
プロフィール
- [ランキング]
- 全体ブログランキング
- 45,096位 ↓ランキング下降
- 音楽レビュージャンル
- 410位 ↓ランキング下降
[記事作成・編集]
さあ、今回もクソ長文でございます
やっぱり82年のこの時期の聖子さんって、歌手活動においてとても重要で、かつ充実した時期だったと思うんです。
だから私の方も、書きたいことが盛りだくさんで、つい
それでは番組出演情報から。
更新期間が長くて時間が経過しちゃったので、あまり意味が無いような気もしますが
まずは、FNS歌謡祭に聖子さんが出演するらしいです。
20年ぶりだそうです
やっぱり地上波に出てくれるのは嬉しいです。
出演は第一夜の12月2日、『瑠璃色の地球2020』と『風に向かう一輪の花』を歌うみたいです。
楽しみです
そして12月30日放送、『第62回輝く!日本レコード大賞』では特別賞を受賞されました
なんかよくわからないけど、とりあえず貰えるものは貰っておきましょうw
一番は、聖子さんが地上波に登場する機会が増える、これが嬉しいです
そして紅白出場も決定です、おめでとうございます
さらには同日カウントダウン・コンサートも開催されるということで、おそらく武道館からの中継になるのかな、これは行ける方は楽しみですね~。
「B面で語る松田聖子」、今回は『レモネードの夏』です。
数年前にクマムシの「あったかいんだからぁ」に似てる(もちろんこちらが本家ですがw)、ということで軽く話題になりました。
『Pineapple』にも収録されている、聖子ファンであれば言わずと知れた名曲です。
いきなり余談ですが、この曲をアレンジした新川博さんという方、すみません、私はほとんど知らなかったのですが、結構有名な曲のアレンジされてる方だったんですね。
カルロス・トシキ&オメガトライブの「君は1000%」とか、カバーですが小林麻美さんの「雨音はショパンの調べ」とか。
アレンジで自分が印象深いのは荻野目洋子さんの「六本木純情派」と、本田美奈子さんの「1986年のマリリン」かな~。
ちょっと脱線しますが聴いてみますか
*tomcatさん、ありがとうございます。
*Japan Surplus Musicさん、ありがとうございます。
どっちもダンサブルで激しい楽曲ですが、アレンジでかなり盛り上げてるのは間違いないですね。
そしてもちろん、曲調は全然違いますが、『レモネードの夏』のアレンジも大好きです。
やっぱりアレンジって重要ですよね。
最近若い人の間で昭和ポップスが見直されている、っていう話を聞きますが、その要素の一つに当時の楽曲のアレンジが素晴らしい、っていうことがあるようで、それも納得です。
さて本題。
前回の記事で書いたことの続きです。
>それからもう一つ、髪をバッサリ切ったことについて。
これも同様に、髪を失った代わりに大事なものを手に入れましたね。
何が言いたかったのかというと、聖子さんは聖子ちゃんカットを捨てたことで、より表現力に磨きをかけた、ということです。
この場合の表現とは、「カワイイ」の表現です。
「カワイイ」が、そこに存在するもの、から、そこから表現するもの、に変わった。
聖子ちゃんカットは、社会現象にまでなった、松田聖子=カワイイの象徴です。
聖子さんは、それを文字通りバッサリ捨てました。
それはつまり、その存在自体が「お人形さんのようなカワイイ」松田聖子から、その仕草や表情によって、歌の主人公である「女の子のカワイイ気持ちを表現する」松田聖子になった、ということ。
一応書いておきますが、ショートカットの聖子さんが可愛くない、って言ってるわけじゃないですから
これはあくまで好みの問題で、私からしたらどっともカワイイ(笑)
あくまで、それまで「松田聖子=カワイイ」の象徴であった聖子ちゃんカットを捨てた、ということが主旨です。
もちろん、「女の子のカワイイ気持ちを表現する」松田聖子は、その前から、少しずつ聖子さんの中で育ってきていたと思います。
『夏の扉』とか『Romance』のパフォーマンスなんか見ると、それは感じます。
