予想されてはいたことだが、ナウルが台湾と断交したようだ。[2024.1.15]
https://www.bbc.com/news/world-asia-67978185


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*台湾は独立国か
以前国の定義の話を書いたが、常に問題になるのが台湾が国なのかという点。

国家の基準を国連加盟の有無や、外交関係を持つ国の数に求めると、台湾は独立国と言い難いともいえる。

*中国の攻勢と台湾との断交
近時、中国が「一つの中国政策」のもと、台湾友好国に圧力をかけ続けている。台湾は中国の一部だから台湾と外交関係を破棄して中国を承認しろ、と。

そして、中国と外交関係を結ぶとなると、台湾との断交は避けられず、また一つ台湾と外交関係を有する国が減ることになる。

そして、次期総統選で、蔡英文路線を継承する頼清徳が勝利(2024.1.14)した翌日、ナウルの台湾断行が発表された

反中志向のつよい蔡英文政権になってから、台湾と断交して中国と国交を結んだ国は、合計9か国にも及ぶことになった。



*近年台湾と国交を断行した国
2024.1 ナウル(蔡英文政権下)
2021.12 ニカラグア(蔡英文政権下)
2019.9 キリバス(蔡英文政権下)
2019.9 ソロモン諸島(蔡英文政権下)
2018.8 エルサルバドル(蔡英文政権下)
2018.5 ブルキナファソ(蔡英文政権下)
2018.4 ドミニカ共和国(蔡英文政権下)
2017.6 パナマ(蔡英文政権下)
2016.12 サントメプリンシペ (蔡英文政権下)
2013 ガンビア
2007 コスタリカ

*残る13の内訳:
12国連加盟国+バチカン
アフリカ(1): エスワティニ(旧スワジランド) 
カリブ(4): セントキッツ セントルシア セントビンセント ハイチ
中米(3): ガテマラ ホンジュラス ニカラグア(2021.12断交) ベリーズ
南太平洋(3): マーシャル ナウル パラオ ツバル
南米(1): パラグアイ
欧州(1):バチカン

・・・見事に弱小国家のみだ。

GDPトップ100にかろうじて入るのは(データのばらつきあり)、ガテマラ・パラグアイのみ。

*次に台湾と断交する国
はどこだろうか。

・パラグアイ?
中国が、南米のパラグアイに対して、中国との国交樹立を条件として、ワクチンを提供しようとしている、という報道が先日あった。パラグアイは、南米で唯一台湾と外交関係を有する国。

・ガテマラ・ホンジュラス?
ニカラグアが落ちたので、周辺国も続く可能性はある。けれどこの2か国はかなり親米で、ニカラグアは伝統的に左派なので、事情が異なるのではないか。

・セントビンセント?
先日(2021年4月)火山が噴火して、多額の復興資金を必要としている、セントビンセントも、中国に落とされ台湾と断交するリスクが高い国ではないだろうか。いや、アメリカが資金援助する際の条件として、中国と国交を結ばないことを条件とするならば、現状維持が続くか。

・ツバル?
中南米と比べれば、アメリカ依存が低い、太平洋諸国の方が、寝返りリスクは高いのかもしれない。米軍基地があるマーシャルはともかく、ツバルは危ないように思う。

・エスワティニ?
アフリカ唯一の国交保有国であるエスワティニを落とした方が、中国の宣伝効果・台湾へのダメージは強そうだ。中国が攻勢にでそう。

・ブータン(参考)
ブータンは台湾と国交を結んでいないが中国とも国交を結んでいない。中国ブータンは国境画定協議を加速させており、それが完了すれば正式に中国と国交を結ぶことになるのではないか。

英語Wikiによると、ブータンは、国連加盟国で唯一、中国とも台湾とも国交を有していない。中国がブータン領内を秘密裏に侵食し村を建設しているという報道が先日あったが、中国への警戒心か、中国と対立するインドとのバランスか(インド人はブータンを保護国と考えており、ブータン人はインドでビザなしで居住・就労できる)。いずれにしても、中国と国境を接しているブータンが、中台間の「中立的」な立場を保持できているのが面白い。


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[2010.10.24記」

台湾と外交関係を有する国は現在23.バチカンは国連未加盟なので国連加盟国に限定すれば22。

2007年、コスタリカが台湾と断交して中国と外交関係を結んだ。それまで経済的に支えてきた台湾をコケにするような記者会見で、台湾人でなくても心が痛むものだった。コスタリカは中米有数の経済大国で、他の中米諸国への影響も予想されたが、他の国に台湾外交見直しの波は押し寄せなかったようだ。大局的に見れば、見直しは時間の問題かもしれない。

Belize (1989)
Burkina Faso (1994)
Dominican Republic (1957)
El Salvador (1961)
Gambia (1995)
Guatemala (1960)
Haiti (1956)
Honduras (1965)
Kiribati (2003)
Marshall Islands (1998)
Nauru (1980–2002, 2005)
Nicaragua (1990)
Palau (1999)
Panama (1954)
Paraguay (1957)
Saint Kitts and Nevis (1983)
Saint Lucia (1984–1997, 2007)
Saint Vincent and the Grenadines (1981)
São Tomé and Príncipe (1997)
Solomon Islands (1983)
Swaziland (1968)
Tuvalu (1979)
Vatican City (The Holy See) (1942)

