定年後健康の為に仕事を続けるという方がおられる | 酒井カロウのおそまつくん春日記

酒井カロウのおそまつくん春日記

日常生活の気付いたことなどを記事にしてご紹介します。宜しくお願いします。

 実情は、体力の限界まで働かなければ、生活を維持できない方が多くなってきているようです。

 収入から支払った国民年金や厚生年金の関係から支給される公的年金支給額だけでは生活支出を賄えないということがある。

 健康の為に仕事を続けるという方もどうして孤独な時間にたえられない、話相手がいないと参ってしまうという方もおられる。

 家にいると家庭内で居場所がないと感じてしまう。

 こうなると、家庭を持たなければ良かったと思う方もおられるようです。

 地方の一般的な考えでは、独身者になっているのはその人に何か問題があるような偏見によって、平気でハラスメントをしてくる威張った人がいます。

 仏道に少しでも興味がある方なら、ご理解いただけると思いますが、人はだれでも、明日の命もしれず、孤独であるのは間違いないのです。

 いくら仕事の技量が有っても、それで稼いでいる以上、仕事には責任がある成果が求められて以上、仕事をつづけるのは精神的には辛いのです。

 無職は軽蔑がありますけれど、高齢化は、時間が限られてきますし、凡夫は何をやっても悪業そのものなのですから、人のあるべき姿として天涯孤独を喜びになるように、早く仕事を辞め、好きな事をやるのが一番なのです。

 余談ですが、全ての方ではないですが、例えば僧侶で、子供の時から頭をまるめて人前でお勤めを務めるのは好きでやっているのではないというのであれば、寺に生まれてきたことが不幸だと思います。だれでも自分のことを因果応報と考えることできますでしょうか。生まれつきや、機能障害が突然発生しても、受け入れることできますか。

 いくら、一生懸命に法話をやっても、話をしても門徒に感動をあたえませんから、檀家は離れてしまいます。

 社会がその人に特権を与えたのは、その人に稼がせるためではなく、人々を助けるためであるので、研究者、政治家や役人や法律家や宗教家、福祉や医療従事者、地域の活動家地位ある人、教育関係者はよくよく考えてもらいたいものです。

 はっきりいって、人を上下関係からみる人は、いくら勉強をしても努力して競争しても、人は付いては来ないのです。