『賃金・価格および利潤』② | kmhamのブログ

kmhamのブログ

資本主義的生産様式の現状と資本論を中心にブログに掲載します。
また、ウオーキングの歩数の記録を継続して掲載します。

(6)「十一 剰余価値が分裂する種々の部分」(※剰余価値の分配について) (・・・以下、①の続き)
剰余価値M、即ち商品の総価値のうち労働者の剰余労働が実現されている部分は、その全部が企業資本家によって収得されるわけではない。それは、①地主に対する地代、②金貸資本家に対する利子、③企業資本家に残る産業利潤又は商業利潤に分けられる。
注意すべきことは、地代、利子、及び産業利潤は、商品の剰余価値の種々の部分に対する種々の名称に他ならないのであり、それらは等しくこの源泉(剰余価値)から、しかもこの源泉だけから生ずるのである、という事。(p70)
(要点)
企業資本家が剰余価値のどれだけの部分を自分の手に留めうるかはとにかく、その剰余価値を直接に労働者から搾取するのは企業資本家である。従って企業資本家と賃労働者との間のこの関係こそは、賃金制度の全体及び現存生産制度の軸点であるという事です。
「もう一つの結論」
商品価値(w)のうち、原料や機械の価値(c)は、決して何らの所得(付加価値)にもならないで、ただ、資本を補填するにすぎない。そして、商品価値(w)のうち、所得を形成する-あるいは賃金(v)・利潤(m)・地代(m)・利子(m)の形態で消費されうる他の部分が、それらの価値によって構成されるというのは間違いであるという事です。
(ここで、w=c+v+m。c:不変資本、v:可変資本、m:剰余価値)
「十二 利潤・賃金及び物価の一般的関係」(略)
(7)「十三 賃金を値上げし又はその値下げを阻止しようとする企ての主要な場合」
「労働日を巡る労資対立の要点」
①労働日自身は、不変の限界を持っている訳ではない。資本の不変的傾向は、肉体的に可能な最大限まで労働日を延長する事にある。なぜなら剰余労働(利潤)がそれだけ増加するから。②労働者がその労働力を売るのは、それを維持する為であって、それを破壊する為ではない。労働者(人間)は機械と異なり、仕事の単なる数字的加算によって見られるよりも大きな比率で衰亡する。③彼らが標準労働日を強要しえない場合、賃上げによって過重労働を阻止しようとする企てにおいては、彼ら自身及び彼らの種族に対する義務を果たすにすぎない。彼等は資本の暴虐な横暴を制止するにすぎない。時間あってこそ人間は発達する。勝手に出来る自由時間のない人間、睡眠・食事などによる単なる生理的な中断は別として、全生涯を資本家の為の労働によって奪われる人間は、牛馬よりも哀れなものである。・・・近代産業の全歴史の示すところでは、資本は、もし阻止されなければ、全労働者階級をこの極度な頽廃状態に陥れる為に遮二無二の働きをするであろう。
賃上げ闘争は、・・・生産額・労働の生産諸力・労働の価値・搾取労働の長さ又は強度・需要供給の動揺に依存し産業循環の種々の段階に照応する市場価格の動揺の先行する諸変動の必然的結果であり、一言でいえば、資本の先行の行動に対する反動である。もし彼が、資本家の意志・命令を永久的な経済法則として受け取って満足するならば、彼は、奴隷の安全さを得ることなしに、奴隷の全窮乏を共にすることとなるであろう。
(8)「十四 資本と労働との闘争とその結果」
最後におこる問題は、「資本と労働との闘争とその結果」についてである。
①利潤については、その最小限を決定する法則は存在しない。なぜか?
我々は、賃金の最小限は確定しうるが、その最大限は確定しえないからである。
