一年に一度ブログを書くか書かないかになってしまってるのは、やっぱりドイツの生活が当たり前になってきて、驚くことや新鮮なことが少なくなってきたからか…

 
こないだのクリスマスでドイツ9年目を迎えたわけだからねー。
 
と、クリスマスからはなんだかやっぱり師走でバタバタしてた。
 
日本語ツアーをやってる、BVB(ボルシアドルトムント)から、音声ガイドの翻訳と監督を一気に頼まれ、大量の資料の英文を日本語に訳すクリスマスシーズンでした。英語なんてしばらくやってないし、書類の量が大学論文並でなかなか歳を感じさせる時期でした。訳し終わったあとには、吹き込みをしてくれる日本人を探したりして。ケルンにたまたま留学に来てたサッカー実況の方と縁があり、私の翻訳文を使って音声ガイドの録音。時間分担や編集など何やらでやっと1月後半に終了。個人でいらっしゃるお客さんも、これからは日本語でかなり面白いスタジアムツアーができるよーになりました。
 
本当は、香川選手が残留するなら入れようと言ってたセリフもあったけれども、録音当日ぐらいにちょうど移籍の話が出てしまい、残念ながら、マルコ・ロイスになりました笑笑。
 
スタジアムツアーを契約している日本の某旅行会社さんも、香川選手、移籍しちゃったから、お客さん減るかなーなんて話してたりしたけども、春休みに向けて団体さんから予約がきたり、やっぱりドイツ最強ってことでまだまだ人気はあるそうです汗💦
 
さて、そんな書類作業がやっと終えたところで、ふとしたご縁で、ドルトムントの最大メッセの同伴、通訳のお仕事の依頼が。
お客様は、ペットショップをホームセンターに組み込んだ第一人者の服部章平様と奥様でまつ毛エクステなどを日本に広めたことでも有名な服部由奈様。メッセ当日は、なんと大雪に見舞われてしまい、ほんと予定外の大渋滞に襲われたり、購入された製品会社の大ミスがあったりなんてことで、ロシア訛りのセールスマンと商品の細かいテクニカルな部分に関する会話をすることになってしまったものの、時間はかかったものしっかりと問題解消もできたし、問題を見落とすことなく商品を服部様に説明することもできたので、とりあえずはよかったかなと。移動中、ランチ中には、お仕事の話、日本でのこと、お子様のことなどをいろいろ話を聞かせてもらったり、私のドイツでの生活についてもお話をしたり、とてもいい勉強になりました。その日は、メッセの後、メッセ会場の裏にあるボルシアドルトムントスタジアムで仕事をしてるんですよなんて話をしたら、ファンショップに行ってみたいとのことで、タクシーで向かい、しばしショッピング。支払いを全て終えた頃には、外は真っ暗で、ホテルに帰る時間だったので、帰路に着こうかと思いきや、「めぐみさんのお店にご飯食べに行こうよ」と提案していただき、そのまま私の車で30分離れた我がお店まで。主人も合流して、一緒に美味しいワインと我が家のお料理をたくさんいただいてもらいました。次の日は、帰国するということで、「明日の朝、電車でフランクフルト空港までなんだー」なんて話をしていて、「ドイツの電車は、ほんと、適当だし、ちょっと天気が悪いだけで、止まってしまうし、運休になってしまうなんてしょっちゅうなんですよー」と私。この大雪の次の日に、フランクフルトまで長距離電車、午前中に走る可能性なんて、20%近くだよなーとかなり不安ですよと話しながら、その日はお別れ。翌朝、由奈さんか電話が来て、電車の状況を確認してもらえないかと。インターネットで見てみると、思いの外、普通に動いてると。。。。いうことで、その旨を伝え、出発時間の11時近くにもまた確認して、電話しますねーと一旦電話を切って。
出発近くの12時近くになってもう一度インターネットを見てみると、なんと全て真っ赤で運休に!急いで、また由奈さんに電話をして、「電車、やっぱり動いてないみたいですー。」と。由奈さんも、ちょっとパニクっているようで、「誰か運転してくれる人いないかなー」とのことで、我が店で使っているタクシー会社3、4社に電話してみたものの、フランクフルトまでは長距離、2時間ぐらいだし、この大雪では、走らないよと断られしまい。結局は、お店の開店時間まで時間がある主人がフランクフルトまで車を飛ばすことに。なんだか、バタバタで急な予定だったものの、何はともあれ、時間に遅れず飛行機に乗れたということで、一件落着。
 
