北マリアナはグアム同様、太平洋に浮かぶアメリカの自治領だ。サイパン、ロタ、テニアンの3島からなり、日本人観光客も多く訪れる。けれど、観光客の多いサイパン島はともかく、ロタ・テニアンは車がないと移動が難しい。

そのため、ペーパードライバーで、メカに弱く、おまけに方向音痴の私も、ロタ・テニアンでは、やむを得ずレンタカーを利用することになった。

 

ロタでは、ビーチに車をすすめ、スタックして、レッカーを呼ぶことになった。砂浜も走れる気がしたのだが、タイヤが空回りしてとても駄目だった。板を敷きながら脱出するなどもできたかもしれないが、周りに人もおらず、不慣れな私には限界だった。

レッカー代は200USDくらいかかった。

 

テニアンにはサイパンから日帰りで行った。ここでも、空港の前のレンタカー屋で車を借りて行った。受付は40歳くらいの愛想のよいおばちゃんだった。おばちゃんは、地元のチャモロ人ではなく、フィリピン人だという。子供をフィリピンに残して、出稼ぎに来ているのだと。グアムでもサイパンでもフィリピン人は結構見かけた。

 

テニアンでは戦跡を中心に見て回ったが、レンタカー屋に戻る途中で、私は運転を誤り車はスピン。サトウキビ畑に突っ込んでしまった。周りに人もおらず、通る車もないところだったが、レッカー車を呼ばずに何とか自力で脱出。自分にも周りの人にも怪我がなくて幸いだった。

 

車を降りて確認したところ、タイヤが一つパンクしてしまったようだ。パンクした弾みでスピンしたのか、スピンした衝撃でパンクしたのかは分からなかった。ナンバープレートには、サトウキビの茎や葉っぱが絡まっている。ゆっくりとではあるがタイヤがパンクしたまま車を走らせ、そのままレンタカー屋まで直行した。このあと、サイパンまで行って乗継、帰国する予定で、便を逃したくなかったのだ。

 

フィリピン人のおばちゃんには、ありのままを話した。スピンして、サトウキビ畑に突っ込み、タイヤをパンクさせていると。さらに車体に傷もつけたかもしれないと。おばちゃんは、タイヤの破損を認定。パンク修理では不十分なようで、タイヤ交換代をチャージするという。車体の傷もいくつかあるということで、紙に車体の場所を赤ペンでまるく示された図とともに、修理代金を記載された紙に署名させられた。約300USDだった。代金は、クレジットカードでその場で清算した。レンタカー代をはるかに上回る損失となってしまったがやむを得ない。

 

清算がすんで、私は、テニアン空港からセスナ機にのりサイパン空港に到着、そしてサイパンから成田までの国際便に無事チェックイン。乗り継ぎ時間に余裕はなかったが、これで安心だ。アメリカは入国審査こそ厳しいが、出国手続きはなく出国印も押されないので、国際便の搭乗手続きを終えると、直ちに搭乗口に向かった。

 

すると、館内放送で私の名前を呼んでいるのに気づいた。空港スタッフまで連絡しろということだ。忘れ物でもしたのだろうか、思い当たるものはないが。

 

搭乗口までたどり着いてはいなかったが、近くの女性空港職員を見つけて、呼び出しをされている旨を伝えた。女性職員は、内線でどこかに連絡を入れ、私の情報を伝えると、誰かが迎えに来るようで、しばらくそこで待てと言われた。

 

数分してやってきたのは、制服を着た警察官だった。

 

えーなになに??

