]()
今日は、佑都つながりのお宝映像です!
北京オリンピックは佑都にとっては悔しい思い出・・・3戦全敗
が、しかしなぜかこの写真では金メダルを付けている!?
う~~ん? なんで金メダル?
それは
よく見てください。 青い柔道着を着ていないですか?
そうです!
北京オリンピック柔道女子63㎏級 金メダリストの谷本歩実選手の金メダルでした![]()
実は、谷本さんは北京オリンピック前の3カ月前に、西葛西にありますアスリートご用達の『あかべえ』さんの紹介で、佑都と同じ腰痛で悩んでいて治療に来てもらっていたのですね。
それで、金メダルを取ったので、自分のアスリート仲間を呼んで祝勝会をやりました。
ちなみに参加者は、土肥洋一選手(東京ヴェルディ)福西崇史氏(元日本代表)山田卓也選手(元日本代表 現在メジャーサッカー・アメリカ)三浦淳宏氏(元日本代表)林陵平選手(柏レイソル)永島田充輝トレーナー(横浜FC)長友佑都選手(インテル)戸川健太選手(ガイナーレ鳥取)浅利悟氏(FC東京強化部)佐藤秀樹先生(行徳中央クリニック院長・横浜FCドクター) 村瀬研一先生(西葛西駅前クリニック院長・FC東京ドクター)でした。
佑都にしてみたら、北京は辛い経験だったと思いますが、この悔しさの思いがあって今の佑都が有ると思っております。
谷本さんも、佑都の目を見て、「この選手は目が生きている!」 努力すれば必ず、報われると言ってくれました。
あとは、「生かすも殺すも自分次第!」
佑都も、ここから成長して行けたのだと思います!
アスリートの集まる「あかべえ」は、きっとパワースポットなのかも!
佐藤ドクターとは熱く!3時まで飲んじゃいました![]()
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インテル長友 世界一のサイドバックになる! 最終回
プロデビューは2008年のJリーグ開幕戦。当時のことは覚えていますか?
長友——もちろんです。プロになったんだということを実感した試合でした。たくさんの人の支えがあったからこそのプロデビューですし、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。僕は長男なので、「これからは俺が経済的にも家族を支えるんだ」と強く思いました。もちろん今もそうですが、あの試合で抱いた感情が、僕自身のメンタル的な要素を強くしてくれていると思います。
実際に肌で感じたプロの世界の印象は?
長友——戦えるという実感はありました。あの試合はとにかく、デビュー戦ならではの緊張感や戸惑い、そういう部分を見せないように心掛けました。もちろん「ミスをしたらどうしよう」という思いはあったんですが、それを表情や仕草に出さないように、堂々とプレーしようと。そこはかなり意識していましたね。
そういった姿勢は、今も大事にしている部分ですか?
長友——そうですね。ステップアップするために大切なのは、自信を持つことだと思います。南アフリカでもそうだったんですが、自分に自信を持てればそれだけでプレーの質が変わるし、練習に対する取り組み方も変わります。僕の場合、学生時代に無名だった選手が日の丸を背負うようになったことで、「シンデレラストーリー」と表現されることもあります。でも、プロになってからもダメな時期はありましたし、北京オリンピックも全くダメ。僕の中では、いろいろな思いを抱えながらここまでやってきたつもりです。ずっと右肩上がりの成長を遂げてきたわけではなく、一つずつ目標を立てて、それをクリアしながら成長してきたと思っています。
とはいえ、プロ入り後の急成長には目を見張るものがありますね。
長友——大学時代は身体能力だけでボールを取れることが多くて、ポジショニングに甘さがありました。でも、プロの世界ではそれが通用しない。世界に目を向ければ、ほんの少しのポジショニングで状況や結果が大きく変わってきます。そういうレベルの高いサッカーをJリーグやオリンピック代表、A代表などで経験して、肌で感じることができました。そこから得るものがすごく多かったし、レベルアップにつながったと思います。
長友選手にとって初の国際舞台となった北京オリンピックについて、振り返ってもらえますか?
