「追い風」を重視して、敗北から学びを得る、家康の強さ
のちに小牧・長久手の戦いで秀吉と対峙したときも、家康は最後まで戦おうとせず、不利な状況になったときには停戦を行ない、人質を差し出す形で戦いを止めています。
追い風が吹いていないときに無謀な戦いを続ければ、大敗を喫して自軍が滅亡しかねないからです。
逆に、自らに有利な追い風が吹いているとき、戦端を開かないのも愚かな話しです。千載一遇のチャンスに手を伸ばさなければ、自らが飛躍するときは永遠にやってこないでしょう。
家康は、配下だった今川義元、最重要の同盟者だった織田信長がともに敗死する大混乱を生涯で2度も体験しています。
しかし、人生で多くを学んでいた彼は、その空白と混乱を自らの飛躍の礎に転換できたのです。
多くの場合、守りに強い人は攻めることが苦手であり、攻めることが得意な人は守りが苦手なものです。
しかし、時勢に合わせて攻守を巧みに切り替えなければ、大きく飛躍できず、また生き残ることができません。
これが最終的に私たちに
気づいてほしい
メッセージだったのかもです
これを読まれた方が
どのような解釈で受け取られるかは
それぞれですのでお任せします
今回のことは
一華さんの上野東照宮の代理参拝の
ご縁から始まって
ピュアハートさんの写真を
大山祇神社に奉納して
そこからの怒涛の出来事でした
これから先の展開が楽しみです
今回は神様との関わりでの
家康公の話でしたが
昨日購入した『知恩院』の本を
開いたら
そこにも家康公にまつわる
お話が載ってました
それは次のブログで