以上 Wiki英語版より

地域別に整理すると中米・アフリカ・南太平洋に集中している。

アフリカ4:ガンビア サントメ スワジランド ブルキナファソ
カリブ5 セントキッツ セントルシア セントビンセント ドミニカ共和国 ハイチ
中米6 エルサルバドル ガテマラ ホンジュラス ニカラグア パナマ ベリーズ
南太平洋6 キリバス マーシャル ナウル パラオ ソロモン ツバル
その他2  パラグアイ (バチカン)

北マリアナはグアム同様、太平洋に浮かぶアメリカの自治領だ。サイパン、ロタ、テニアンの3島からなり、日本人観光客も多く訪れる。けれど、観光客の多いサイパン島はともかく、ロタ・テニアンは車がないと移動が難しい。

そのため、ペーパードライバーで、メカに弱く、おまけに方向音痴の私も、ロタ・テニアンでは、やむを得ずレンタカーを利用することになった。

 

ロタでは、ビーチに車をすすめ、スタックして、レッカーを呼ぶことになった。砂浜も走れる気がしたのだが、タイヤが空回りしてとても駄目だった。板を敷きながら脱出するなどもできたかもしれないが、周りに人もおらず、不慣れな私には限界だった。

レッカー代は200USDくらいかかった。

 

テニアンにはサイパンから日帰りで行った。ここでも、空港の前のレンタカー屋で車を借りて行った。受付は40歳くらいの愛想のよいおばちゃんだった。おばちゃんは、地元のチャモロ人ではなく、フィリピン人だという。子供をフィリピンに残して、出稼ぎに来ているのだと。グアムでもサイパンでもフィリピン人は結構見かけた。

 

テニアンでは戦跡を中心に見て回ったが、レンタカー屋に戻る途中で、私は運転を誤り車はスピン。サトウキビ畑に突っ込んでしまった。周りに人もおらず、通る車もないところだったが、レッカー車を呼ばずに何とか自力で脱出。自分にも周りの人にも怪我がなくて幸いだった。

 

車を降りて確認したところ、タイヤが一つパンクしてしまったようだ。パンクした弾みでスピンしたのか、スピンした衝撃でパンクしたのかは分からなかった。ナンバープレートには、サトウキビの茎や葉っぱが絡まっている。ゆっくりとではあるがタイヤがパンクしたまま車を走らせ、そのままレンタカー屋まで直行した。このあと、サイパンまで行って乗継、帰国する予定で、便を逃したくなかったのだ。

 

フィリピン人のおばちゃんには、ありのままを話した。スピンして、サトウキビ畑に突っ込み、タイヤをパンクさせていると。さらに車体に傷もつけたかもしれないと。おばちゃんは、タイヤの破損を認定。パンク修理では不十分なようで、タイヤ交換代をチャージするという。車体の傷もいくつかあるということで、紙に車体の場所を赤ペンでまるく示された図とともに、修理代金を記載された紙に署名させられた。約300USDだった。代金は、クレジットカードでその場で清算した。レンタカー代をはるかに上回る損失となってしまったがやむを得ない。

 

清算がすんで、私は、テニアン空港からセスナ機にのりサイパン空港に到着、そしてサイパンから成田までの国際便に無事チェックイン。乗り継ぎ時間に余裕はなかったが、これで安心だ。アメリカは入国審査こそ厳しいが、出国手続きはなく出国印も押されないので、国際便の搭乗手続きを終えると、直ちに搭乗口に向かった。

 

すると、館内放送で私の名前を呼んでいるのに気づいた。空港スタッフまで連絡しろということだ。忘れ物でもしたのだろうか、思い当たるものはないが。

 

搭乗口までたどり着いてはいなかったが、近くの女性空港職員を見つけて、呼び出しをされている旨を伝えた。女性職員は、内線でどこかに連絡を入れ、私の情報を伝えると、誰かが迎えに来るようで、しばらくそこで待てと言われた。

 

数分してやってきたのは、制服を着た警察官だった。

 

えーなになに??

 

地元チャモロ人と思われる浅黒い肌。半袖の制服からは、にょっきり太い腕が。昼間で室内なのにサングラスをしており表情は見えないが、笑顔はない。私は過去に入管トラブルをいくつか抱えており、反米国にもよく出入りしているため、個室で尋問されることはしばしば。アメリカの空港は緊張するので苦手である。

 

警察官は、私の名前を確認して尋ねた。

 

警察:テニアンでレンタカーを利用しましたか。

km:はい、利用しました。

 

警察:車の修理代が未払いのようなのだけど、払いますか。

km:え、修理代はすでに払いました。

 

警察: いや、車返却後に見つかった傷の修理代を払ってくれ、と、レンタカー屋が言っているようです。

 

【ナンバープレート、70USD、といった手書きのメモを見せられた。】

 

レンタカー屋が私の修理代の不払いを警察に通報したってことか・・・。

 

フィリピン人のおばちゃんは、車体確認して清算したはずではないか、なぜ今更。

それにしても、警察に連絡するなんてあんまりじゃないか。これじゃ自分が、万引きや食い逃げをみたいだ。

自分がつけた傷なら払ってしかるべきだけど、自分は事故ったことを正直に話して、傷の確認もさせて、合意のもと清算済ませたのだ。こんな犯罪者みたいな扱いは納得できない・・・。

 

警察: 支払いますか。

 

困惑して即答できない私に、警察がプレッシャーをかけるように聞いてくる。

 

支払わなければ逮捕され、搭乗券をもっている日本行の便に乗り継げないことになるのだろうか。汚い手を使うな、フィリピン人のおばちゃんよ。とはいえ、これで便を乗り逃したり、逮捕歴や変な前歴が入管記録に残るのは避けたかった。支払うという以外に選択肢はないじゃないか・・・。


km: 事故は申告していったん清算したので、納得いかない気持ちはあります。でも選択の余地がない(I have no choice)ので支払います。

 