 
そして、そんな仕事が終わって、またふとしたご縁で、我が店にテレビ撮影が来ると。旦那さんから「今日、テレビ局から急に電話がきてね」と。どうやら、ドイツじゃかなり有名なスターコックさんが、番組の収録で、我が店を使いたいと。それも、電話があった日の1週間後ということで、なんとも急だよね。嘘じゃないのー、とか、騙されてんじゃないのーとか、言ってた矢先、次の日にちゃんとした、契約書などが届き。電話でも段取りを組み。私も結構よく見てる料理番組の撮影ってことでびっくりだけれども、来るってからにはしっかり掃除しないとね。日本でいう、フジテレビ見たいな結構大きい局で、それも全国ネットのゴールデンタイムの番組なので。それも、このスターコック、ドイツじゃ有名な、ミシェリン星2のコック。話では、彼自身は指示するだけで、弟子さんたちがたくさん来て、実際に料理するみたいだけれども。うちは、ロケーションを貸すってのと、旦那さんがちょっこっと映るかもって話。とりあえず、従業員さんみんなで、大掃除。撮影日は、お店は閉店ということで、事務所で従業員さんたちと集まって、撮影現場をちょこっと見ながら飲み会をすることにしました笑。そして、その撮影が終わって、三月末には、ベルリンから、ある俳優さんが我が店にきて、彼が書いた本を宣伝、朗読し、うちのお店でお客さんにご飯を食べてもらうっていうイベントも。
 
 
 
すっかり、年明けたなーと思いきや、もうすぐ3月。3月は、誕生日が多かったり、なんだか師走以上にバタバタする月。ルナも、9歳になるということで、そろそろティーネイジャーの香りがして来て。そろそろ、ブラジャーが欲しいとか、あの人がかっこいい、とか、この人が素敵だとか。顔を赤らませながら、好きな子の話をしたりするのをみると、恋してるのかなーと微笑ましく思ったり。今までは、男の子の前でも、真っ裸になって着替えするような感じだったのに、ませて来たりする仕草を見ると、「女の子って、本当は、めんどくさいなー」ともちょっと思ってしまったりして笑。その反面、4歳の長男は、一気に肩幅が広くなったり、お兄ちゃん体質だからか、言うこと言うことがなんだか頼れる男っぽくて、たくましく思えたり。そして、3歳の次男は、イヤイヤ期真っ最中で、根っからの甘えん坊のわがままで。みんなに、これだから末っ子って。。。って言われ続けてる。私自身も末っ子だから、「それでいいんだよー末っ子はー」笑って甘えさせてるけれどもね。お下がりばかりで、放って置かれてばかりの末っ子の唯一の特権は、甘えていいことですからー。
 
 


2年経った今も、変わらない悩みは減らない。

 

自営業とはね。

 

 

本当に、世界どこに行っても、自営業って辛い立場なのかなー。それともドイツだからかなー。それとも、飲食店業だからなー。

 

と色々頭をなやますこの頃。

 

 

 

というのも、ドイツ、2014年ぐらいから最低賃金制度っていうのができて。

ミニジョブと呼ばれる最大450ユーロまで稼げるバイトさんの時給は、知識、年齢、経験など問わず、時給一律支払われるって仕組みで。

昔までは、学生さんだからー、とか、外国人さんでドイツ語上手に話せないし〜、とか、まだ、この職種経験がないから〜ってことで、上司が、その人個人個人の時給を、決めることができたんだけれども、これが全くなくなったってこと。

 

私たちがお店を始めた当時は、高校生の経験のないバイトさんには、5ユーロ(640円ぐらい)ぐらい上げてたのが、その制度が始まった2014年は、7ユーロ(896円)ちょっとから始まって、そのうち去年あたりには8ユーロ20セント(1049円)ぐらいまで上がって、今になって9ユーロ25(1184円)セント。

 

 

そして、昨日、税理士さんからの封筒を開けると、9、50ユーロ(1216円)になりますよと。そして、その日の夜には、ある政党が来年は時給を12ユーロ(1536円)まで上げると。

 

 