我々の明言しうるところは、ただ、労働日の限界が与えられている場合には、利潤の最大限は賃金の生理的最小限に照応するという事、及び、賃金が与えられている場合には、利潤の最大限は労働者の体力と両立しうるような労働日の延長に照応するという事、これだけである。だから利潤の最大限は、賃金の生理的最小限及び労働日の生理的最大限によって局限されている。その現実の程度の確定は、資本と労働との間の絶えざる闘争によってのみ定まるのであって、資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げて労働日をその生理的最大限に拡大しようとしており、他方、労働者は常にその反対の方向に圧迫しているわけである。事態は、闘争者たちのそれぞれの力の問題に帰着する。(p88)
②イギリスにおける労働日の制限の事例。それは法律的干渉によらないでは決して確定されなかった。外部からの労働者の絶えざる圧迫なしには、この干渉は決して行われなかった。一般的な政治的行動の必要自体、単なる経済的行動では資本の方が強いという事を証明している。
③労働(力)の価値の限界については、その現実の決定は常に需要供給に依存する。
資本家たちは、労働の生産力を増す事(生産規模拡大、機械の応用、科学的方法の導入等)によって労働の需要を減少させてきた。この発展は、他方では、熟練労働を簡単化し、その価値を減少させた。
④近代産業の発展そのものは、益々労働者に不利で資本家に有利な状態を生じさせる。資本主義的生産の一般的傾向は、賃金の平均水準を低める事、労働(力)の価値を多かれ少なかれその最小限に圧下することである。しかし、この制度における事態の傾向はこうだとしても、なお、労働者階級は資本の侵略に対する彼等の抗争を断念し、その時々の機会を彼らの状態改善に利用する企てを放棄すべきだ、という事にはならない。
標準賃金獲得のための彼らの闘争は、賃金制度全体と不可分な事象だという事、賃上げの為の彼らの努力は、99%、与えられた労働の価値を維持しようとする努力に他ならない。また、労賃について資本家と争う必要は、自分を商品として売らねばならないという彼らの状態に内在するものだという事は、既に明らかにした。もし彼らが、資本との日常闘争において卑怯にも退却するならば、彼らは必ずや、何らかのより大きな運動を起こすための彼ら自身の能力を失うであろう。それと同時に、また賃金制度に含まれている一般的隷属状態を全く度外視して、労働者階級がこれらの日常闘争の究極の効果を誇張して考えてはならない。忘れてならない事は、彼らが闘っているのは結果とであってこの結果の原因とではないという事、彼らは緩和剤を用いているのであって病気を治しているのではないという事、これである。・・・彼らが理解しなければならないのは、現在の制度は、彼らに窮乏を押し付けるにも関わらず、それと同時に、社会の経済的改造に必要な物質的諸条件及び社会的諸形態をも生ぜしめるという事である。
⑤結論。彼らは、『公正な1日の労働に対する公正な1日の賃金を!』という保守的な標語の代わりに『賃金制度の廃止!』という革命的なスローガンを彼らの旗に書き記さねばならない。」
「まとめ:マルクスの決議案」
第一。賃金率の一般的騰貴は、一般的利潤率の低落を生ずるであろうが、大体において、   諸商品の価格には影響しない。
第二。資本主義的生産の一般的傾向は、賃金の平均標準を高めないで低める。
第三。労働組合は、資本の侵略に対する抗争の中心としては、立派に作用する。
   しかし、その力の使用が宜しきをえなければ、部分的に失敗する。それは、現行制度の結果に対するゲリラ戦に専念して、それと同時に現行制度を変化させようとしないならば、その組織された力を「労働者階級の究極的解放即ち賃金制度の究極的廃止」の為のテコとして使用しないならば、一般的に失敗する。(p93)


