「松田聖子」におけるプロレス的考察 | 「松田聖子」という奇跡

「松田聖子」におけるプロレス的考察

10月1日、「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが亡くなりました。

ショックでした。

私にとっての猪木さんは、少年時代のヒーローでしたから。

猪木さんに憧れ、聖子さんに恋をしていたあの頃、懐かしい・・・。

そういえば、聖子さんがやっていたラジオ「愛にくちづけ」に、猪木さんがコメント出演したこともあったなあ・・・😌

 

また10月1日と言えば、神田沙也加さんが36歳の誕生日を迎えるはずだった日でもあったので、色々な思いが交錯した一日となりました。

沙也加さんへの思いは沙也加さんブログの方に書いたので、こちらでは猪木さんのことを。

 

え?

聖子ちゃんには関係ないでしょ、ふざけてるのか!

って言いたくなるのはわかります😱

でもこの記事のタイトル通り、聖子さんとプロレスについて語ることで、猪木さんの追悼をさせていただきたいな、と。

松田聖子とプロレスなんて全然関係ない、というか、対極にあるようなイメージなんですが、かつて私は「松田聖子はプロレスラーである」という記事を書いたこともありまして(笑)、今回の記事はその内容を大幅に加筆・訂正をしたものになります。

だからふざけてないんです、大真面目に語らせていただきますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

松田聖子ほどプロレスラーとして相応しい人はいない、真剣にそう思っているので🧐

どうせならリングネームを・・・。

そうだな、フローレス・セイコ・・・、じゃなくて

 

プロ―レス・セイコ

 

にしましょうか😁

(やっぱりふざけてますねw)

 

プローレス・セイコは、正真正銘のベビーフェース(善玉レスラー)でした。

プロレスでは暗黙のうちに認められている反則攻撃なんて絶対にしない、究極のベビーフェース。

デビュー当時のファイトスタイルは、初代タイガーマスクに似ていたかも。

華麗なる空中殺法で人気が沸騰しましたが、何故かアンチも多かった。

きっとそれは、強くない(歌が下手な)くせにカッコつけてばかり(ぶりっ子)、と思われていたから。

 

 

 

 

いや~、どちらも理屈抜きに楽しい~アップアップアップ音譜音譜音譜

 

やっぱり色々言われるわけですよ、実力もないくせに、あんなのニセモノだ、って。

でもね、初代タイガーマスクの佐山聡さんって実はメチャクチャ強い人で、後にシューティングという格闘技の創始者となって、今の総合格闘技へと発展する礎を築いた方なんです。

見る人が見ればわかるとは思いますけどね、身体能力とか技のキレとが半端無いですもん。

 

プローレス・セイコだってそうですよ、当時結構真剣に言っていた人いましたから、「聖子は歌が下手だ」って。

まあ確かに、あれだけの空中殺法(ブリ技w)で翻弄されたら、歌聴くどころではないかもしれないけど(笑)

っていうか、プロ―レス・セイコの繰り出す技は、ある意味反則www

 

それとプロ―レス・セイコの場合は女子レスラーですから、コスチュームの華麗さ、っていうのも重要な要素です。

その点、プロ―レス・セイコはファンを飽きさせませんでした、っていうより、完全に翻弄してましたよ(笑)

 

 

 

こりゃたまら~ん😍😍😍

 

さて、1972年に猪木さんが旗揚げした新日本プロレスは、「ストロング・スタイル」を掲げて強さを前面に押し出した団体でした。

プロレスという「虚」と「実」が入り混じった世界で、いざとなったら相手を潰すぞ、という雰囲気がリングから滲み出ており、そこが魅力的でもありました。

 

また猪木さん個人は、異種格闘技戦という禁断の分野にも挑戦しました。

「世紀の凡戦」と言われた猪木対アリなんて、今振り返ってみると痺れるようなスリリングな闘いでしたし、実現したこと自体がアンビリバボーですよね。

ボクシングの現役世界ヘビー級王者、その中でもひと際輝くスーパースターであるモハメド・アリとリングで向き合ったのですから、スケールで言うと、先日のメイウェザー対朝倉未来(みくる)の比ではありません。

 

プローレス・セイコの場合、そうしたアピールこそしないものの、こういう歌唱は異種格闘技戦と言っても良いと勝手に思っています。

当時は「演歌歌手=歌が上手い」(一番強い)、という認識が一般的だったわけで。

 

 