後進国では理不尽なことが多く、警察に対してNoという選択肢はない。ここもそうなのだ。一応アメリカ領とはいえ、やっぱりサイパンは後進国だな。なんだかがっかりしながら、サインをしようとした瞬間、警察官は言った。

 

警察: 俺だったら払わないよ。

 

km: え・・・

 

警察: 車返却するときに清算済みなんだろ。君のせいじゃないじゃないか。

 

支払わないと逮捕するぞ、という感じで目の前にいるのだと思っていた警察官は、私を逮捕するために来ていたわけではないということだ。支払いません、という選択肢もある。支払わない、と言っても、逮捕されることはなく、出国を止められることはなさそうだった。

 

それはそうだろう。いったん車体を点検の上清算しているのだから。私が任意に支払うなら支払ってほしい、というレンタカー屋のリクエストを伝えに来ているだけで、警察官もレンタカー屋も私の支払いを強制することはできないはずだ。

 

むしろ警察官には、肩をたたかれたような気になった。

「男だろ。納得できないなら、正義を求めて戦えよ。No choiceなわけないだろ。あきらめるな。」・・・と。

 

やっぱり南太平洋とはいえ、アメリカは民主的な国である。納得いかないことには公権力に対しても声をあげていいのだ。予想外の警察官のコメントとフェアな対応に感服した。

 

けれど、ここで私が支払わないと言ったら、どうなるだろう。

 

おばちゃんは、私から回収すべき金額を回収できなかったことになる。点検ミス・回収ミスは職務上の悪い記録として残り、彼女の雇用を脅かすことになるかもしれない。または、彼女は自分のミスをカバーするために、70USDを自ら穴埋めすることになるかもしれない。子供を残して出稼ぎに来ている彼女にそこまでさせていいのだろうか。指摘をされなかったとは言え、自分がつけた傷であることは間違いないのに。

 

km: やっぱ払います。自分がつけた傷なので。

 

私は、そのメモに、I agree to pay 70USD as claimedと書いて署名した。クレジット番号はレンタカー屋で控えているから、これで十分のようだ。警察官を使って支払わせようとしたというところは腑に落ちなかったが、その警察官に「君のせいじゃない」と言われたことで気持ちの整理はついた。そして、チャモロ人警察官のフェアな対応に、アメリカの民主主義を見た気がした。

 

私は晴れやかな気持ちで搭乗口に向かった。

国・国家・独立国の定義に関して質問をよくいただきます。
以前いただいたメールへの返信を適宜修正して書きます。

1 国連加盟国
現在193です。ご確認ください。http://www.un.org/members/list.shtml
最新の加盟国は、2011.7にスーダンから分離独立した南スーダンです。

2 国の定義
独立国、国の定義はあいまいです。国際法上国家とは領土、人民、権力の三要素を備えている必要がありますが、それぞれの要素を備えているかの判断は困難です。たとえば台湾は領土、人民、権力を保有しているという分析もあれば保有していないという分析も有りうる。結局このような解釈に幅のある定義に持ってくると決着がつかないないのです。

このように国の定義が定かでない以上、私は自分がxxか国訪問した、という表現は避けるようにしています。あえて言及する場合には範囲を明確にするため「全国連加盟国193を訪問した。」と言っています。

それでもあえて国の定義らしきものを求めるならば、以下のように分別する方がすっきりするのではないでしょうか。
狭義の国=独立国=国連加盟国(193) http://www.un.org/members/list.shtml
広義の国=独立国+準独立国=文化的民族的歴史的または政治的に独自性を有し実質的に高度な自治を確立している地域(数は不明、目安としてISO3166-1リストにある249
http://www.iso.org/iso/country_codes.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/ISO_3166-1_alpha-3

3 広義の「国」を訪問した経緯
私は国連加盟国にとどまらず、文化的民族的歴史的政治的に独自性を有し実質的には高度な自治を確立している地域はすべて訪問したいと思っていました。
一般的には国連加盟国であれば独立国であることにほぼ異論はないと思われますが(国連加盟国=狭義の「国」)、文化的民族的歴史的政治的に独自性を有し実質的には高度な自治を確立しながらも、さまざまな事情と背景によって独立できない・またはしない国・地域は多くあります。このような地理的政治的経済的に高度の独自性が認められる地域、「広義の国」とは:

例:
(政治的事情) 台湾(国連常任理事国の中国が反対する限り国連に加盟できない)
(宗教的事情) バチカン(宗教的権威であって政治的な組織である国連に加盟する意思がない)
(経済的事情) オーランド・プエルトリコ・グリーンランドなど多数

これら広義の「国」を、国連加盟国でないから訪問する価値がないとは私には思えませんでした。台湾やバチカンやグリーンランドという特殊な領域も見てみたい。言い換えれば、広義の国を訪問することなくしては、一応であっても世界を見たとは言えないと感じるようになりました。

4 ISO3166
国連加盟国に加え、このような広義の国がほぼ網羅されているのがISOがまとめたISO3166-1(Country Code) です。このリストに掲載されているCountryが2017年5月現在249あります。他にオフィシャルなリストが存在しない以上、私はこのリストを参照しながら独自性のある国・地域を網羅していくようにしました。私はこのISO3166 -1リスト249のうち、無人のブーベ島(ノルウェー)及び原住民を追放して今は米軍事基地しかない英領インド洋の2つを除く全て(247)を訪問しています。(2017.5更新)

