金欲への執着、いまや代表的執着依存病と思う | 酒井カロウのおそまつくん春日記

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日常生活の気付いたことなどを記事にしてご紹介します。宜しくお願いします。

一方的愛情への執着も同様に本当に見苦しいかぎりです。

 それはもう、やめられない妄念としかいえません。誰もがかかりやすい病気なのです。

 手間暇かけないで儲かる仕事なんてないはずなのに、政府のNISA制度に踊らされ、金融リテラシーの言わんばかりに手を出してしまった。それは、自己の都合の良い弁解にすぎません。

 現実的には、個別株への投資にほかなりません。市場で取引される農産物とは違って、株券そのものには全く価値はない事に気付かないのです。私が申すまでもなく、株の価値を上げるも下げるも人間の欲望の量的変化がもたらしているので、突然の急騰も価値0もあり得るのです。

 お金が命より大事だと思っているような人にとっては、その喪失感は比類するものがないほどです。

 もともと、お金を投資によって増やそうなんていうのは、自分の努力だけでは無理とわかれば、やめなくてはならないのです。

 

 お金がなくなるまで、投資を続けて儲かってるうちはよいのですが、お金が無くなるより、借金が膨れ上がってから辞めたところ、自己破産せざるを得ないなんてなりかねません。そして、家族を不幸にすることになります。何度かの失敗を経験しても経済的に立ち直るという人もいるかもしれませんが、極めてまれな例です。

 ここで、私が説明するまでもなく株式市場というのは、経営資本家にとっては、株主への利益の還元と強力な集金装置だからです。本当はパチンコ同様、個人投資家は儲からないように出来ているのです。儲かっているのは、運が良いかむしろ普通の考え方ではない勝負師のごくわずかな人々です。加えてAI取引によって弱小個人投資家が儲からないように仕組まれています

 損失を取り戻すことができたとしても、3倍以上の時間と努力が必要となります。

 それから、投資によって贅沢な生活ができたとしても、本当の幸せにはなれないのです。

 

 職業による収入というのも、同様に本当は自分の努力だけで得られるものではないという事に気付かねばならないのです。

 

 老齢になっても、亡くなるまで仕事を続けなければ、生活出来ないとなると、その仕事によってむしろ、寿命を縮めているのです。クリエーターがクリエート出来なくなった時、それは死を意味します。芸術至上主義者やクリエーターが老後がないのは、残念なことに生きている間に本当の幸せに出会えなかったともいえるのです。