いや~、ホンットに上手い、ほれぼれしますね~音譜音譜音譜

そして派手な空中殺法(ブリ技)が無くても、しっかりと観客を魅了しちゃってます。

 

さらにプローレス・セイコが凄いのは、完全に相手の土俵にたって試合をしているところ。

つまり、プロレスラーなのにボクシング・ルールで戦って、そして見事にパンチでKOする、っていうとんでもないオールラウンダー(笑)

それでいて、アイドル・レスラーとしての「華」は、決して失っていない。

あくまでプロレスラー(アイドル歌手)として、ボクシングをしているこの凄さよ。

五木ひろしさんは・・・、完全に演歌ルールで歌ってますね😆

 

エンターテイナーとして超一流だけれども、いざとなったらメチャクチャ強い。

ここにファンは痺れるし、思い入れも強くなる。

でも今のプロレスは完全なエンタメ路線だと思いますし、ファンもそこに「強さ」を求めてはいないような気がします。

完全に割り切って、楽しければいいや、という感じなのかな?

もちろん見れば楽しめますし、これは個人の好みの問題ですが、私個人は、そこに「強さ」という幻想が無ければ、感情移入ができないんですよね~。

 

同じようにアイドルの世界も、そこに歌唱力なんて求めてない気がします。

そもそも口パクが当たり前の世界になっていますし。

もちろんそれはそれで楽しめればいいとは思いますが、私は物足りないです。

(ごめんなさい、これも個人の好みの問題です<(_ _)>)

 

 

かといって、どちらの世界も実力(強さ、歌の上手さ)だけで序列や人気が決まるわけではないんですね。

先程も書きましたが、エンタメという世界においては、やっぱりそこに「華」がなくちゃトップには立てない。

そこが難しい。

 

もっともそれは、純粋な格闘技だって一緒なんですけどね。

モハメド・アリだって、強いだけじゃなくて華もありました。

要するにジャンルを問わず、スーパースターはどちらの要素も備えている、ということなんでしょう。

 

猪木さんは、実に「絵になる」レスラーでした。

 

 

序盤で対戦相手に向けて手を伸ばしていくところとか、インディアン・デスロックを決めた時のポーズとか、リングコールを受けてガウンの紐を持って両手を挙げるところとか、本当にカッコ良かった。

 

そして引退した後も、例えば格闘技の大会に出てきて、

「1、2、3、ダァービックリマーク

だけで盛り上げてました。

あれはまさしく「華」ですよね。

 

歌の世界も同様です。
どんなに歌唱力があっても、国民的歌手になるには、やっぱり「華」も必要。

 

プローレス・セイコについては、今さら言うまでもありませんよ(笑)

以前も書きましたが、同じポーズなのにこの違い、ですよ。

対照的な雰囲気ですが、どちらも実に「絵になる」し、華がある。

 

 

さらにもう一つ、プロレス特有の要素として、「受け」というものがあります。

相手の技を受ける。

それも、相手の技が見栄え良く見えるように、受ける。

相手レスラーを光らせるために。

スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ビックバン・ベイダーといった後の名レスラーたちは、アントニオ猪木との対戦が無ければ、あそこまでの選手になれたのかどうか・・・。

 

こんなこと、格闘技ではあり得ないですし、だからプロレスは胡散臭いと言われても仕方ないと思います。

確実に勝利を引き寄せるために、そしてより自分の強さを見せつけるためには、相手の技を封じなければならないので。

「なんでロープに振られたら戻ってくるの?」ってやつですよ。

でもそこが、プロレスの奥深いところでして。

 

猪木さんの全盛期なんかは、その辺りのバランスが素晴らしかったです。
プロレスは、ただ単に自分の強さを見せつけるだけでは駄目。
対戦相手のいい所を引き出して、光らせた上で勝たなくてはいけない。
相手がテクニックで来るならテクニックで、反則技で来るならラフファイトで、どんなスタイルでも応戦できる。
かつ、その中で、時折自分の強さも垣間見せる。

じゃあ、プローレス・セイコは?

よく言うでしょう、「松田聖子は楽曲に恵まれた」って。

でも違うんですよ。

 

プローレス・セイコは、ただ単に自分の強さ(歌唱力)を見せつけるわけではありません。

対戦相手(楽曲)のいいところを引き出して、光らせた上で歌い上げる。

だから対戦相手(楽曲)の素晴らしさが、より際立つんです。

楽曲がポップな感じなら楽しく、バラードであれば切なく、ポップス・ロック・ジャズ・ボサノヴァ、サンバ等、どんな曲調でも、セイコ色で歌いこなしてしまう。

かつ、その中でも時折歌唱力という「実」を垣間見せる。

この点、歌唱力に自身がある歌い手さんは、下手をするとプロレスラーでなく格闘家になってしまいますね。
自分の強さ(歌唱力)を見せつけることで、満足してしまう。

どう?