5 ISO3166から漏れている実質独立国:コソボおよびロシア傀儡国
1)コソボ
ISO3166には、日本政府や米英独仏が承認するコソボ共和国(2008年独立宣言)が含まれていません。
コソボは現在でもロシア・中国・スペイン・ギリシャ・セルビア等国連加盟国60超の国々から承認されていません。セルビアにとっては、一自治州に過ぎず、セルビア文化のゆりかごと言われる重要な地域です。コソボの独立に対しては、カタルーニャやバスクの独立問題を抱えるスペインや、ウイグル地区・チベット地区を抱える中国、バルカン半島の安定性を懸念するギリシャなどの賛同を得られません。国際的なコンセンサスが取れていると言い難い面があり、ISOリスト入りも見送らざるを得なかったものと思われます。
また、コソボ人のコソボ人としてのアイデンティティも乏しいと感じています。
私はコソボを二度訪問していますが、コソボ人=アルバニア人であり、コソボという国家意識が「国民」の間でも希薄と感じています。多くの人がアルバニア国旗を掲げ、セルビア人などとの民族融和の象徴を描いているコソボ国旗の人気がいまいちなのです。

2)アブハジア・南オセチア
同じく2008年独立を宣言しロシアなどから承認されている、アブハジア・南オセチア両国もISOリスト入りしていません。同じロシアの傀儡国という意味では、沿ドニエストル(ISOリスト入りしている)と同様のはずですが、(アメリカの傀儡国である)コソボのリスト入りが見送られるなら、そのバランス上、アブハジアや南オセチアのリスト入りが認められないのはやむを得ないと思われます。

私はアブハジアを2018年に訪問しました。世界の多くの国が承認していないとしても、実質的な支配を確立し、グルジア/ジョージア=国際的に認められる旧宗主国・本国から実質的に独立しているということは明白でした。しかし、国境のイミグレも、域内の軍備・治安維持も、ロシアによって行われており、アブハジア人・アブハジア国による統治というものはまるで見られませんでした。かつて黒海の真珠ともいわれ国際都市・リゾートだったスフミは荒廃し、黒海の国際航路も国際航空便もなく物資は陸路により完全にロシアに依存していました。また、アブハジアには、グルジア人、多くのトルコ系コーカサス人、ロシア人などが住んでおり、アブハジア人の国という意識も乏しいのが分かりました。グルジアからは独立した状態と言えても、それはロシアの支配にあるだけ(ご主人様が変わっただけ)であり、独立国と同視しうるのかは議論の余地があると思いました。

3)クリミア
コソボ、アブハジア、南オセチアに加えて、2014年以降のクリミアも、(旧)宗主国であるウクライナから同様に実質的な支配を確立しているといえます。
私は2005年にクリミア半島を訪問しています。
もともと、トルコ系のクリミア汗国があった地域で、歴史的にも他のウクライナの地域とは違うという期待をもって現地にいきました。しかし、スターリンにより中央アジアに追放されたこともあり、もともとの住民であるクリミア・タタール人をクリミアで目にする機会はあまりなく、クリミアタタール関連の遺跡等もほとんどなくがっかりしました。住民・訪問者の大半はロシア人、単にロシア人のリゾートおよび軍事拠点という感じでした。ウクライナ人が非常に少なくロシア人ばかりという点で、他のウクライナ領との違いは際立っていました。1954年までロシア領であったという経緯もあり、ウクライナ人も以前から「あそこは実質ロシア」という意識だったというのが実のところではなかったかと思っています。
2014年以降は完全にロシアの支配に入り、2018年にはケルチ海峡大橋によりロシア本土とも直接つながりました。ウクライナ領内のクリミア自治共和国は跡形もなく、(一時的に独立宣言をした)クリミア共和国というロシア傀儡国家すらなく、ロシアによる併合(Annex)=ロシア本土化が強固に確立されています。2014年以降、クリミアからはウクライナ人がさらに流出し、私が訪問した時以上に、ロシアそのものという雰囲気になっていることが予想されます。
現在ウクライナとロシアの間で戦争が起きていますが、クリミアをウクライナが取り戻す気配はまるでありません。また、ロシアが黒海の不凍港・軍港であるクリミアのセバストポリを手放すわけがありません。

4)ドネツク・ルガンスク
ロシア侵攻に始まるウクライナ戦争が進行中であり、ドネツク共和国・ルガンスク共和国の独立・実質支配は、十分確立された状態とはいいがたいように思います。ところが、本日(2022年7月4日)ウクライナ軍がルガンスク共和国最後の拠点から撤退したという報道があり、ドネツクに関してもウクライナ軍撤退は時間の問題かもしれません。今後の動向に目が離せません。
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昨今、欧米と中露の政治的対立が目立つようになり、国連常任理事国内でもコンセンサスが取れない状況が続くことが予想されます。ISOリストも目安にならなくなり、独立国の基準や実質的独立の基準については今後ますます不明確になりそうです。