どんな状況か、日本に置き換えてみると。

中卒でも。

学校に出てなくても。

仕事経験がなくても。

北海道の村中でも。

東京の六本木ヒルズの上階でも。

刑務所歴があっても。

バイトに行って受け入れられれば時給1536円。

要するに、月38時間が最大労働時間数。

毎日1時間ちょっと働けば、1ヶ月に450(57000円相当)ユーロは手に入るって計算。

もちろんバイトさんたちに1時間だけのために来てねーなんてことは言えないので、だいたい来てもらう時には、3、4時間をめどに来てもらうんだけれども、だいたい3、4時間毎回働くなら、2週間ぐらいくればいいってことで。

 

 

私の日本でのバイト経験といえば。。。

地元の街中で某チェーンレストランで、17歳当時690円。

家庭教師(大学経歴やら高校の経歴)19歳1200円

東京の個人指導塾にて1500円

 

当時は、週に3、4回働いても4万近くなんてもらえたことなかったのに。

 

 

こんなことを考えてると、ほんと働く意欲が欠けてきて、むしろどっかに雇われていた方が、お金も儲かるし、責任も少ないし、時間もたくさんあるのになーと。むしろ、ドイツの場合、失業して、失業手当をもらってる人なんて、普通に真面目に働いてる人と同様の手当もらってるし、かなりいい暮らししてる。家具が壊れれば、市役所に申し出れば、手当もらえるし。住居も光熱費も、交通費、さらには娯楽費も毎月、市から払ってもらえる。将来の不安だけを持ち続けなければいけないだけで、今だけいい暮らしをしたい、働きたくのが馬鹿らしいって思うなら、みんな失業手当出して、仕事しないなんて人は、結構そこらへんに隠れている。働いているっていうステータスと将来の保証のためだけで働いてるわけで、別にいい車が欲しい、家が欲しいから働いてるわけじゃない。

 

こんな悩みが重なった上で、急遽ミーティングを行うことに。

 

いつもだったら、旦那さんが主に話して、私が隣で聞いてる〜なんて感じで。やっぱり、ドイツ人の旦那さん、バシバシダイレクトにいうし、ドイツ語でも気をつけてってくれるので。

でも、今回ばかりは、私も口を閉じておられず。

 

 

「この状況に来て、はっきり言って、この先本当に継続していくかどうか私的には悩んでる」と切り出してみて。

 

 

みんなビックリして、顔を合わせてみてたけども。

パートのおばちゃんが、「えー、そこまで考えてるの?」と笑い気味で言うので、「去年ぐらいから、最低賃金制度が上がっていくのをみて、真に考えてるわ。旦那さんがもうちょっと頑張ってみよーって引っ張ってるけれども、私的には、本当にモチベーションが湧かない」と。

 

いつもだったら、「そんなにダイレクトに言わない日本人の社長夫人」って顔があるので、みんなちょっとやっぱり驚いていたようだけれども、日本での自分の経験も含め、私が悩んでる根本を話してみた。

 

バイト、パートに来てくれてる人たちは、主婦の人だったり、大学生だったり、飲食業のバイト未経験の高校生だったり。3年前にドイツにやってきた難民の人だったり。

 

 

「日本とドイツは違うって言われるかもしれないけれども、私は、東京に住んでる時、大学卒業っていう条件のもとに、塾のバイトに受け入れてもらって、今のドイツの最低賃金9、25ユーロをいただいていたの。自分が持ってる言語の資格、レベル、留学の経歴、大学の名前などをすべて提示して、雇えてもらってたの。よく考えて欲しいのは、東京の地価は世界でも上位に入るほどで、家賃も高かったし、物価も高かった。それを経験した私が、当時の私の給料と同じ額を従業員さんに払えって言われてる。飲食業と教育者としての職種の違いも考えて欲しいし、私たちのヘルネっていう田舎の土地と世界でも大都市と言われる東京という都市の違いも考えてほしい。自分が若い当時働いてた労働の質と時間と、今みんなが働いてる状況とを比べてしまうのはやも追えないのはわかってもらえると思う。」

 

 

みんな下を向いて考え込んでいたようで。

特に突っ込んで言ってみた。

「例えば、お客さんが少ない時に、やることないなーと、5分間携帯をいじってるなら、棚の掃除もできる。3時間の労働時間の間に、毎回3分間、3回のタバコ休憩に行く時間があるなら、約10分間。その間、ゴミ出しにだって行けるし、庭の草取りだって、机の片付けだってできる。私の頭の中は、1分いくらって計算が常に回っているの。」

 

