『賃金・価格および利潤』におけるマルクス経済学の概要① | kmhamのブログ

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ここでは、マルクスの『賃金・価格および利潤』(1865.6.20&6.27における国際労働者協会の講演)から経済学の基礎概念、特に価値・剰余価値並びに賃金または賃金制度(資本制的生産)についてマルクスの概念規定を見て行きます。
これは、「資本論」(1867年)の内容を「平易な形で先取りする」ものです。
(参考文献は、岩波文庫『賃金・価格および利潤』(昭和40年9.20第31刷)

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初めにまず、この講演のきっかけとなった、背景についてドイツ語版への序言から引用
する。岩波文庫版P11:「この労作はマルクスが1865年6月20日及び27日に、ロンドン
における第一インターナショナルの中央委員会で行った講演である、事。当時、第一
インターの成員であったウェストンは、次のように主張していた。
(1865.5.20マルクスのエンゲルス宛手紙)
(1)一般的な賃金の値上げは労働者たちには何の役にも立たないであろう。
(2)それ故、労働組合は有害な作用をするということ、であった。
また、1865.6.24のエンゲルス宛手紙では、「賃金の一般的値上げなどが如何に作用する
かという、ウェストン君によって提出された問題に関する論文を朗読した。そのうち
第一の部分は、ウェストンのナンセンスに対する解答であり、第二の部分は、時宜に
適する限りでの理論的説明である。ところで人々はこれを印刷させたがっているが、
・・・私は躊躇している、この点について君の助言を聞きたい。」と。そして・・・
結局、この講演の論文はマルクス・エンゲルスの生前には印刷されず、1897年英語で
1898年にドイツ訳で出版された。それ故、われわれは、第一部の結論部分(ウェスト
ンの要約=第二部の前提)である第5章から見ていくことにする。
「五 賃金と物価」(岩波文庫版P42またはマルクス・エンゲルス選集④p117)
わがウェストン君の全議論は、最も簡単な理論的表現に還元すれば、次の1つのドグマ
に帰着する。即ち、『諸商品の価格は賃金によって決定または規制される』と。
彼はまた、次のようにも言っている、「利潤と地代も商品価格の構成部分をなしている。」
なぜなら、労働者の賃金だけでなく、資本家の利潤や地主の地代もまさに商品の価格
から支払われねばならぬから、と。では、かれの考えでは、価格はどのようにして
形成されるのか?まず第一に賃金によって、次にその価格に資本家の為に何パーセント
かが付加され、さらに地主の為に何パーセントかが付加される。ある商品の生産に使用
される労働賃金が10だと仮定し、利潤率がこの賃金の100%だと仮定すれば、資本家
は10を付加するであろうし、またもし地代の率も100%とすれば地主によってさらに
10が追加され、この商品の総額は30になるであろう。しかし、このように価格を決め
るのは、単に賃金によって価格を決めることでしかなかろう。上記の場合、賃金が20
に上がればこの商品価格は60に上がる訳だ。また彼らが、利潤は資本家間の競争に
よって決まると主張しても、それでは何の説明にもならない。確かに、競争は
様々な産業内の様々な利潤率を均等化したり、それらの利潤率を1つの平均水準に
帰着させたりはするが、しかしそれは、この水準そのもの、つまり、一般的利潤率を
決定することは決して出来ない。 諸商品の価格は賃金によって決定されるという
のは、どんな意味であるか?賃金とは労働(力)の価格の別名に他ならないから、
それは、諸商品の価格は労働(力)の価格によって規制されるという事である。
『価格』とは、貨幣で表現された交換価値であるから上の命題は『諸商品の価値は
労働の価値によって決定される』ということ、または、『労働の価値は価値の一般的
尺度である。』という事に帰着する。だが、ではどうして『労働の価値』そのものは
決定されるのか?ここで我々は行き詰まってしまう。
ウェストン君を例にとれば、彼は曰く:「賃金は諸商品の価格を規制する」従って、
「賃金が騰貴すれば物価は騰貴しなければならない」と説き、それから向き直って
「賃金が騰貴しても何にもならない、けだし諸商品の価格が騰貴するから、そして
賃金は実にそれで買われる諸商品の価格によって測定されるのだから」と。こうして
彼は、労働の価値は諸商品の価値を決定し、諸商品の価値は労働の価値を決定する
というひどい循環論法に陥っているのだ。『賃金は諸商品の価格を決定する』という
ドグマは、最も抽象的な言葉で言えば、『価値は価値によって決定される』という事
になるが、この同義反復は、我々が実は価値について全く何も知っていないという
事を意味する。(岩波文庫版P45・選集④p119)

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(1)「6 価値と労働」における価値概念
①マルクスの問題提起。
「第一の問題は、商品の価値とは何か?それは、どうして決定されるか?という事である。」(p46)

②諸商品の交換価値(価値)は、これらの物の社会的機能に他ならず、自然的諸性質とは全く何の関係もないので、我々はまず、すべての商品の共通な社会的実態は何であるか?と尋ねなければならない。それは労働である。」(※労働価値説)
商品生産の為には、一定量の労働が必要であるが、それは単なる労働ではなく、社会的労働である。ある品物を自分自身の為に生産する人は、生産物は作るが商品は作らない。
商品を生産する為には、人は、何らかの社会的欲求を充たす品物を生産しなければならないだけでなく、彼の労働そのものが、社会によって支出される総労働量の一部分を占めていなければならない。それは、社会内の分業に従属していなければならないのであって、商品が価値を持つのは、それが社会的労働の結晶だからであり、その価値の大きさは、それに含まれている社会的実態の量的大小、即ちそれの生産に必要な労働の相対的分量(労働時間)に依存している。だから、諸商品(w)の相対的価値は、それらに費やされた・実現された・固定された・労働のそれぞれの分量によって決定される。同一の労働時間内に生産されうる諸商品の相関的諸分量は相等しい。(※労働に対する報酬(賃金V)と労働量(V+m)とは全く別ものだという事に注意する事!」(※mは剰余価値)