4)メリリャMelilla
モロッコ北東部にあるスペイン領、アフリカ大陸にあるスペインの飛び地の一つです。
スペイン本国から離れてることから、実質的な独立国として数に数えている人も多いです。個人的には、自治権がさほど強固でなく、人口もわずか、領土も極小であるこの地を「国」扱いするのに違和感があります。
私は、2006年の3月にメリリャを訪問しました。スペイン南部のアリカンテから飛行機でメリリャに入りました。飛行距離はひじょうに短く30分足らずだったかもしれません。空からは北は海に・3方を塀で囲われ狭いながらも整然としたメリリャが見えました。同時に塀の南側のモロッコ領の未開発な地のコントラストが明白でした。
メリリャはスペイン国内線で入ったこともありセキュリティは厳しくありませんでした。
もともとそこに住んでいたのか、それとも不法移民なのか、顔つきや肌の色はモロッコ人風の人々が多かったです。街中に見るべきものはほとんど見当たらず、早々にモロッコに抜けることにしました。スペイン出国印を押されると、長く厳重な緩衝地帯に入ります。
一人づつしか通れない狭い通路や回転扉があり、欧州を目指すアフリカの不法移民が大挙して押し寄せたり暴動を起こさないような構造になっています。しかし、実際に厳重なのは、モロッコ→メリリャ(スペイン)方向の流れだけであり、メリリャからナドール(モロッコ)に抜ける方向はほとんど注意をはらわれません。監視カメラはいたるところにありますが、だれにも管理されることなく、行列に並ぶこともなく、緩衝地帯は10分足らずで抜け、モロッコのイミグレに到着します。モロッコのイミグレではほとんど何も聞かれず、帰路のチケットを提示させられることもなく、あっさりと入国を認められます。イミグレをでるとそこはモロッコのナドールNador。どこでもドアを開けたような別世界が広がります。いたるところにしゃがんで談笑する男たち。ねずみ男のようなモロッコ民族服を着ている人も結構います。とにかく埃っぽくてごみごみしている。手持ちユーロをいくらか両替してモロッコディルハムを入手します。セブンアップの250ml瓶が40円足らずでしたでしょうか。スペイン領から通路をへて反対側に来ただけなのに、スペインと比べ物価が一気に1/5くらいになった感じ、すべてが激安です。自分がいるところが町の中心部からどれくらい離れているのか、どこに行けばいいのか全く分かりませんでしたが、モロッコ人は気さくで、スペイン語で親切に教えてくれます。スペイン人は欧州の中ではフレンドリーですが、欧州は不法移民であふれているので、見知らぬ外国人に笑顔を向けてくることは(観光地を除けば)ほとんどありません。ところが、モロッコでは珍しいアジア人に笑顔で接してくれます。モロッコ人に教えられて町の中心までバスに乗りました。20円くらいだったか、激安です。なぜ拭き取らないのだろうと不思議になるほど窓が埃で汚れていてまるですりガラスのよう。おまけにヒビだらけです。おそらくバスの車体をクリーンにするということを一切しないのでしょう。メリリャという「国」を観光したというより、「国境越え」のギャップを楽しんだというメリリャ訪問になりました。

5)セウタ
セウタもメリリャ同様、モロッコ領に囲まれたスペインの飛び地です。本国とは切り離されてアフリカ大陸にあり、「国」扱いしてカウントする人も多くいます。スペインとはジブラルタル海峡を挟んで北のスペインは目と鼻の先。モロッコ領 フェリーで1時間の距離です。

私はセウタも、2006年の3月、メリリャと同じ機会に訪問しました。メリリャ訪問後モロッコ経由で訪問し、そこから船でスペイン本土に戻りました。つまり、スペイン(本土ーメリリャ)→モロッコ→スペイン(セウター本土)というルートです。
セウタの最寄のモロッコ側の大きな街はタンジェTangier(モロッコ語ではタンジャ)。タンジェの旧港からはスペインのTarifa港などへ直行フェリーが頻繁に出ており、国境を超える旅人は、この国際船を利用するコース(Aコース)が一般的です。実は、もう一つルートがあり、タンジェから陸路スペインの飛び地であるセウタに入り(Bコース)そこから国内船でスペインのTarifa港などへ渡るという方法です。
アフリカから欧州を超えるフェリーというのはAコースも魅力的ですが、私はBコース、セウタ経由にしたかったから。

国境越えマニアの私は水路国境越え(Aコース)よりも、陸路国境越え(Bコース)のがいったん海上に入ると人やモノの流れや街並みの変化を感じ取ることはできないけれど、陸路であれば人やモノの流れや街並みの変化をダイレクトに感じ取ることができるためです。セウタ自体もそれなりに面白い。
メリリャは街中にさほど見るべきものがないと感じましたが、セウタの砦は保存が良く(よく再建されている)タクシーでさらっと回りました。欧州でよくあるタイプでしたが、ここをフェニキア人が、アラブ人が、ポルトガルが、スペインが、
そして、フランスがモロッコ全土を支配した時代も、モロッコが独立した今も、スペイン領のままとなっているのです。
海を除くすべての陸路は壁で遮られており、しかも鉄条網や監視カメラで厳重なところを見ると、 
アメリカ―メキシコのような長い国境ではないので、監視の目も行き届くわけです。
(私が欧州に住んでいた当時、モロッコ側(おそらくタンジェ近郊)からセウタまで泳いで来たというアフリカ人のニュースをネットで見ましたが、おそらく多くはないと思うし、セウタにたどり着いても簡単にモロッコ側に送還されてしまうので、ポピュラーな密入国ルートではないと思います。

国境越えマニアの私は、水路国境よりも陸路国境を好むので、Bコースにしました。


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ISOリストに入っていない、コソボ・アブハジア・クリミア・セウタ・メリリャなどのこれら実質的独立領土も入れるならば、私の訪問「国」数は250以上(253)になります。(2022年7月追記)