私ってこんなに強い(上手い)のよ、って。


それこそ、プロ―レス・セイコは、その辺りのバランスが絶妙だと思うのです。

 

そしてプロ―レス・セイコの必殺技。

七種類のスープレックス(七色の歌声)です。

このスープレックスの描く弧の美しさは唯一無二、誰にも真似できない奇跡の技(歌声)。

私たちは、そのスープレックス(歌声)の美しさに、惚れ込んだわけです。

 

この投げ方(歌い方)は、松田聖子にしかできない!!

 

って。

 

 

どーですか、皆さん!?(猪木さん風にw)

プロ―レス・セイコが超一流の、そして伝説のアイドル・レスラーであることが、わかりましたか?

 

でもね、これだけじゃないんです。

これで終わらなかったんですよ、プロ―レス・セイコは。

なんと、あのベビーフェース(善玉レスラー)の象徴だったプロ―レス・セイコが、ヒール(悪役レスラー)になる日がやってくるんです。

これはもう、本当にショックな出来事でした😱

ショックのあまり、プロ―レス・セイコから離れてしまったファンもたくさんいたとか(すみません、私もその一人でした💦)。

 

1990年、プロ―レス・セイコは全米に進出。

それを機に悪役レスラー「Scandalous Seiko(スキャンダラス・セイコ)」と名乗り、ファイト・スタイルも180度変わります。

 

 

えええ???

こ、これがあの、キュートでプリティで清純可憐な、プロ―レス・セイコなのか・・・!!

 

 

この変化の落差って、私の脳内で換算すると、このぐらいのインパクトになります🤣

 

 

 

そして日本に凱旋帰国しても、あくまでヒールを貫くScandalous Seiko!!

後に「95年スタイル」と言われ、伝説となるラフファイト、ご覧あれ~(笑)

 

なんだコレは~😱

な、なんだコレは~😱

ポールという凶器を使った、まさに反則攻撃だ~(笑)

アイドル・レスラーだったはずなのに、こんなことをしていいのか~はてなマークはてなマークはてなマーク

 

というわけで、すっかりクールで妖艶な悪役レスラーとなったScandalous Seiko。

その姿勢はプライベートを問わず徹底していて、時にスキャンダラス・クイーン(北斗晶の代名詞:デンジャラス・クイーンからw)と呼ばれることも🤣🤣🤣

 

この当時の嫌われっぷりは凄まじく、ダンプ松本・ブル中野・アジャ・コング・北斗晶が束になってもかないません(笑)

ほとんどの国民に嫌われていた、と言っても過言ではないぐらい。

国民的アイドル・レスラーから、国民的ヒールへ。

でも今考えると、それってヒールとしては最高の栄誉かもしれません。

 

最近思うんですよ。

プロ―レス・セイコが、生涯アイドル・レスラー(永遠のアイドル)と言われるのは、このヒールだった時期、Scandalous Seikoがあったからこそなのかな、って。

 

ここで思い出すのが、ジャイアント馬場さん。

馬場さんのプロレスは、「王道」って言われるぐらい、プロレスの基本に忠実なプロレス。

当時よく、プロレス内プロレス、なんて言われていました。

要するに、プロレスのルールからはみ出さない人。

だから馬場さんが旗揚げした全日本プロレスは、安心して観ていられるプロレスでしたし、それはそれで好きでした。

 

でも猪木さんのプロレスは、いい意味でも悪い意味でも何が起きるのがわからない(笑)

異種格闘技戦もそうですし、国際軍団との1体3の死闘、正規軍と維新軍の抗争、格闘プロレスUWFの誕生、巌流島の闘いとか、海賊男とか、たけしプロレス軍団とか、もう色々。

あまりの出来事にファンがついて行けず、時に会場が暴動になることも(笑)

 

プロ―レス・セイコも、アイドル・レスラーとしての「王道」を行く選択肢があったと思うのです。

っていうか、普通はそうするでしょう、まさにアイドルの中のアイドルだったんだから。

でも、プロ―レス・セイコはそうしなかった。

Scandalous Seikoとして、あえて「王道」を踏み外したんですね。

だから、日本中で暴動(バッシング)が起こった。

 

もし、プロ―レス・セイコが「王道」を歩み続けていたら?