長友——オリンピックは本当にひどかったですよ(笑)。チームというより、とにかく自分自身が……。アメリカ戦では僕のところから崩されて失点しましたし、本当に情けなくて、めちゃくちゃ悔しかった。ただ、ネガティブな精神状態に追い込まれた自分、大舞台で腰が引けて、ミスを恐れている自分に気づくことができました。「これじゃあ成長しない、上にいけない」って思いましたね。それからは「ミスしてもいいからチャレンジしよう」という考え方に切り替えることができましたし、ポジティブな自分を取り戻しました。北京オリンピックでの経験がなければ、今の自分はないと思います。
“世界”を意識し始めたのもその頃ですか?
長友——A代表に選出されてからですね。新しいステージに立つと、自然と新たな目標が見えてくる。その繰り返しです。
改めて、南アフリカでの戦いを振り返ってください。
長友——結果はどうあれ、自信を持てたことが大きかったですね。1年前の僕には「世界一のサイドバックになる」なんて言えなかったと思うんですが、世界最高の舞台を経験した今、心からそう言えるようになりました。何て言うんだろう……カメルーン戦のピッチに入る瞬間には「“心が震える”っていうのはこういうことか」と思いましたし、そういう体験は初めてだったので……。う~ん、言葉で表現するのは難しいですね(笑)。
実際に世界最高の舞台で戦う中で、心掛けていたことは?
長友——ピッチでの姿勢は変わりません。ミスを恐れず、チャレンジし続けること。やっぱり、どんなチームスポーツでも最後は自分との戦いなんだと思います。とにかく、北京オリンピックと同じ後悔だけはしたくなかった。素晴らしいチームの一員として、大会を通じてそういった姿勢を貫けたからこそ、また大きな自信を持つことができたんじゃないかなと思います。
大会終了後にはイタリアのチェゼーナに新天地を求めました。ここまでの戦いを振り返って、自分に点数をつけるとしたら?
長友——難しい質問ですね(笑)。手応えを感じたのは一対一で負けない強さとスピード、走り負けない運動量ですね。そこは通用していると感じています。
どんなところが評価されていると思いますか?
長友——たぶん、戦う姿勢じゃないかなと。僕には技術も才能もないので、それを失ったらサッカーをやめなきゃならない。そういう気持ちで戦っています
インテル長友 世界一のサイドバックになる! その2
中学卒業後は九州の名門である東福岡高に進学されました。
長友——最初は愛媛県内の高校に進学しようと考えていたんですけど、母が「勝負すれば」と言って東福岡高に送り出してくれました。僕の家は母子家庭で3人兄弟。お金が掛かるはずなのに県外の強豪校に進学させてくれたので、「頑張らなかったら意味がない」と強く思っていました。徹底的に自分を追い込む覚悟ができてからは、サッカーに対する意識が大きく変わりましたね。
高校3年間ではどんな努力を?
長友——1年生の頃はとにかく身長を伸ばしたかったのでで、筋トレは一切しませんでした。でも、これ以上伸びないと分かってからは、自分は何をすれば生き残れるのかを考えて、当たり負けしない体を作ることを決意したんです。筋トレは成果を実感することができるし、自分にとっての武器になればいいなと。当時はトレーナーから話を聞いたり、休み時間に本を読んだりして知識を蓄えましたね。
具体的にはどんなトレーニングを?
長友——特別なことは何もしていません。自分自身を極限まで追い込むこと、それだけを考えていました。数字で表すことはできませんが、誰よりも長い時間を費やしていたと思います。朝からランニングや筋トレをして、それからサッカー部の練習。いつも最後まで残ってトレーニングをしていました。やり始めたばかりの頃は本当にキツかったですね。ただ、若かったので、どんなに負荷を与えても翌日に痛みを感じるようなことはありませんでした。
そこまで自分を追い込めたのは、やはりプロ選手になるという明確な目標があったからですか?