そのほか、アメリカ人などは、チベット・ウイグルなどの自治区も「国」として数えている人がいます。スコットランド人はもちろん、旅人の中には、英国内のスコットランドを(独立)「国」とカウントしている人もいます。私は、このような、ゆるーい概念・「拡大解釈」を煙たく思いつつも、一方で楽しんでいるだからいいじゃんとも思います。結局国の概念は一義的でないのだから、独自基準でもいいのではないか、ということです。

6 現在の関心事
ISOリスト国をほぼ回って以降の私の関心事は、既訪問国の未訪問地域の訪問・既訪問地域の再訪に移っています。国境越えというアトラクション自体は好きですが、イミグレーションのスタンプ集めにはもう関心がありません。私の訪問したい地域が国と評価されようがされまいがそれは重要なことではありません。そこに住む人がどのようなことを考え、どのように暮し、どのようなものを食べているかという文化的な側面に興味があるのです。

7 4Travel基準の「国」=220
ところで、4Travelのサイトでは私kmが220国訪問したことになっていますが、この220という数は私がはじき出したものではなく4Travel独自の基準です。4Tavelのサイトではプルダウンによって選べる国が220なのです。しかし、この基準は恣意的で不明確です。なぜなら193の国連加盟国に加え「国」とは言いがたい地域を包含しているからです。
例えば、アメリカ合衆国の一州に過ぎないハワイをひとつの「国」として数えています。極めつけは「北極」というカテゴリーがあって、丁寧に地図に「北極大陸」のようなものが載っています(現在は消されているようです)。ご存知のように、大陸である南極とは対照的に北極には大陸がなく、単なる氷が浮いているだけです。海外の友達にサイトを見てもらうときに、日本人の無知をさらけ出しているようで恥ずかしいのですが、他者の作成するシステムを無料で利用している手前文句も言えません。
というわけで、私の方で国の数が220だ、といっているわけではありません。

職場の受付で渡された手紙。かすかに見覚えがあるその手紙は、

以前インドからシンガポールにあてた手紙だった。

インドから出した手紙が届かないことは驚きではないが、それが戻って来たこと、しかも半年以上もかけて、ということに、

驚きを通り越して感動してしまった。

 

1 切手を貼らずに出す国際郵便を出す

宛先はシンガポールの銀行で、ネットからダウンロードして印刷した封筒には、

「切手不要」とは書いてあった。

けれど、送料無料は「シンガポール国内限定」と書いてある。

 

そのため、私は、インドからシンガポールに送る封筒の切手代をネットで調べて、24Rs(約40円)と書き込みをしておいた。

郵便局には、スタッフのドライバーさん(私にはドライバーがついていないので、スタッフの完全な好意で)が郵便局から出してくれることになった。

 

私は、100Rs渡して、この中から切手代を払って、貼って出してほしい(残金はチップ)と、ドライバーに頼んだ。

1時間後、ドライバー曰く、「郵便は出したが、切手代はかからなかった。」

 

切手を貼らなかったら、封筒が届かないではないか。

郵便局に戻って、切手を貼ってもらうよう、ドライバーにお願いした。

 

ドライバーは、郵便局に戻り、切手を購入しようとしたが、「郵便局に切手は貼らなくて大丈夫と言われた」

と郵便局から電話してきた。

 

km 「そんなはずはない、切手が不要なのは、シンガポール国内の話であって、インドから送る場合は必要だ。封筒にそう書いてあるから読んでもらってくれ。郵便局長に確認してくれ。」

ドライバー 「郵便局長が問題ないと言っている。バーコードがあって、切手不要と登録レジスターされているから問題ないと。」

 

私はあきらめてドライバーに引き上げてもらった。

 

二つの可能性がある。

1)封筒書面の「シンガポール国内に限り切手不要」ということを実際に理解していない

2)切手は確かに必要かもと局長は思ったが、(局員を通じて)素人の外部者が指摘したミスを認めるのが恥になるので、大丈夫と強弁した

 

2)の可能性が高いのではないか。つまり、切手は不要と(部下に指示した)手前、今から切手が必要というのは、郵便局長のメンツにかかわるのだろう。

 

2 インドから出した郵便物の行方

 

最初にインドに行った96年、私が日本に送った荷物はなかなか届かなかった。紛失したのだろうと思っていた矢先、荷物は日本の自宅に到着した。送付した日から4カ月がたっていた。

 

スピード感には唖然としたが、結果的にちゃんと届いたということは、意外と信用できるのかも、そう思った。

今回、手紙はシンガポールの宛先に届かなかったが、ちゃんともどってきたという点について、インドの郵便は結構信用できるのかも、という思いを新たにした。

 

気になるのは、この手紙、出したのは2021年3月17日、で、戻って来たのが9月29日。この6か月以上の間どこをさまよっていたのか。

 

インドから送られシンガポールから拒否を繰り返すなど、インドとシンガポールの間を繰り返し移動していたのだろうか。

 

シンガポールの郵便局にいったん送付されたのだったら、「送料不足」など、なんらかのコメントやスタンプが押されていてしかるべきではないかと思う。

 

そうではなくて、受付印のみしか押されていないということは、実は「切手が貼っていないから国際郵便に乗せられない。送り主に言って徴収せよ」と、インドの本局で、早期にはじかれていたのではないだろうか。それでも、手紙を出した郵便局のスタッフは、局長の手前、「やっぱり切手代が必要だった」など、前言と矛盾することはできない。

 

ミスを認めたくないなら、こっそり局の金で切手を貼って出してくれたらよかったのに、とも思うが、そうはならないのがインド。

 

