インテル長友 世界一のサイドバックになる! その2 | 木場克己 オフィシャルブログ 「プロトレーナーのつぶやき」 Powered by Ameba

インテル長友 世界一のサイドバックになる! その2


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中学卒業後は九州の名門である東福岡高に進学されました。
長友——最初は愛媛県内の高校に進学しようと考えていたんですけど、母が「勝負すれば」と言って東福岡高に送り出してくれました。僕の家は母子家庭で3人兄弟。お金が掛かるはずなのに県外の強豪校に進学させてくれたので、「頑張らなかったら意味がない」と強く思っていました。徹底的に自分を追い込む覚悟ができてからは、サッカーに対する意識が大きく変わりましたね。

高校3年間ではどんな努力を?
長友——1年生の頃はとにかく身長を伸ばしたかったのでで、筋トレは一切しませんでした。でも、これ以上伸びないと分かってからは、自分は何をすれば生き残れるのかを考えて、当たり負けしない体を作ることを決意したんです。筋トレは成果を実感することができるし、自分にとっての武器になればいいなと。当時はトレーナーから話を聞いたり、休み時間に本を読んだりして知識を蓄えましたね。

具体的にはどんなトレーニングを?
長友——特別なことは何もしていません。自分自身を極限まで追い込むこと、それだけを考えていました。数字で表すことはできませんが、誰よりも長い時間を費やしていたと思います。朝からランニングや筋トレをして、それからサッカー部の練習。いつも最後まで残ってトレーニングをしていました。やり始めたばかりの頃は本当にキツかったですね。ただ、若かったので、どんなに負荷を与えても翌日に痛みを感じるようなことはありませんでした。

そこまで自分を追い込めたのは、やはりプロ選手になるという明確な目標があったからですか?
長友——そうですね。そのためにも、自分だけのストロングポイントを作りたかった。それが一番の理由です。高校3年になった頃には、相手に当たり負けするようなことはなくなりました。体質的にもフィジカルトレーニングが向いていたんだと思います。

高校時代のポジションはボランチ。所属するチームが変わるたびにポジションも変わっていますね。
長友——小学生時代はFW、中学生時代はトップ下、高校ではボランチをやりました。それから、明治大ではサイドバック。正直、サイドバックにコンバートされた時は自分の中で受け入れ難い部分がありました。でも、サイドバックの選手じゃなければ、僕はプロになれなかったと思います。本当は一つのポジションを極めたいタイプなんですが、今では左右のサイドバックを違和感なくこなせるようになりました。チェゼーナでは試合中にポジションがころころ変わりますし、自分でもどちらのサイドが向いているのかわかりません(笑)。だから、今は“両サイドをこなせるサイドバック”を極めたい。

東福岡高を卒業後、明治大に進学した理由について教えてください。
長友——まず、高校時代は目立つ選手じゃなかったので、プロはもちろん、大学からも誘いの声はありませんでした。だから、元競輪選手である祖父と同じ道を歩むために競輪学校に行くか、大学に進学してサッカーを続けるかで本当に悩みました。結局、明治大に合格して進学しましたが、正直、当時はプロサッカー選手になれるなんて思いもしませんでした。大学ではケガの影響で2年の途中まで試合に出ることもできませんでしたし、太鼓を叩いてチームメートを応援していたくらいですから(笑)。

それから、サイドバックへのコンバートを機に才能が開花します。
長友——1年の終わり、新チームを立ち上げる際に神川明彦監督にコンバートされました。ただ、最初はサイドバックの面白さがわからなかったので、本当に嫌でしたね。攻撃参加のタイミングも全くわからないし、楽しめる要素が見当たらなかった。神川監督に「トップチームじゃなくてもいいので、前のポジションをやらせてください」と直談判したこともありました。でも、徐々にプレーの感覚をつかんでからは、決定的なチャンスも作れるし、観ている人も盛り上がってくれる。そういった部分に面白さを感じられるようになりました



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