「定年オヤジ改造計画」

(垣谷美雨著。2020年9月20日発行。祥伝社文庫。740円+税。) 

  垣谷美雨(かきや・みう)の作品は、「老後の資金がありません」に続いて2冊めになります。元となる本は、2018年2月に祥伝社から刊行されました。面白く、一気に読みました。

 本の紹介から。 

  「大手石油会社を定年退職した庄司常雄(しょうじ・つねお)。悠自適の老後を夢見ていたが、良妻賢母だった妻は”夫源病(ふげんびょう)”を患い、娘からは”アンタ”呼ばわり。気が付けば、暇と孤独だけが友達に。そんなある日、共働きの息子夫婦から孫二人の保育園のお迎えを頼まれ・・・。崖っぷちオヤジ、人生初の子守を通じて離婚回避&家族再生に挑む! 長寿時代を生き抜くヒントが詰まった”定年小説”の傑作。」

   「夫源病」なんて初めて知りました。母原病(ぼげんびょう)なら知っていたけど・・・。

夫源病:夫の言動が原因で妻がストレスを感じ、溜まったストレスにより妻の心身に生じる様々な不定愁訴(なんとなく体調が悪い)を主訴とする疾病で、医学的な病名ではない。逆の概念として「妻源病」も。(「Wikipedia」より)

 

  読み進めるうちに、主人公が私と重なり、ドキッとしました。私の若い頃は、「男は仕事、女は家事・育児」が一般的でした。「24時間戦えますか?」というテレビのCM(ドリンク剤「リゲイン」)が話題になっていた頃です。小説の中で出てくる、「(政府によって)男を会社に縛り付けて働かせるために、家事・育児の役割を女に押し付けた」ことに、男は洗脳されていたのかも知れません。30数年前、米国(ニューヨーク市)に海外駐在員として赴任していた時、(ニューヨーク市では)夫婦が共働きというのが普通でした。いずれ日本でもそうなるのかと思っていました。今では共働きが普通になっています。

  小説の中から印象に残った文章を抜粋して紹介します。主人公の見方の移り変わりに注目してください。

  「どいつもこいつも俺をないがしろにしやがって。いったい誰の稼ぎで今まで食ってこられたと思ってるんだ。ひとつの会社に四十年近くも勤め続けることがどんなに大変なことかわかっていないだろうっ。」(P117)

  「母親が幼い子供と一緒にいる光景は幸福の象徴ではなかった。子育てに無上の喜びを感じるというのは、勝手な思い込みだった。単に世間が理想とする母親像を押しつけていただけだ。」(P226)

   「育児と家事をこなすのは想像していたほど簡単なことではなかった。女なら誰だってできて当然と思っていたのが、今では信じられない。」(P318)

   「今更だが、女の存在、特に主婦の存在とは、なんと頼もしいものだろうと思い知らされた。そんなことは、今まで意識したことすらなかった。家にいて家庭を仕切り、何でもやってくれて当然だと思っていたし、誰にでもできる取るに足らない仕事だと思ってきた。」(P348)

  「解説」から。

  「この作品の妙は、こんなあまりにも”あるある”の男女間の決定的な会話のズレが、連続パンチのように繰り出されていくことだ。それが読者の緊張感を生み出し続ける。」

  「戦後の”男性が会社で働き、女性が家庭内で家事をするのが普通”という仕組みは、”家族を養わなければ”と考える男性たちに極端な長時間労働を負わせることになった。それは、女性たちに過酷な”ワンオペ育児”を負わせると同時に、長時間労働のために正社員として働けず、経済的自立が難しくなるというもう一つのマイナスをも負わせることにもなった。」

  「これを乗り越えるには、女性が正規雇用で働けるよう、家事や育児を男女間で分け合える労働時間規制と保育・介護施設の充実が不可欠になる。」

  「(この小説は)つらくても、変化する社会条件から目を背けず、その問題点を自身の課題として受け止めること。そして、そのツケが次世代に及ぶことを、責任ある大人として防ごうと立ち上がることー。それは、高齢化社会の中で、多数派となりつつある年配者たちが進むべき希望の道を、私たちに示してくれているように見える。”定年オヤジ改造計画”は、極私的世界から始まる私たちの社会改造計画でもある。」

 

   最近、テレビ番組(TBS系列)・「私の家政夫ナギサさん」が高視聴率で放送を終えました。多分、このような背景があったからだと、勝手に思っています。

 

※関連する本として、ブログ2018年12月30日「老後の資金がありません」(テーマ別:書評)を参照にしてください。