そのまま処分することなく、手紙を送り元に戻してくれたことに、自分の仕事はしっかりやる、という、ある種のインド流の律義さを感じた。

 

封筒には「切手代不足」とも「宛先不明で配達できず」とも何も書かれていない。ただ戻って来ただけ。左肩部分の「24Rs切手」というのは、私がドライバーにあてたメッセージなので、郵便局からのメッセージはなにもない。

 

3 まとめ

 

・インドからシンガポールに出した手紙が届かなかった。

・その手紙が戻って来た。

・戻って来たのは出してから6か月以上たってからだった。

 

 

*写真は面倒なのでこちらにアップしてませんが、インスタにアップしてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アフガニスタンのガニ政権崩壊(タリバン政権が奪取)したことに伴い、

アフガン人が空港に押しかけ大変な混乱が生じている。

 

飛行機は、尾翼付近に飛び乗った人がいても、滑走路に何人人がいようとも構わず離陸。

その後、上空から人が落ちて死んだりしてる。

 

CNN18(インドにおけるCNNとインド企業のジョイントベンチャー)でも、大勢のアフガン人が飛行機に詰め寄る様子や、2人の人物が飛行機から落ちていく様子が確認できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日訪問したインド、ラダック地方の秘境、ザンスカール。ユーチューブで検索したら出てきたのがこの番組。おそらくNHKの1999のもの。

 

とても興味深い。

 

 

今でもかなり秘境という感じだったが、20年前の当時の秘境っぷりはかなりのもの。外国TVとして初めて取材を許されたようだ。

 

・ 「1962の中印紛争以降、30年にわたり厳戒態勢が続いている」

 

→20年たった今も、中印の対立は厳しく、去年もこのラダックでインド兵30名近くが中国兵に殺害されている。今でも外国人は許可を取っていく必要があり、建前上は外国人は2人組以上でないといけない地域(パンゴン湖、Nubra, DahHanu他)もあった。ただ、Pangongパンゴン湖がかなりの観光地となっているので、インド人観光客は多く、厳戒態勢という緊張感はない。

 

・短い夏、遊牧民、毛織物とバターを。ヤクの毛でできたテント

 

私が訪問した8月初旬でももうザンスカールは秋だった。麦の収穫が行われていた。遊牧民というか、夏場だけそこにテントを張って遊牧していると思われる人々は今でもいた。ヤクの毛でできたテントだったかは未確認。

 

・チベット動乱

1959年のチベット動乱でチベット自治区から逃げてきた人々は、地元のチベット系の住民と同じ風貌なので、観光客としてみる限り区別がつかなかった。ただ、Lehレ―の町中には、チベット難民マーケットという看板の、アクセサリー売り場があった。

 

・悪路

動画の頃と比べたら今はだいぶ改善されているとは言え、私が訪問した2021年ですら、南アジアの中では先進国のインドでこんな悪路あるんだ、という驚きのレベルだった。未舗装区間かなり多し。冬は凍った川をトラックで移動するのだそうだ。シベリアと一緒・・・。

 

・ヌーン山

7000mを超えるヌーン山は、私も見ることができた。氷河も。

 

・カルシャ村

カルシャ寺は訪問した。1999年当時は、600人の人口を有し、ここがザンスカール中心部だったと動画で言っていたが、今ではPadumという町がありそこが中心になっていた。とは言っても不便極まりなく、私が使っているAirtel(携帯通信会社)の電波は来ておらず、Gioと国営通信のみが通じるだけ。
 

・王国

非常に違和感のある表現。かつて王国だったのだろうが、1947年のインド独立時に王国は廃止されているはず(大半の藩王国は、当時、インドかパキスタンのどちらかを選択した)。現在でももと王家に対する忠誠はあるのか疑わしい。

 

・ザンスカールの住民

8C頃にこの地にやってきたチベット系の住民とのこと。王国は9Cからあったと動画では言っていた。けれど記録が乏しく信憑性はやや疑問。

 

・カルシャ寺

カルシャ寺に限らずこのあたりの寺に少年僧がいるのは今も変わらなかった。少年僧は、たくさんの子供を抱える貧しい農家が、口減らしのために寺に預けるのだ、と聞いていた。年端も行かない子供が、両親に甘えることもできず、女性に触れることもできない一生を送ることになるのは不憫でならないと感じた。選択できない人生を与える親ってどうなのかと憤りすら感じた。

動画でも9人の子供のうち3人を寺に預ける家族の話が出てくる。

しかし、この動画を見ていたら、親は子供の幸せを思って寺に預けているということが良く分かった。(僧侶は食べ物に困ることがないので)寺に預ければ何の心配もない。さらに僧侶になれば、死後も救われる、云々。なるほど。

 

・農家の暮らし

ヤクの父を2時間攪拌してバターを作る。そのバターと、小麦粉を練った団子状のもの、それが朝食。一日二食の生活。

・・・チベット系の食事は本当に質素で、私はどうしてもうまいと思えないのだが、地元の人はどう感じているのだろうか。私がホームステイした宿では、北インドでよく食べる、ダール(豆カレー)とライスだったが、あれは観光客用の食事だったのだろうか。

 

・僧侶の生活

修正独身、肉もたばこも酒もだめ、と、動画では言っていた。私もそういうもんだと思っていた。

しかし、Lehの街中の、カシミール料理やに入ったところ、袈裟をきたチベット仏教の僧侶が肉をばりばり食べていた。少なくとも3組は見た。僧侶も俗っぽくなったものだと思うが、もしかしたら、都市の僧侶と違ってザンスカールの寺院では今でも厳しい戒律が守られているのかもしれない。