ただこの時期にきて、その才能が一気に開花した感じがあります。
『Eighteen』と比較すれば一目瞭然。
『渚のバルコニー』のパフォーマンス、半端ないですもん
当然、聖子さん自身はそんなこと考えてるわけじゃなかったと思いますよ(笑)
私から見てそう見える、というだけの話です。
ただ、聖子さんは「歌を歌っている時は誰よりも可愛くいたい」っていう気持ちは強く持っていたでしょうし、そのような発言もよくラジオでしていたと思います。
個人的には、 『渚のバルコニー』からが、真の「ぶりっ子松田聖子」だと思ってます。
もちろんこれは「ぶりっ子=あざとい」みたいな話じゃなくて、あくまで歌の表現者としての、「いい意味でのぶりっ子」の話です
それにしても、あれだけ世間から「ぶりっ子=あざとい」で叩かれてた中で、ここで「真のぶりっ子」をぶち込んでくる、このド根性、凄すぎます
この辺りが表現者として、超越してると思いますね。
とうことで観てみましょう。
『渚のバルコニー』は、本当に素晴らしいパフォーマンスが多くて、あれもこれも全部紹介したいぐらいなんですが、今回はmicさん一押しのこれにしましょう。
*bunshoyouseiさん、ありがとうございます。
いや~、凄いなこれ。
言い出したらキリが無いけど、
♪ばっかねぇ~♪
♪あなたを あ・い・し・て・る♪
ここが特に凄い
これをぶりっ子と揶揄するのは簡単だけど、じゃあこんな表現できる人他にいますか
って話です。
誰もいませんよね(笑)
ましてやこの時代、こんな表現すること自体が異質だったわけで。
後世に再評価されるのも当然です。
何しろこの時期の聖子さん、恐ろしいほどに変化しているというか、成長している感じです。
その成長は、先ほどのぶりっ子の話もそうですし、歌声においてもそうですし。
失ったり、傷ついたりしたことで、それをバネにしてより高く跳ぶ、みたいな。
筋トレに例えると、超回復
「No pain,no gain=痛み無くして成長なし」ってやつですよ。
以前、「1982年の奇跡」というタイトルの記事で同じようなことを書いたと思いますが、このパフォーマンスの歌声なんか聴いていると、ハイトーン・ボイスからキャンディボイスへと、奇跡的な変化が見事に成功しているのを感じます。
キーもレコード音源より半音上げて、より高く澄んだ高音が出るようになっていて、これまた本当に凄い
それから私、ここの所ずっと、「松田聖子はハイトーン・ボイスを失った」って書いてますけども、それだけでは言葉が足りてないです。
確かに高音を張り上げる部分での圧倒的なパワー、それを失った感じはありますが、実は低音部においても同じことが言えるような気がします。
初期の歌声の、あの低音部での深みと言うのか何と言うのか・・・。
一言でいえば「声の太さを失った」ってことになるのかな?
この動画、その辺りの歌声の変遷がとってもわかりやすいです。
*idolpopdatabaseさん、ありがとうございます。
この、色んな感情が凝縮されたような密度が高くて豊かな歌声
『しなやかな夜』とか、本当に凄い。
これは初期松田聖子の歌声において、かなり重要な要素だったと思いますね。
やっぱりこの太い歌声を失ってしまったことは痛い。
痛すぎる・・・。
でもそれと同時に、この声の変遷がなかったら『メディテーション』や『Sleeping Beauty』、『夏の幻想』は成立しなかったんだろうなあ、って思った時に、やっぱりこれで良かったんだ、と心から納得したりします。
82年以降、聖子さんの歌声の調子の良さが語られる時って、もちろん高音が伸び伸び出ていることもあるけれど、同時に歌声に太さが感じられる時が多いような気がします。
それと、私は絶対音感が無いのでよくわからないのですが、聖子さん、喉を傷めたことで高音の音域は確かに狭くなったと思いますが、もしかしたら低音の音域も狭くなっているんですかね?
わかる方、教えていただけると嬉しいです。
それとも単純に、高音が出づらくなった分、全体的にキーを下げたから低音がきつくなったのでしょうか?
それともファルセット気味の発声にしてるから?