外国人のバイトさんにも、

「言葉が通じなくて、社長と話ができないような状況であるあなたたちでも、どこかに受け入れてもらえて、この額の時給をもらえるのは、難民が溢れかえるドイツだけだと思った方がいい。ここで働くからには、熱心にドイツ語学校に通ってもらって、文化の違いに関係なく、時間通りに来て仕事をこなして欲しい。外国人だからドイツ語が話せないっていう考えは捨てて欲しい。私も、外国人だし、ドイツ語学校に通わなかった私でも、ドイツ3年目には、お客さんの前に立って、たくさんチップをもらえるように、お客さんとコミュニケーションをとっていたわ。」

 

「何を言いたいかというと、自営業やっていこうとこの道を選んだのは私たち。最低賃金制度をどんどん高騰させていくのは、ドイツ政府。あなたたちバイトさんのせいでは、全くない。けれども、ここまで最低賃金制度が上がった中で、バイトをしていくなら、私も旦那さんも時給9、50ユーロの労働力と分刻みでの労働質を望んでる。そういう目でいつもみんなの仕事を見てる」と。

「もちろん、私たちがレストランをやめるって言って、みんなに違うところで働いてもらうことになったとしても、どこの自営業者も、このバイトさんは時給9、50ユーロの価値があるかって目で面接をすること頭に入れて欲しい。」

 

と、話し合いをした結果、結局は、他の飲食店同様、お店の商品の値段を上げる他ないとなり、みんなで夜中まで、メニューの値段について話し合った。

 

なんだか、今までなーなーで働いてもらったり、長い間やってるバイトさんとは友達感覚でもやっていたけれども、周りの自営業さんが言ってるように、ほんと仲良し感覚で労働なんていうのをやっていると損するばかりだとわかった気がする。

このミーティングの次の日からは、パートのおばさんがシャキシャキと動き回って働いてくれたり、バイト君が効率よく、自分のアイディアをどんどん盛り込んでくれたりするのが目立った。

 

果たして、これがいつまで続くことやら。

 

 

とある、経済雑誌の広告を見てたら、こんなことが書いてあった。

「ドイツよ、世界からバカにされて笑われる日もそう遠くはない」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と言っても、まだまだ日本の猛暑とはかけ離れた暑さ。

ドイツは、冷房とか全くないので、35度以上になると、学校が閉鎖になるんですー。

日本で、大雪降ると閉鎖になるように、ドイツは暑すぎると学校閉鎖。最初にこんなことを聞いたときは、35度って、普通の夏じゃんって思ったんだけれども、ドイツ人本当に夏の暑さに耐えられないのよ。

 

 

夏日が来るやいなや、ドイツ人によく起こるのが

 

「暑いあつい」って機嫌が悪い。

市役所の人とか、レジの人とか、みんな機嫌悪い。

 

 

「暑い」って理由で、学校の宿題がない

 

「暑い」って理由で、短縮授業

 

「暑い」ってなると、なぜか、職場の病欠が増える。

=働く気ないから、病気になって、家の庭でゴロゴロ

 

「暑い」って張り切りすぎて、白人の若い子たちみんな真っ赤に日焼けしすぎる

 

「暑い」のにクーラーが効かないから、電車がかなり遅れる。なぜか、故障が増える

 

もともと地黒で、猛暑を十分経験して来た私にしたら、ちょっと夏日になったぐらいで、真っ赤になるとかありえないし、「暑い」って理由で、みんな浮かれすぎだし、天気に左右されすぎだし!

 

 

だいたい、市役所とかで病欠が増えたりするこの時期、よく思うのは、「暑さ」で働く気がなーいっていうこの精神、やっぱりドイツの文化の一つで、学校時代から学ぶんじゃないかって思う。

 

だいたい、ルナが学校から帰って来ると、今日は、「暑いから」宿題なしだってー。とか、「暑いから」体育は、短縮だったーとか。何かと暑いから暑いからって。だいたい、学校の先生も休みが何かと多くなるこの時期。絶対おかしいだろって。一気に暑くなった途端に、みんな病欠って。

「ママに言わせると、大して暑くないし、この暑さの中で辛い思いしながら、学べないようなしょうもない大人になってほしくないわね」って言ってる。

 

旦那さん曰く、ドイツはクーラーないし、学校とかも暑いしっていうけど、日本の学校だって、クーラーがある学校なんてあんまりないし、私が小学校、中学校の頃は、汗ダラダラしながらマラソンしたり、朝から午後まで授業とか普通だったわ!

