すっかり秋も深まり、道路は色とりどりの枯れ葉に埋もれています。
この秋、ジョジョは6歳になり、あっちょいはもうすぐ誕生日で8歳です。
二年ほど前から、ジョジョの通うキンダーガーテンで
3歳以下の子を対象のプレイグループを担当させてもらっています。
そこで色んなお母さん達の育児の悩みや
子供の成長の喜びなどを聞く機会がよくあります。
それを聞きながら、みんな悩みや喜びはそれぞれ違っても
どのお母さんも同じく毎日家事や子育てに追われて
頑張っているんだなと感じます。
そのプレイグループのための研究会がよくあるのですが、
今日参加して面白い発見がありました。
Wer bist du?(あなたは誰?)というゲームをみんなでやったのですが、
まず隣の人に「あなたは誰?」と聞いて、
「私は女性です」「私は主婦です」「私は娘です」「私は妻です」「私はお母さんです」など、
一人10ずつ自分が何者なのかを言っていきます。自分の生活の中での役割りです。
他にも、「隣人」「友達」「いとこ」「孫」「叔母」「同僚」、家族の中の役割としての
「料理人」「掃除婦」「プランナー」それぞれ持っている職業の名前、
「プレイグループの引率者」などなど、
自身の中で重要だと思う自身の役割がたくさんありました。
そして、それをそれぞれ10枚のカードに書いていきます。
それぞれ書いたカードを自分の前に並べて、
講師の方が、「ではその中でいらないものを抜き取ってください」
というと、考えながらみんなが一枚抜きました。
すると「もう一枚抜き取って」、、、また良く考えて抜き取りました。
それを最後の一枚になるまで続けました。
そして最後に残ったカードをみんなが一斉に見せると、、、
驚いたことに25人ほどいた全員が同じことを書いたカードを持っていました。
それは、、、
「お母さん」
これには本当に全員が目を丸くして驚いていました。
どの役割も自分にとってすごく大事でも、最後に絶対に捨てられないものは、
自分の子のお母さんであること。
もちろんもっと人数がいればその中には他の役割を最後に選ぶ人も出てくる
可能性はありますが、
ほとんどの人が「お母さん」という役割を他の誰でもない自分の物だと心から感じて
責任を持ってやっていることを目の当たりにしました。
どれほど母親が子供に尽くして、自分のこと以上に考えているかが分かりますね。
たかがゲームでも、「お母さん」であることを捨てることは何よりも辛いと感じました。
私はすでに、子供がいなかった頃の自分がこの質問に何と答えて、
どのカードを最後に残しただろうということが想像できません。
お母さんじゃなければ一体私は誰!?、と思いました。
毎日、自分のことも構わず、疲れていても眠くても自分が病気でも他の事が忙しくても
子供が中心の生活。
極小さな子供の成長に一番に気づいて、それに誰よりも感激して、
極些細な子供の問題にも心配して解決しようと必死になって、
本当は気が小さくても子供のことでは強くなれて、
子供と一緒に感じて、泣いたり怒ったり喜んだり、
子供が病気になれば、次の日がいくら忙しくても夜中でも看病して、
仕事中でもすっ飛んで行って、
言葉が話せない赤ちゃんのうちは、他の人には分からなくても
子供が何を感じているか分かるほどいつも近くにいて、
家事なんかに手が回らなくても、自分はトイレにも行けなくても子供には食べさせて、
苦手だったはずのことも、子供のためなら頑張ったり、
好きだったことも我慢できたり、
そんなストレスいっぱいな毎日でも、実は世の中のお母さん達は
「お母さん」という役割を他のどんな役よりも誇りを持って喜んでやっているのだなと
実感しました。
自分ではそう考えたこともないかもしれませんが、心の奥ではきっとそうなのです。
一番自分が必要とされている役割が、自分の子のお母さんであるということなのかも
しれません。
自分の子のためにこんな風にできる人の代わりは誰もいないのです。
そこにお母さん達は自分の居場所、生き甲斐があるのですね。
そうやって大事に大事に育てている子供達の成長を見守ることができるのは
喜ばしいことです。
そして、そんな戦友でもあるお母さん達に寄り添えることがどんなに名誉なことか、
気づいた研究会でした。
そして、自分自身がこんなに大変だと感じながらも、
何よりもお母さんで居続けたいと思っていることに改めて気づかされたのは
素晴らしい驚きでした。