 

地元チャモロ人と思われる浅黒い肌。半袖の制服からは、にょっきり太い腕が。昼間で室内なのにサングラスをしており表情は見えないが、笑顔はない。私は過去に入管トラブルをいくつか抱えており、反米国にもよく出入りしているため、個室で尋問されることはしばしば。アメリカの空港は緊張するので苦手である。

 

警察官は、私の名前を確認して尋ねた。

 

警察:テニアンでレンタカーを利用しましたか。

km:はい、利用しました。

 

警察:車の修理代が未払いのようなのだけど、払いますか。

km:え、修理代はすでに払いました。

 

警察: いや、車返却後に見つかった傷の修理代を払ってくれ、と、レンタカー屋が言っているようです。

 

【ナンバープレート、70USD、といった手書きのメモを見せられた。】

 

レンタカー屋が私の修理代の不払いを警察に通報したってことか・・・。

 

フィリピン人のおばちゃんは、車体確認して清算したはずではないか、なぜ今更。

それにしても、警察に連絡するなんてあんまりじゃないか。これじゃ自分が、万引きや食い逃げをみたいだ。

自分がつけた傷なら払ってしかるべきだけど、自分は事故ったことを正直に話して、傷の確認もさせて、合意のもと清算済ませたのだ。こんな犯罪者みたいな扱いは納得できない・・・。

 

警察: 支払いますか。

 

困惑して即答できない私に、警察がプレッシャーをかけるように聞いてくる。

 

支払わなければ逮捕され、搭乗券をもっている日本行の便に乗り継げないことになるのだろうか。汚い手を使うな、フィリピン人のおばちゃんよ。とはいえ、これで便を乗り逃したり、逮捕歴や変な前歴が入管記録に残るのは避けたかった。支払うという以外に選択肢はないじゃないか・・・。


km: 事故は申告していったん清算したので、納得いかない気持ちはあります。でも選択の余地がない(I have no choice)ので支払います。

 

後進国では理不尽なことが多く、警察に対してNoという選択肢はない。ここもそうなのだ。一応アメリカ領とはいえ、やっぱりサイパンは後進国だな。なんだかがっかりしながら、サインをしようとした瞬間、警察官は言った。

 

警察: 俺だったら払わないよ。

 

km: え・・・

 

警察: 車返却するときに清算済みなんだろ。君のせいじゃないじゃないか。

 

支払わないと逮捕するぞ、という感じで目の前にいるのだと思っていた警察官は、私を逮捕するために来ていたわけではないということだ。支払いません、という選択肢もある。支払わない、と言っても、逮捕されることはなく、出国を止められることはなさそうだった。

 

それはそうだろう。いったん車体を点検の上清算しているのだから。私が任意に支払うなら支払ってほしい、というレンタカー屋のリクエストを伝えに来ているだけで、警察官もレンタカー屋も私の支払いを強制することはできないはずだ。

 

むしろ警察官には、肩をたたかれたような気になった。

「男だろ。納得できないなら、正義を求めて戦えよ。No choiceなわけないだろ。あきらめるな。」・・・と。

 

やっぱり南太平洋とはいえ、アメリカは民主的な国である。納得いかないことには公権力に対しても声をあげていいのだ。予想外の警察官のコメントとフェアな対応に感服した。

 

けれど、ここで私が支払わないと言ったら、どうなるだろう。

 

おばちゃんは、私から回収すべき金額を回収できなかったことになる。点検ミス・回収ミスは職務上の悪い記録として残り、彼女の雇用を脅かすことになるかもしれない。または、彼女は自分のミスをカバーするために、70USDを自ら穴埋めすることになるかもしれない。子供を残して出稼ぎに来ている彼女にそこまでさせていいのだろうか。指摘をされなかったとは言え、自分がつけた傷であることは間違いないのに。

 

km: やっぱ払います。自分がつけた傷なので。

 

私は、そのメモに、I agree to pay 70USD as claimedと書いて署名した。クレジット番号はレンタカー屋で控えているから、これで十分のようだ。警察官を使って支払わせようとしたというところは腑に落ちなかったが、その警察官に「君のせいじゃない」と言われたことで気持ちの整理はついた。そして、チャモロ人警察官のフェアな対応に、アメリカの民主主義を見た気がした。

 

私は晴れやかな気持ちで搭乗口に向かった。