③(商品の価値構成)
「一商品(w)の交換価値を計算するには、それに費やされた労働量(V+m)に加えて、その商品の原料に予め費やされた労働量(c1)と労働過程で援用された用具、道具、機械並びに建物に用いられた労働(c2)、を以てしなければならない。」(p50~51)
(即ち、W=C+V+m、ここでC=c1+c2)(※Cは不変資本)
さらに、1商品の生産に必要な労働量は、使用される労働の生産諸力の変動によって絶えず変動する。労働の生産諸力が大であればあるほど、一定時間内の生産物がより多く生産される。(つまり、1商品に含まれる価値が低下し価格は安くなる。)
④価格は、価値の貨幣的表現に他ならない。


(2)「七 労働力」概念について(※労働と労働力の違いに注意)
①「普通にいう意味での「労働の価値」なるものは存在しない。」
「労働者が(資本家に)売るのは、彼の「労働」そのものではなくて、彼の「労働力」であり、この労働力の一時的な自由処分(権)を彼が資本家に譲渡するのである。」(p58)


②労働力の価値とは何であるか?(p60)
「他の商品価値と同様に、その生産に必要な労働の分量によって決定される。」即ち、「労働力の価値は、労働力を生産し、啓発し、維持し、永続させるに要する必需品によって決定される。」(p61)


(3)「八 剰余価値の生産」(※資本制的生産または賃金制度の基礎)
 資本家は、労働者の労働力を買ってその対価(価値)を支払う事によって、買った商品を消費または使用する権利を得る。労働者の労働力は、彼が働かされる事によって消費または使用される。即ち、労働力の価値は、それを維持または再生産するに必要な労働量によって決定されるが、しかしその使用は、労働者の活力と体力によって制限されるだけである。従って、例えば「紡績工」がその労働力を日々再生産する為に日々3シリングの価値を再生産しなければならないとするなら、彼は、1日に6時間働く事によってそうするであろう。ところが「資本家」は、紡績工の労働力の一日分の価値を支払う事によって、その労働力をまる一日使用する権利を得たのである。だから彼は、紡績工を例えば一日に12時間働かせるであろう。従って紡績工は、彼の賃金、即ち彼の労働力の価値を補填するに必要な6時間を超えて、さらに6時間働かねばならないであろう。この超過分を私は、「剰余労働時間」と名付ける。

この「剰余労働」は、「剰余価値」及び「剰余生産物」において自らを実現する。彼(紡績工)は、既にその労働力を資本家に売っているのだから、彼が生産した生産物の全価値は、・・・資本家のものとなる。だから資本家は、3シリングを投下する事によって6シリングの価値を実現する。そしてその半分は再び賃金を支払う為に支出されるが、残り半分は、資本家によって何らの対価も支払われない剰余生産物を形成する。(※)資本と労働との間のこの種の交換こそは、資本制的生産または賃金制度の基礎であり、そしてそれは、労働者としての労働者及び資本家としての資本家の再生産を引き続き生じさせるものである。(p64)

 (※ 1労働日=必要労働時間(v)+剰余労働時間(m))


(4)「九 労働の価値」について再び。(p65)
『労働の価値または価格』は、実は、労働力の価値(労働力の維持に必要な諸商品の価値)に他ならない。しかし、労働者は、自分の労働が遂行された後に賃金を受け取るのであり、しかも彼は、自分が資本家に与えるのは自分の労働だという事を知っているので、彼の労働力の価値又は価格は、(彼にとっては)彼の労働そのものの価格又は価値のように見える。

つまり、このことから「二重の結果」が生ずる。即ち、
第一に労働力の価値または価格は、労働そのものの価格又は価値のような外観を帯びる事。第二に労働者の一日の労働の一部分だけが支払われて他の部分は不払いであるのに、あたかも総労働が支払労働であるかに見える事。
この間違った外観は、賃労働を、他の歴史的な労働形態から区別づける。賃金制度の基礎の上では、不払い労働でさえ支払労働のように見える。しかし、「奴隷の場合」には、彼の労働のうち、支払われた部分でさえ不払いのように見えるのである。例えば「隷農の場合」、3日間は、彼自身の耕地で自分自身の為に働き、その次の3日間は、主人の領地で強制的・無償の労働をした。この場合には、労働のうち支払われた部分と不払いの部分とが一目瞭然と分かたれている。


(5)「十 利潤は商品を価値どおりに売る事によって得られる。」(※利潤について)
一商品の価値(C+V+M)は、その商品に含まれている総労働量によって決定される。
(Cは不変資本)ところが、その労働量の一部分は、賃金の形態で対価を支払われた価値(支払労働V)に実現されており、他の一部分は、何らの対価も支払われなかった価値(不払労働M)に実現されている。だから資本家は、商品をその価値(C+V+M)で(総労働量の結晶として)売ることにより、必然的に利潤を得て売るはずである。だから、正常的且つ平均的な利潤は、諸商品をその現実の価値以上にではなく、その現実の価値(C+V+M)で売る事によって得られるのである。

(①了、②に続く)