オヤジ逝去 | デスペラード・ミズタの発達障害ラジオパーソナリティー奮闘記

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発達障害(ADHD)持ちで精神障がい者三級の手帳を持っています。仕事は交通誘導警備員として働いています。発達障害があっても一般社会で生きて行けることを証明していくためにブログ発信しています!よろしくお願いいたしますm(__)m

こんな時にブログ更新するのは賛否両論あると思いますが、敢えて書かせてください。

4月5日の午前3時37分に父親が肺炎による呼吸不全のため、82歳でこの世を去りました。

亡くなる前日の夜に施設で倒れて意識不明のまま救急搬送されたという知らせを受けた。先月に肺炎のため、二週間入院していた経緯もあり、もう持たないことを悟った。

亡くなる前日は彦根で仕事していたので緊急で代表に連絡し、最悪の事態の時は帰らせてもらうようお願いした。当初のシフトでは5日の早番まで働いて三連休の予定だったが、代表の配慮で5日の仕事を免除してもらえた。

結果的に5日の早朝に亡くなった。自発呼吸ができなくなってしまったので人工呼吸器をどうするか?という話になったが、オヤジの生前の遺言で絶対に人工呼吸器だけはつけるな!と言い聞かされていたので対応に行ってもらった姉貴と話し合いして人工呼吸器はつけなかった。

オヤジはギャンブル好きでギャンブルがらみで人に騙されて多額の借金を背負ってしまった。まだ消費者金融などではなく身内に借金したので、返済義務はないのだが、出来る限り返済しようと思っている。

オヤジには本当に悪いことをしてしまった。30代の時、離婚したショックと仕事もうまくいかなくなってしまったことから極度のうつ病になり、オヤジの前で何度も自殺未遂したり、暴れたりしてしまった。その償いを交通誘導受かってこれからどんどんしていこうと思った矢先の出来事だった。

今晩は一晩、オヤジの亡骸に寄り添って明日の告別式に向かおうと思う。

先月、試験前に病床のオヤジに「交通誘導受けるんや。オヤジの力貸してくれ」と言ったら分かったか分かってないのかは定かでないが微笑んだ。それはもう一生忘れられない。

こんなどうしようもない僕でも最期まで見捨てなかったオヤジに感謝しかない。

30代はうつ病でむちゃくちゃだったが今はほぼ回復している。40代に入ったので仕事一生懸命頑張ることがオヤジへの何よりの供養になると思う。

明日は最高の形でオヤジを天国に送り出してあげたい。