 

 

 

話変わって、我が家に新しい居候さん。

と言っても、我が家のゲストルームに新しいアパートが見つかるまでの間いる住居人。

 

もともとは、我が店にバイトさせてくださーいとあると聞きたスペイン人。

見た目は全くもってスペイン時じゃないので、またもや私のボロボロなスペイン語で、どこ生まれって聞いてみたら、モロッコ。

 

面接でいろいろ話してみると、モロッコ生まれといっても、3歳の時にスペインに家族で引っ越して、スペイン国籍を持ってるスペイン人。モロッコ語?も喋れるものは、書けないとのこと。

それも、スペインといってもイビザ島で20年以上パティシエさんとして自営業していたと。スペインの経済危機で大きな影響を受けて、自営業を続けていられなくなって、ドイツの親戚を頼りに引っ越したと。でも、その親戚の家も、小さく、それも新婚家族の家なので、なんだか片隅にいさせてもらってる感があるということで、我が家の一室を提供。

 

我が家で、やっぱり、保険とか年金とか社会保険に入りたいってこともあって、正社員希望をして来たんだけれども、我が店でも結構満杯なので、ちゃんとパティシエ職人としてドイツでやっていけるように職場を探してあげることに。旦那さん、一緒に労働局に回ったり、我が店からの推薦書を出したりと手伝った結果、うちの市では結構有名な巨大パティシエ店の面接まで登り、正社員として雇ってもらえることに。まだまだ、ドイツ語が全然喋れないからって自信がなかったものの、運良く億万長者の社長さんが、スペインに別荘持ってるってことで、スペインにもよく行くからスペイン語もしゃべれるのよーってことで、意思疎通がよくいったそうで。

ほんとよかったよかった。

 

一緒にご飯を食べたり、うちの家族とお酒を飲んだりすることも増え、私のボロボロなスペイン語で(笑)通訳しながら、お互いのことをいろいろ話して行くと、パティシエとして自営業を始める前、若い20代の頃は、スペインの国を代表する陸上競技選手だったと。だから、スペインの国籍も、親がモロッコ人だったから、移民手続きの結果に国籍をもらったんじゃなくて、スペインの陸上選手になったから、スポーツパスポートをもらえたんだと。当時は、あるスペインの企業から投資を受けて走っていた陸上選手で、それはそれは、毎日40キロを走っていたと。当時の若い時を振り返ると、食事制限、時間制限、友達制限がつけられてて、好きなように身動きも取れず、あまり楽しい思い出はないと。でも、いい経験になったよ。と。

 

 

イビザ島といえば、日本人にとってのハワイのようなもので、ドイツ人が旅行に行くといえば、マジョルカ島かイビザ。その中でも、イビザは、本当に全てが高い島。彼がいうに、道を歩けば、10件のディスコ、2件の普通の家、5件のホテルを見つけることができるって割合で、パーティだらけの島だと。

比較的、今でもヨーロッパの中でも生活用品が安いと言われてるドイツにきたもんだから、買い物に行くと、全ての安さに驚き!

 

今年の春に、1年間我が家にホームスティしてた子がいなくなってしまってちょっと淋しいなーなんて思ってたけれども、また、新たな住居人が増えて、ちょっと楽しかったり。

子供達も、我が家に新しい住居人がいるのが普通のことと思ってるのか、ドイツ語が喋れない人が来ても、あまり抵抗を持たずいるようになってるのでいいかっと。

 

 

あっ、ところで、我が家の車庫に数十年寝てた、アンティークバイク500ユーロで売れました。

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旦那さんのお母さんとお父さんがよく乗り回したとか、旦那さんがいとこと2ケースビールを飲んだ後に、腹が減って二人でこのバイクに乗って、凸凹な丘をボンボン乗り回して、パンを買いに行ったんだーとか、たくさん思い出が詰まったバイクも、結構ボロボロで、修理代にコストがかかりすぎるし、旦那さんも今やそこまでバイクに興味があるわけじゃないし、義父も足が利かないから乗れないしーってことで、ずっと車庫に寝てたこのバイク。

買い手は、毎日ハーレーダビットソンを乗り回してる、ツーリンググループの一人の知り合いさん。ほんと典型的なハーレーダビットソンを乗ってるおじさんで、ヒゲがビヨーンと長く、声がガラガラで、日焼けしてて、白毛の長髪で。修理するのが楽しみだし、嬉しくて嬉しくてしょうがないよとハッピーな顔をしながらバイクを持って行ってくれました。