『渚のバルコニー』、レコード音源だと、低音部がかなりつらそうです。
TV歌唱も、レコード音源と同じキーだとやっぱり低音部が出しづらそうでした。
ボーカル抽出音源、聴いてみましょう。
*fujisanさん、ありがとうございます。
うん、でもさすがです。
この低音部、出しづらそうな感じが、それはそれでイイんだよなあ~。
微妙に上ずった感じが、『P・R・E・S・E・N・T』じゃないけど恋の微熱感を表現しているみたいで、たまらないです(笑)
この時期の聖子さん、何があっても全てが良い方向に転がっていくんだもの、無敵ですよ
そう、この時期の聖子さん、歌声そのものが持つ表現力が、飛躍的に高まったと思います。
歌声そのものが持つ表現力、というのは、声の表情、と言い換えてもいいかもしれません。
声そのものに表情があるんですよね。
声そのもので、明るさとか、優しさとか、切なさを感じられる。
それはもちろん、あの感情が凝縮された太くて豊かな歌声の時も十二分にありましたが、それがより洗練されてきた、といいますか。
『渚のバルコニー』の声、何て明るいんでしょう
恋の歓びが爆発してるのが、声だけで伝わってきます。
あ、今気づきましたけど、今まで長々と語ってきたのって、『レモネードの夏』というより『渚のバルコニー』の話でした(笑)
今さらですが、『レモネードの夏』のA面が『渚のバルコニー』。
もちろん、『レモネードの夏』だって、声の表現、もの凄いです。
『制服』が大ヒットし、女性人気も沸騰していたパラレル聖子。
しおきゅうPは、次回作も松任谷由実に曲作りを依頼しようと決めていた。
今後、『制服』は卒業シーズンの定番曲になるであろう。
次のシングルの発売は4月21日。
ならば次は夏の定番曲を作ろう。
それも初夏の香りがする曲がいい。
まだ蒸し暑くない、爽やかな夏。
こうして『レモネードの夏』が出来上がってきた。
作詞は松本隆、アレンジは新川博。
いいぞ、思った通り、狙った通りの曲じゃないか。
これなら今の聖子の声の特性を生かせる。
しおきゅうPは、パラレル聖子の歌声が復活してきているのを感じていた。
いや、復活とは違うかもしれない。
以前の声質とはまた違う、新たな声質が、今まさに生まれてくるような感覚。
そして、その新たな声質を、この曲なら生かすことができる、そう直感したのだ。
この時期の聖子さんの歌声の復活、というより、「歌声の生まれ変わり」について、さっきは筋トレに例えましたが、短歌や俳句をイメージした方が近いかもしれません。
短歌や俳句って、文字数を制限をすることで、かえって表現が深くなって味わいも深くなりますよね。
その中で、枕詞とか季語とか押韻とか倒置法とか、味わいをより深くするために技巧も洗練されてくる。
この時期の聖子さん、まさしくそんなイメージで、それが一番感じられるのが『レモネードの夏』なんです。
例えばトマト栽培。
トマトは水分を制限した方が甘くなる、なんていう話を聞きます。
あるいは植物の根っこの話。
水栽培されるヒヤシンスは、根を伸ばす必要がそれ程ないから、短い根で済んでしまうそうです。
何故なら水が豊富にあるから。
しかしながら。水が無い所では、植物は水を求めて根を伸ばして張り巡らせる。
さらに言うと断食。
断食すると何故か視力が良くなる、っていう話をよく聞きます。
生命の危機を感じて人間の本来持つ力が呼び覚まされる、ということなのでしょうか?