以上。((6)「十一 剰余価値が分裂する種々の部分」(※剰余価値の分配について)
剰余価値M、即ち商品の総価値のうち労働者の剰余労働が実現されている部分は、その全部が企業資本家によって収得されるわけではない。それは、①地主に対する地代、②金貸資本家に対する利子、③企業資本家に残る産業利潤又は商業利潤に分けられる。
注意すべきことは、地代、利子、及び産業利潤は、商品の剰余価値の種々の部分に対する種々の名称に他ならないのであり、それらは等しくこの源泉(剰余価値)から、しかもこの源泉だけから生ずるのである、という事。(p70)
(要点)
企業資本家が剰余価値のどれだけの部分を自分の手に留めうるかはとにかく、その剰余価値を直接に労働者から搾取するのは企業資本家である。従って企業資本家と賃労働者との間のこの関係こそは、賃金制度の全体及び現存生産制度の軸点であるという事です。
「もう一つの結論」
商品価値(w)のうち、原料や機械の価値(c)は、決して何らの所得(付加価値)にもならないで、ただ、資本を補填するにすぎない。そして、商品価値(w)のうち、所得を形成する-あるいは賃金(v)・利潤(m)・地代(m)・利子(m)の形態で消費されうる他の部分が、それらの価値によって構成されるというのは間違いであるという事です。
(ここで、w=c+v+m。c:不変資本、v:可変資本、m:剰余価値)
「十二 利潤・賃金及び物価の一般的関係」(略)
(7)「十三 賃金を値上げし又はその値下げを阻止しようとする企ての主要な場合」
「労働日を巡る労資対立の要点」
①労働日自身は、不変の限界を持っている訳ではない。資本の不変的傾向は、肉体的に可能な最大限まで労働日を延長する事にある。なぜなら剰余労働(利潤)がそれだけ増加するから。②労働者がその労働力を売るのは、それを維持する為であって、それを破壊する為ではない。労働者(人間)は機械と異なり、仕事の単なる数字的加算によって見られるよりも大きな比率で衰亡する。③彼らが標準労働日を強要しえない場合、賃上げによって過重労働を阻止しようとする企てにおいては、彼ら自身及び彼らの種族に対する義務を果たすにすぎない。彼等は資本の暴虐な横暴を制止するにすぎない。時間あってこそ人間は発達する。勝手に出来る自由時間のない人間、睡眠・食事などによる単なる生理的な中断は別として、全生涯を資本家の為の労働によって奪われる人間は、牛馬よりも哀れなものである。・・・近代産業の全歴史の示すところでは、資本は、もし阻止されなければ、全労働者階級をこの極度な頽廃状態に陥れる為に遮二無二の働きをするであろう。
賃上げ闘争は、・・・生産額・労働の生産諸力・労働の価値・搾取労働の長さ又は強度・需要供給の動揺に依存し産業循環の種々の段階に照応する市場価格の動揺の先行する諸変動の必然的結果であり、一言でいえば、資本の先行の行動に対する反動である。もし彼が、資本家の意志・命令を永久的な経済法則として受け取って満足するならば、彼は、奴隷の安全さを得ることなしに、奴隷の全窮乏を共にすることとなるであろう。
(8)「十四 資本と労働との闘争とその結果」
最後におこる問題は、「資本と労働との闘争とその結果」についてである。
①利潤については、その最小限を決定する法則は存在しない。なぜか?
我々は、賃金の最小限は確定しうるが、その最大限は確定しえないからである。
我々の明言しうるところは、ただ、労働日の限界が与えられている場合には、利潤の最大限は賃金の生理的最小限に照応するという事、及び、賃金が与えられている場合には、利潤の最大限は労働者の体力と両立しうるような労働日の延長に照応するという事、これだけである。だから利潤の最大限は、賃金の生理的最小限及び労働日の生理的最大限によって局限されている。その現実の程度の確定は、資本と労働との間の絶えざる闘争によってのみ定まるのであって、資本家は常に賃金をその生理的最小限に引き下げて労働日をその生理的最大限に拡大しようとしており、他方、労働者は常にその反対の方向に圧迫しているわけである。事態は、闘争者たちのそれぞれの力の問題に帰着する。(p88)
②イギリスにおける労働日の制限の事例。それは法律的干渉によらないでは決して確定されなかった。外部からの労働者の絶えざる圧迫なしには、この干渉は決して行われなかった。一般的な政治的行動の必要自体、単なる経済的行動では資本の方が強いという事を証明している。
③労働(力)の価値の限界については、その現実の決定は常に需要供給に依存する。
資本家たちは、労働の生産力を増す事(生産規模拡大、機械の応用、科学的方法の導入等)によって労働の需要を減少させてきた。この発展は、他方では、熟練労働を簡単化し、その価値を減少させた。
④近代産業の発展そのものは、益々労働者に不利で資本家に有利な状態を生じさせる。資本主義的生産の一般的傾向は、賃金の平均水準を低める事、労働(力)の価値を多かれ少なかれその最小限に圧下することである。しかし、この制度における事態の傾向はこうだとしても、なお、労働者階級は資本の侵略に対する彼等の抗争を断念し、その時々の機会を彼らの状態改善に利用する企てを放棄すべきだ、という事にはならない。
標準賃金獲得のための彼らの闘争は、賃金制度全体と不可分な事象だという事、賃上げの為の彼らの努力は、99%、与えられた労働の価値を維持しようとする努力に他ならない。また、労賃について資本家と争う必要は、自分を商品として売らねばならないという彼らの状態に内在するものだという事は、既に明らかにした。もし彼らが、資本との日常闘争において卑怯にも退却するならば、彼らは必ずや、何らかのより大きな運動を起こすための彼ら自身の能力を失うであろう。それと同時に、また賃金制度に含まれている一般的隷属状態を全く度外視して、労働者階級がこれらの日常闘争の究極の効果を誇張して考えてはならない。忘れてならない事は、彼らが闘っているのは結果とであってこの結果の原因とではないという事、彼らは緩和剤を用いているのであって病気を治しているのではないという事、これである。・・・彼らが理解しなければならないのは、現在の制度は、彼らに窮乏を押し付けるにも関わらず、それと同時に、社会の経済的改造に必要な物質的諸条件及び社会的諸形態をも生ぜしめるという事である。
⑤結論。彼らは、『公正な1日の労働に対する公正な1日の賃金を!』という保守的な標語の代わりに『賃金制度の廃止!』という革命的なスローガンを彼らの旗に書き記さねばならない。」
「まとめ:マルクスの決議案」
第一。賃金率の一般的騰貴は、一般的利潤率の低落を生ずるであろうが、大体において、   諸商品の価格には影響しない。
第二。資本主義的生産の一般的傾向は、賃金の平均標準を高めないで低める。
第三。労働組合は、資本の侵略に対する抗争の中心としては、立派に作用する。
   しかし、その力の使用が宜しきをえなければ、部分的に失敗する。それは、現行制度の結果に対するゲリラ戦に専念して、それと同時に現行制度を変化させようとしないならば、その組織された力を「労働者階級の究極的解放即ち賃金制度の究極的廃止」の為のテコとして使用しないならば、一般的に失敗する。(p93))

以上。(『賃金・価格および利潤』② 了。)