 

・法要

35人もの僧侶を家に呼び、1週間かかりで経を唱えてもらう法要の様子が動画出てて来る。1生に一度の大イベント。年収の5倍にあたる3万ルピー(当時のレートで30万円)かかるのだという。信心深い。

 

・祭り

7月下旬の寺の祭り。神様や動物の面をかぶった僧侶・少年僧が舞を舞う。高僧の体や服に触れることが功徳なのだという。

 

・麦

この地方では、刈り取らず、根っこから抜き取り、屋根の上で干し草にする。冬場の家畜のえさにするため。私も、現地で見て、穂先だけでなkう全体を地べたや屋根に積んでる麦の収穫風景がなんだか変だな、と思ったのだが、そういうことだったのか。

 

 

 


2021.8.15 アフガニスタンのAshraf Ghaniガニ大統領が国外逃亡し、タリバンがカブール市内を支配。ここに、アメリカの傀儡政権(Hamid Karzai、Ashraf Gani)は崩壊した。

 

タリバンが政権を取ったのは、アメリカに追われた2001年以来、20年ぶりのこと。私が住んでいるインドでは刻一刻と報道され、大きなニュースになっていた。欧米のニュース、中東ニュースもしかり。日本でこの激変はどれくらい報道されているのだろうか。

 

アメリカ最長の戦争は敗戦に終わり、過去20年間の支配(アフガン人からすれば侵略)はいったい何だったのだろう、という失望が欧米ニュースには色濃い。ベトナム戦争以来の悪夢だ。

 

一方、アフガン人からすれば、外国勢力を今回も駆逐したということになろう。

 

19-20C 3度のAnglo AfghanWar英アフガン戦争 を経て1919にアフガニスタン独立

20C ソ連の侵攻 1979-89

21C アメリカの侵攻 2001-2021

 

今後のパワーバランスを考えると、(タリバーンに影響力をもつパキスタンの盟友でもある)中国との関係強化が予想されるが、一枚岩ではないタリバン。行く末に目が離せない。

 

 

ヌリスターン州に住む私の友人(アフガン人)にメッセージを送った。タリバンが全土支配しそうだけど、パキスタンに逃げるのか?と聞くと、「逃げない。俺たちの墓場はヌリスターン」だということ。

 

 

 

1 日本の世界遺産、新たに2件登録 (2021)

 

2021.7、東京オリンピックの陰に隠れるように、日本の世界遺産登録が新たに承認された。

 

・縄文遺跡群(青森・北海道) 文化遺産

・奄美・西表等(鹿児島・沖縄)  自然遺産
 
順当どころといったところか。
 
 
2 日本の世界遺産登録数 合計25 (2021.7現在)
 

 

文化庁のHPは7/27現在まだ更新されていないが、今回の2件を合わせて合計25件が日本から世界遺産登録されたことになる。

 

 

1 法隆寺地域の仏教建造物 奈良県    
2 姫路城 兵庫県    
3 屋久島 鹿児島県    
4 白神山地 青森県・秋田県    
5 古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市) 京都府・滋賀県    
6 白川郷・五箇山の合掌造り集落 岐阜県・富山県    
7 原爆ドーム 広島県    
8 厳島神社 広島県    
9 古都奈良の文化財 奈良県    
10 日光の社寺 栃木県    
11 琉球王国のグスク及び関連遺産群 沖縄県    
12 紀伊山地の霊場と参詣道 三重県・奈良県・和歌山県    
13 知床 北海道    
14 石見銀山遺跡とその文化的景観 島根県    
15 小笠原諸島 東京都    
16 平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群‐ 岩手県    
17 富士山‐信仰の対象と芸術の源泉‐ 山梨県・静岡県    
18 富岡製糸場と絹産業遺産群 群馬県    
19 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・鹿児島県・山口県・岩手県・静岡県    
20 ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献‐ 東京都
 
   
21 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 福岡県    
22 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 長崎県・熊本県    
23 百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群‐ 大阪府

                       

                     24 奄美・西表他  鹿児島・沖縄   

                     25 縄文遺跡群  青森・北海道

 

                 (1-23は文化庁のHPより。24,25は私が付加)

 

3 世界遺産暫定リスト入りで残っている件 5つ

  

  次の世界遺産登録への近道ともいわれる暫定リスト入りしている件は残る5つ。

 

  1 )古都鎌倉の寺院・寺社ほか 神奈川県 平成4年 文化 

   2) 彦根城 滋賀県 平成4年 文化

   3) 飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 奈良県 平成19年 文化

   4) 金を中心とする佐渡鉱山の遺産群 新潟県 平成22年 文化

   5) 平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-(拡張) 岩手県 平成24年 文化 

 

  1)の鎌倉は十分登録まで持っていけると思うが、世界にアピールするという観点からすると、2)-5)は若干弱いような・・・。玉切れ感。

 

4 暫定リスト候補

 

 暫定リスト入りしていないが魅力的な件はほかにもいくつもある。私個人のお勧めとしては:

 

  ・四国八十八箇所霊場と遍路道

  ・飛騨高山の町並みと祭礼の場-伝統的な町並みと屋台祭礼の文化的景観-

  ・立山・黒部~防災大国日本のモデル-信仰・砂防・発電

  ・城下町金沢の文化遺産群と文化的景観

  ・阿蘇-火山との共生とその文化的景観

 

2022年、日本から新たに世界遺産登録はされるのだろうか。されるならどこ?