もちろんこれらの話について、私は植物の専門家でもないし断食経験者でもないので実際のところはわかりませんが、あくまで例え話です。
つまりは一番必要なものを制限されることで、反対に自らの持つ潜在能力が目覚める、あるいは飛躍的に能力が高まる、といったお話。
その結果、水分が制限されたトマトが甘くなるように、聖子さんの歌声も、より甘いキャンディボイスへと変わっていきます。
もしかしたら、それを「甘ったるい」と感じる人もいるかもしれませんが、私はそうは感じません。
何故なら「松田聖子という果実」は、甘いだけじゃなく、とっても瑞々しい(水々しい)からです。
『レモネードの夏』、明るさと切なさと瑞々しさが同居した、何とも言えない魅力がある曲ですね。
では聴いてみましょう(やっとw)。
どうぞ~。
『レモネードの夏』
作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂
編曲:新川博
*yuyuta123sさん、ありがとうございます。
あ~何てイイ曲
これもシングル余裕でございます。
まず感じるのは、聖子さんのボーカルの緩急の凄さ。
♪揺れる木漏陽を見たの♪
♪あとあなたに逢えれば♪
の語尾の♪見~たの♪の♪たの♪の部分とか、♪逢えれば♪の部分で、スッと抜くような感じ、っていうのかな。
その直前で声を張り上げておいてスッと抜く、みたいな。
でもこれって、ご本人はテクニックとして使ってるというより、歌の世界をより表現する為に自然にやっている、というか、自然にそうなっちゃってるんだと思うんですよね。
決して誰かに指導されてこう歌ってるとか、そういうことじゃないと思います。
そして歌声の表情。
♪逢いたいのは未練じゃなく
サヨナラって涼しく言うためよ♪
♪今は私も20才
自由に生きる事を覚えながら
一人で生きてる♪
の所は、他のパートとはまた違う、それこそ明るいんだけどちょっと憂いを含んだような声の表情を感じます。
何と言っても凄いのは、ここ。
♪冷えたレモネード 薄いスライスを
噛めばせつなさが走る♪
レモンの甘酸っぱさと共に、「切なさ」が口の中に広がっていくこの感じ、メロディと歌詞と、そして聖子さんの歌声が三位一体となった、至上の表現だと思うのです。
夏の暑さと避暑地の爽やかさ、恋を吹っ切ろうという気持ちと実はまだ未練がある気持ち、レモネードの甘さと酸っぱさ、この相反するものが絶妙に同居した味わいを表現しているこの歌声。
まさしく「アンビバレント聖子」の真骨頂。
本当に、この時期の聖子さんの歌声にピッタリ合う曲じゃないでしょうか。
これは何としたことだ。
しおきゅうPは、驚愕するしかなかった。
聖子は、81年にハイトーン・ボイスを、そして太くて豊かな歌声を、失った。
これは松田聖子という歌手にとっては、歌手生命の危機だったはずだ。
私自身、聖子の歌手生命が終わるのも覚悟せざるを得ない状況だった。
しかし、まさかこんなことになるとは。
あの危機から立ち上がる、どころか、さらに高く跳んでくるなんて。
あの、聖子の最大の武器だった歌声の「死」も覚悟しなければならない状況の中で、自らの持つ潜在能力が目覚めて、とんでもない能力が覚醒した、ということなのか。
聖子は確かに俺が見出した天才だが、もうその遥か上を行っているのか・・・。
では最後に、やっぱりこの動画、このブログでも何度も取り上げさせていただいてますが、観るしかないですね。
この『レモネードの夏』も歌っているトロピカルアイランド・メドレー、まさしく
>その中で、枕詞とか季語とか押韻とか倒置法とか、味わいをより深くするために技巧も洗練されてくる。
という感じで、素晴らしいテクニックが至る所で使われております。
くどいようですが、その技巧、聖子さん本人にとっては自然に歌っているだけの話だと思いますw
さあ、聖子マニアのオッサン達のコメントが溢れるパラダイス動画
この動画のコメント見れば、私の言いたいことも伝わるはずです(笑)
*Yukkiさん、ありがとうございます。
わかります?この素晴らしさが。
要するに一般的な歌唱の評価と同じ基準で見聞きしてたら、この素晴らしさはわからんと思うのですよ。
音程が楽譜通り正確だ、とか、声量が凄い、とか、いつどこで歌っても同じように正確に歌える、とか。
そんな当たり前の評価基準では、この素晴らしさは理解できない。
この歌唱の素晴らしさがわかるかどうかで、聖子ファンになるかならないかの分岐点がある、そう言っても過言ではない(笑)
もちろんこのブログ読んでくださっている皆様はよ~くわかりますよね。
『レモネードの夏』だと、
♪あ~と あなたに~ 逢えれば♪
の絶妙な落とし具合、そして
♪もっお~ん 一足♪
の所、神が宿っている、としか言いようがない
そしてやっぱり一番凄いのは、ニコ動のコメントでも書かれているけれど、曲によって声が変わるところ。
『潮騒』から『ピンクのスクーター』への声の切り替え、半端無いッス。
その後の展開も、曲に合わせた声の表情を、これまたごく自然に使い分けて発声している。
『レモネードの夏』では、何故かこの曲だけハスキーになってますね。
まさしく、
平たく言うと、天才
『レモネードの夏』は、『制服』に続き順調にベストテンにランクイン、1位も獲得した。
もはや松田聖子は完全に女性アイドルとして、同時に女性シンガーとしても、トップを独走する形となったが、しかしこの年、多くの新人女性アイドル歌手もデビューしていた。