これでオヤジが亡くなったことを書くのは原則やめにして明日から通常のブログに再開します。
昨日はお通夜で一晩中、オヤジの亡骸とともに朝を迎えた。今日は告別式とお骨上げだった。オヤジの生前の遺言で葬式はやるな!と言っていたが、さすがにやらない訳にはいかないので身内だけの家族葬という形をとった。
姉貴とも言っていたが、オヤジが亡くなった実感が全くない。オカンが亡くなった時は急死だったので葬儀の時は大泣きしたものだが、今回は姉貴共々、そこまでではなかった。
やはり先月、肺炎起こして入院した時に末期ガンのように痩せ細ってしまったので姉貴共々、先月の時点でいつ亡くなってもという覚悟が自然とできていたのだと思う。でも少なくともオヤジの誕生月である5月までは持つと思っていた。
と言うのも先月、二週間入院して施設に戻った時に施設から出るおやつでプリンをガツガツ食べてたのでしばらくは大丈夫だと思っていた。オヤジが認知症になっても食べることと新聞読むことだけは絶対に忘れなかった人だ。
でも今月に入って容体が急変してそこからは早かった。ウチのオカンが4月8日に亡くなっているのでオカンが天国へ導いたのだと思っている。
救急搬送された時に肺炎による呼吸不全になって自発呼吸ができなくなり、意識不明だと言ってもかなり痛々しい状況だったと姉貴から聞いている。
亡くなった時に肺の状態を医者が姉貴に見せてくれたそうだが肺がスカスカの状況になっていたそうだ。医者からタバコ吸われてました?と聞かれて姉貴が50過ぎ位まではかなり吸ってましたと答えた。確かにオヤジがタバコ吸ってた時は1日4箱は確実に吸っていた。僕も飲みに行く時やイラついた時限定で吸っていたが、それももうやめようと思う。
お骨上げの時、オカンは急死でプクプク太ったまま亡くなったので骨も頑丈だったが、オヤジの骨は言葉は悪いがカスカスの状況だった。姪っ子はおじいちゃん子だったのでショックのあまり大泣きしてしまった。じいちゃんが認知症になってから手紙も何通も書く位のおじいちゃん子だったから姪っ子からしたらかなり辛かったと思う。
姪っ子が大泣きしてしまったため、姉貴と僕は泣きそびれてしまった。
葬儀が終わったので忌引き休暇である日曜日までに気持ち整理つけて週明けからまた彦根で仕事頑張るが、これからはオヤジの魂も背負って生きていく。