長友——そうですね。そのためにも、自分だけのストロングポイントを作りたかった。それが一番の理由です。高校3年になった頃には、相手に当たり負けするようなことはなくなりました。体質的にもフィジカルトレーニングが向いていたんだと思います。
高校時代のポジションはボランチ。所属するチームが変わるたびにポジションも変わっていますね。
長友——小学生時代はFW、中学生時代はトップ下、高校ではボランチをやりました。それから、明治大ではサイドバック。正直、サイドバックにコンバートされた時は自分の中で受け入れ難い部分がありました。でも、サイドバックの選手じゃなければ、僕はプロになれなかったと思います。本当は一つのポジションを極めたいタイプなんですが、今では左右のサイドバックを違和感なくこなせるようになりました。チェゼーナでは試合中にポジションがころころ変わりますし、自分でもどちらのサイドが向いているのかわかりません(笑)。だから、今は“両サイドをこなせるサイドバック”を極めたい。
東福岡高を卒業後、明治大に進学した理由について教えてください。
長友——まず、高校時代は目立つ選手じゃなかったので、プロはもちろん、大学からも誘いの声はありませんでした。だから、元競輪選手である祖父と同じ道を歩むために競輪学校に行くか、大学に進学してサッカーを続けるかで本当に悩みました。結局、明治大に合格して進学しましたが、正直、当時はプロサッカー選手になれるなんて思いもしませんでした。大学ではケガの影響で2年の途中まで試合に出ることもできませんでしたし、太鼓を叩いてチームメートを応援していたくらいですから(笑)。
それから、サイドバックへのコンバートを機に才能が開花します。
長友——1年の終わり、新チームを立ち上げる際に神川明彦監督にコンバートされました。ただ、最初はサイドバックの面白さがわからなかったので、本当に嫌でしたね。攻撃参加のタイミングも全くわからないし、楽しめる要素が見当たらなかった。神川監督に「トップチームじゃなくてもいいので、前のポジションをやらせてください」と直談判したこともありました。でも、徐々にプレーの感覚をつかんでからは、決定的なチャンスも作れるし、観ている人も盛り上がってくれる。そういった部分に面白さを感じられるようになりました
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長友佑都 速報!
長友、初先発でゴールに絡む インテル接戦を制す
Goal.com 2月17日(木)4時30分配信
試合は序盤から動いた。開始6分、インテルは長友も絡んで、先制点を手にする。カウンターで敵陣に攻め入ったインテルは、スタンコビッチのパスを受けたエトーがペナルティーエリア右に侵入。長友を狙って中央にグラウンダーのクロスを入れると、フィオレンティーナDFカンポレーゼに当たってコースが変わったボールが、ゴールに吸い込まれた。
しかし、その後はインテルが良い形をつくれない時間が続く。右サイドからマイコンが仕掛けることが多いため、長友の攻め上がる機会も限られた。
しばらくフィオレンティーナが効果的な攻めを繰り返すと、33分に同点弾が生まれる。左サイドのライン際からパスクアルがクロスを入れると、ニアに飛び込んだジラルディーノは触れなかったものの、この動きがインテルGKジュリオ・セーザルに対するフェイントとなり、そのままゴール右隅に決まった。
インテルは後半の立ち上がりにスタンコビッチが立て続けにビッグチャンスを迎えたが、勝ち越しゴールは生まれない。長友は前半よりも攻め上がる回数が増え、左サイドを完全に突破する場面もあったが、クロスが味方と合わなかった。
フィオレンティーナ攻撃陣に危険な場面をつくられたインテルは、ラノッキアを中心とした守備で逆転ゴールを許さない。すると62分、個の力で追加点を奪う。右サイドでボールを持ったエトーがドリブルでDFをかわすと、エリアに侵入してニアへクロス。これにパッツィーニが飛び込み、ゴールネットを揺らした。
リードを手にしたインテルは、72分に長友を下げると、83分には足に痛みを訴えたスナイデルを交代させて、マリガを復帰させた。終盤は同点弾を目指すフィオレンティーナの攻撃が目立ったものの、インテルの集中力は最後まで切れず、2-1で勝利を収めた。未消化だった試合で白星を手にしたインテルは、首位ミランとの勝ち点差を5としている。
なお、同時刻に行われたサンプドリア対ジェノアのジェノヴァダービーは、1-0でアウェーのジェノアが勝利。55分のラフィーニャのゴールが決勝点となっている。

















