マルクス・エンゲルス古典学習会 No.2
エンゲルス著:『空想から科学へ』読書会①(底本は岩波文庫版大内兵衛訳による)
(1)(訳者序)から
本書はF・エンゲルスの1883年下記ドイツ語からの翻訳。
(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschft)
原書はエンゲルスの『反デューリング論』からの抜き書き。
ドイツ社会主義はまだ生まれたばかりの思想で、特にその運動はアイゼナハ派と
ラサール派が「ゴータ綱領」(1875)を作ったばかりで、その運動の中に社会主義
の諸派が流れ込み、運動がその混濁のうちにあったので、デューリング人気も相当
に高かった。エンゲルスは1877年当初からドイツ社会民主党の機関誌『フォアベル
ツ』にデューリング批判を開始していた。ラファルグの勧めでこの大部な批判書から
重要部分(3章)を抜き出して作成したのが本書である。
本書は3章から成っており、第一章は「空想的社会主義」第二章は「弁証法的唯物論」
第三章は、「資本主義の発展」である。(※表題は大内氏がドイツ語版によって作成)
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(2)フランス語版へのマルクスの序文(1880)岩波文庫p17
・・・マルクスによるエンゲルスの紹介
・1844年『国民経済学批判大綱』(独仏年誌掲載)。1845『イギリス労働者階級の状態』
※マルクスは、資本論(第8章労働日)のなかでエンゲルスの『状態』から『児童労働調査
委員会第一次報告書』を引用している。(『国民文庫②p167』注66)
(エンゲルス『イギリス労働者階級の状態』(全集2巻p440~p442))
・マルクスとエンゲルスはブリュッセル滞在中、ドイツ人労働者の共産主義的結社を結成。
1847年国際的な(共産主義者同盟)に発展。同年、『共産党宣言』起草を委託されたが
1848年2月革命直前に公刊された。
・2月革命後、エンゲルスは『新ライン新聞』の編集者になったが、1849年5月に発禁。
・1850年エンゲルスは『新ライン新聞、政治経済評論』の寄稿者だった。
ここで『ドイツ農民戦争』を公表。
・ドイツ社会主義運動の復活後、エンゲルスは各誌に『ロシア社会論』『住宅問題』
『ドイツ帝国議会におけるプロシャの火酒』『バクーニン主義者の活動』などを書いた。
・エンゲルスは1870年にマンチェスターからロンドンに移り、インターナショナルの
総務委員会に参加。(スペイン・ポルトガル・イタリアとの連絡係)
・彼は最近、オイゲン・デューリング氏の自称新理論に駁論を書いて『フォアベルツ』
誌に連載した。
・われわれは、このパンフレットから最も適切と思われる理論的部分を抜粋した。
これはいわゆる科学的社会主義の入門となるであろう。
※この序文は、著者エンゲルスの紹介を主とするものであるが、マルクスがマルクスの
娘婿のラファルグ(当時フランスでのマルクス主義の代表者)の為に書いたといって
よい。(注p19~20)
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(3)ドイツ語第一版(1882年)へのエンゲルスの序文・・・p22
・本書は拙著『デューリング氏の科学の変革』(1878)のうちの3章からできている。
・p23 形式については、外来語が問題になったが、労働者諸君は新聞を多くかつ規則
的に読むようになったので慣れてきた。それは翻訳すれば意味が曲がり、説明になら
ないで意味が混乱する。それよりはそれをそのままにしておいて説明を加えた方が
良い。
・これに反して内容の方は、ドイツの労働者には少しも難しくない、と私はいいたい。
難しいのは一般に第3章だけだが、この章は労働者の一般的生活条件をまとめたもの
だから、労働者には「教養ある」ブルジョアよりもずっとわかりやすい。
・多数の説明的補足を付けたが、その際、私は、労働者よりもむしろ「教養ある」読者
たとえば国会議員、枢密顧問官、および有名な当時の歴史家といった人々を念頭に
おいた。というのは、彼らはやむにやまれぬ衝動に駆られて、社会主義に対する驚く
べき無知と、それからくる恐ろしい曲解とを、繰り返し繰り返し印刷したがっている
連中であるからだ。そういうドン・キホーテがその槍を風車に向かって突き刺すのは
彼の身上であり、彼の役目でもあるが、サンチョ・パンサには、そんなことをやらせ
ることを、許しておく訳にはいかない。
・こうした読者は、このようなスケッチにすぎない社会主義発達史のなかに、カントや
ラプラスの宇宙発生論や近代自然科学やダーウインや、ドイツの古典哲学からヘーゲ
ルまでもが顔を出しているのに、さぞ驚くだろう。だが、科学的社会主義は、断じ
て、本質的にドイツの産物なのだ、その古典哲学が、意識的な弁証法の伝統を生き
生きと保持していた国でなくては、即ち、ドイツでなくては、成立する事は出来な
かったのだ。唯物史観と、それをプロレタリアートとブルジョアジーとの近代の階級
闘争へ具体的に適用することは、弁証法がなくてはできない。(p24)
・われわれドイツの社会主義者は、ただにサン・シモン、フーリエ、およびオーウェン
を祖とするのみではなく、カント、フィヒテ、およびヘーゲルの流れをくんでいる事
を、われわれの誇りとするものである。 1882.9.21 ロンドン F・エンゲルス