う~ん、どうなんでしょうね。

私も含めた多くの、特に当時の男性ファンはそれを願っていた人が多かったと思いますが、でも今のプロ―レス・セイコは無かったような気がします。

 

だって何も変わらなかったら、花は少しずつ枯れていくのだから。

少しずつ少しずつ、その輝きは色褪せていくんです。

 

でも、プロ―レス・セイコは変わったんです。

淡いピンクから、どぎつい紫に(笑)

その瞬間、花はまた違った色合いで、輝いたんだと思うんです。

 

 

今になって、この紫の良さがわかるとは、実に感慨深い🧐

ヒール・レスラーの価値がわかるようになると、プロレス観戦の玄人になった気分になるのと一緒です(笑)

 

 

いや~、ホントに美しい😍😍😍

 

そうやって、様々なチャレンジをしてきたプロ―レス・セイコだからこそ、ここ一番で淡いピンクに染まった時も、新鮮でいられるのだと思うのです。

 

今年の夏コンに参戦して、それを思い知らされた私でした(笑)

・・・実は馬場さんだって、アメリカ修業時代は悪役レスラーとして大人気だったんですけどね😉

 

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*追記

この記事について、ツイッターでhiro.sendaiさんからこんなコメントをいただきました。

 

>これは面白い考察! 私もプロレス世代だったので凄く分かります。 

聖子ちゃんは王道、良い意味でのワンパターン。

 でも私達はそれが良かったりもする。

 同一人物でヒールになるのは武藤・ムタを連想しました。 

アンチが多いことでは女子プロですがキューティー鈴木を思い出しました

 

いや~、これは鋭いコメントですよ👍

確かに、夏コンの構成とかみると、まさしく「王道」って感じですね。

多くのファンがそれを心地良く思っているのも納得です。

でもここらでキラー・セイコが発動して、そういうものをぶっ壊してみても面白いような気もします(笑)

武藤・ムタっていうのは、本当にその通り!!

 

 

キューティ鈴木さんにアンチが多かったのは、きっと可愛すぎたからでしょう。

聖子ちゃんと一緒です(笑)

 

プロレスネタで考えると、色んなパターンがありそうですね^^

hiro.sendaiさん、楽しい話題をありがとうございました😊

 

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それでは最後に、猪木さんの名言を。

猪木さんの言葉って、何故か聖子さんにピッタリ当てはまるようなものが多くて。

書き出すとキリが無いので止めておきますが、お互い波乱万丈の人生、普通だったらとてもじゃないけど耐えられないような試練を乗り越えて来た人だから、共通する部分も多いのかな?

 

・・・もちろん私の勝手な思い入れです😆

いくつか挙げてみましょう。

 

・俺は人が喜んでくれるのが、生きがいというか喜び。

 

・人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに、年老いていくのだと思います。

 

・子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て。

 

・元気が一番、元気があれば何でもできる!

 

・道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ!

 

・派手に見えれば見えるほど、裏で地味な努力をしているのがあらゆる世界のプロだ。

 

 

皆さん、どーですか!?(笑)

まさしくこれは、聖子さんにも当てはまる感じ、ありませんか?

一流のプロフェッショナルはどこか通じているものがある、ということでしょうか?(無理やりw)

 

そして最後はやっぱりこの言葉。

若松さんの著書「松田聖子の誕生」を読んだ後なので、歌手デビューするために東京に出てきた時の、17歳の法子さんに贈りたい言葉だと思ってしまいました。

 

13歳でブラジルに移住、過酷な労働を経験した後、力道山にスカウトされて日本に帰国し、日本プロレスに入団したのが猪木さん17歳のとき。

いきなり日本に帰国して右も左もわからない中、プロレスという未知の世界に飛び込んだ時の心境って、なかなか想像できないなあ・・・。

 

そしてその栄光のキャリアのスタートが、法子さんと同じ年齢だったのですね。

 

 

 

すると父親が言った。

「法子ちゃん、いまから一緒に久留米に帰ろう!!」

しかし聖子は泣きながらもきっぱりとした口調で答えた。

「帰りません!私はがんばります!!」

 

この道をゆけばどうなるものか

危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし

 

 

踏み出せばその一足が道となり

その一足が道となる

 

 

迷わず行けよ 

行けばわかるさ

 

1・2・3、ダー!!メラメラメラメラメラメラ

 

猪木さん、ありがとう😊