一緒に歩いていた友人が気がつくと先を歩いている。
あわてて、あるいは奮起して自分も急いで歩き出す。
水戸黄門のテーマみたいだけれど(笑)、一種のエネルギーにしていた時期もあります。
まあ、サラリーマンとして歩く分には出世競争の様なものもありますが。
自分がこれと決めた道で、友人達と一緒に歩いていたつもりが、
気がつくと、いつの間にか方向が違っていることがあります。
みんなそれぞれ、自分の決めた道を歩んでいるのだけれど
なぜだかさみしい・・・
そんな気がする時があります。
これは私が
人柄タイプだからなのか
見捨てられ不安があるのか
実は単に自分が立ち止まってて、人を見送るばかりで一歩も進んでいないからなのか(^^;
さて、自分の道って、結局何なのだろう?
自分が歩んできた道は結局何だったのか、そしてこれから何処へゆくのか?
ここまで別れ道があるたびに決断してきたはず。
その時の決断の意図ははっきり見えているか?
例え一貫していなくてもその時々の決断の意図(決めた理由)がはっきりしていること。
そして、今また、決断の場面が近づいている感覚があります。
さあ、鋭敏な感覚を研ぎ澄ませて対峙しよう。^^
私の魂の深いところにある大きな流れは決まった方向に流れているのだから。