ノストラダムス 6ー26 最後のローマ教皇の在位は4年間だから、やはり2017年を暗示、その4 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

ノストラダムスの6-26の詩を解釈し直している。
日本語訳をもう一度挙げよう。

 

ノストラダムス 第6章26番

 

ややましな人間のために四年のあいだ座が確保されよう
跡を継ぐのは色を好む男
ラヴァンナ  ピーサ  ヴェローナが彼を支持するだろう
法王の十字架の値打ちを高めたいのだ

(山根和郎 訳)

 

四年間、いくらか立派な人物が御座を保つだろう。
生活の不品行な者が後に続くだろう。
ラヴェンナ、ピサ、ヴェローナは支持するだろう、
十字架を掲げたいという教皇の熱望を。

(ノストラダムスの大事典の訳)

 

前回の「その3」まででこの詩の1行目から3行目までを解説した。
残るは4行目である。
では6-26の最後に残った4行目を考えていこう。

 

法王の十字架の値打ちを高めたいのだ
十字架を掲げたいという教皇の熱望を。

 

この行は一読すると、2行目の


>跡を継ぐのは色を好む男
>生活の不品行な者が後に続くだろう。

 

つまり、バビロンの大淫婦の男(=悪魔軍団)が教皇になるための目的、理由について述べたのかな?
と思われるような形式で書かれてある。

 

この行は前回はこう解釈した。
http://ameblo.jp/kkokrjp/entry-11910158364.html

 

要約すると、

>つまり、悪魔軍団は「自分達こそ再臨のイエスですよ」と見せ掛けて、
そう思わせて騙しておいた方が、地球人をすんなりと支配しやすいのではないか、と考えたのではないか、と思われる。
すなわち、天使軍団が苦労して築き上げたキリスト教の威光、神聖さを横取りして利用したのではないか、と考えられるのだ。
「利用できるものは何でも利用してしまおう」という、えげつない、意地汚いというか、恥も外聞もプライド無い、なんともずる賢い、ずうずうしいやり方だと思うが、この詩の4行目、

法王の十字架の値打ちを高めたいのだ。
はこれを表現しているのではないか、と解釈できる。

 

と書いた。
まあ、これでも間違いではないのだが、今考えると、「これはちょっと甘い、緩い」と感じる。
今の私にはもう少し違った解釈が思い浮かんできた。


まず、4行目は、
「悪魔軍団が教皇になるための目的、理由について述べた」
と考えられるが、それよりも
「悪魔軍団が地球の覇権を取った後の状況について述べた」
と解釈した方がいいように思われる。

つまり、悪魔軍団降臨の時限定ではなくて、「その後ずっと」を描写したのではないか?
と感じたのである。


だが、そうだとしても、

法王の十字架の値打ちを高めたいのだ
十字架を掲げたいという教皇の熱望を。

とあると、
「悪魔軍団は、地球の覇権を取った後でも(ローマカトリック、キリスト教会の従来の概念の中で)その権威を更に高めたい」
と言っているのかな?
と思える。


だが、私は、「そういう意味ではないのではないか?」
と思えてきた。

確かに悪魔軍団は最初は(2018年の4月に)「キリストを装って地上に降臨してくる」
この段階では従来の聖書の預言、イエス・キリストのイメージとキリスト教の概念を利用して地球人を騙す。
だが、それは数か月の間だけだ。


生き残った地球人を選別して、奴隷として残すと判定した者に666の獣の刻印(脳内チップ)を挿入して、悪魔軍団の覇権が確立した後では、もう聖書やキリストのイメージに頼る必要は無くなる。
キリストの仮面を脱ぎ捨てて本性を顕わにしてよい。
となると、キリスト教会、ローマカトリック、ローマ教皇の権威なども不要になる。
こんなものは捨ててしまおう、と思うだろう。


4行目はこの「悪魔軍団の覇権が確立した後の状況」を描写したのではないか?
と思えるのだ。

 

つまり、
一見「教皇、十字架(イエス・キリスト)の権威を更に高めたい」
とは書かれてあるが、

これは、
「従来のキリスト教の概念の中で、その権威を更に高めたい」
というのではなくて、
「従来のキリスト教の概念を超えて、その権威を更に高めたい」
という意味を表しているのではないか?
というのだ。

 

ローマ教皇というのは、確かに今でも尊敬されていて、その権威は高い。
だが、それは「カトリックの信者の中では、クリスチャンの間では」というのが正しいだろう。
非クリスチャンにはその威光は通用しない。


例えば、クリスチャンが非常に少ない日本では、一般の人達はローマ教皇を崇拝していない。
勿論、「カトリックの信者の中では崇拝されているだろう。世界中のキリスト教徒は崇拝、尊敬しているだろう」
というのは知っている。
でも、それはニュースで知っている、というだけで、他人事として冷めた目で見ている。
非キリスト教徒である自分達はローマ教皇だからといって特別に崇拝も尊敬もしていない。
むしろ「あんなのは選挙で選ばれただけじゃないか。何でクリスチャンはそんなものを有難がっているの?」
と不思議に思っている。


普段はローマ教皇のことなんて考えてもいない。
つまり、ほとんどの日本人、非キリスト教徒はローマ教皇、ローマカトリックの影響下、支配下には無い。

 

だが、地球の覇権を取った後の悪魔軍団はそうではない。
「地球人の中の何分の一かの人を、しかも宗教的、精神的に支配すればよい」
というのではない。
そんなことで満足できる訳がない。
「全世界の地球人、生き残った全ての人達の全ての生活を自分達の支配下に置こう」、と考えている。
宗教の枠内、宗教限定でというのではない。
政治的にも、経済的にも、思想的にも、日常の生活においても、精神的にも肉体的にも「全ての地球人をその支配下に置こう」
と考えている。


そして、自分達に逆らった反逆分子や役に立たない不要分子は全て抹殺処分した。
その手段として666の刻印=脳内チップが利用されたのだ。

そして、それは2018年4月の悪魔軍団の降臨の数か月後よりも後でそう実施された。


先ほど書いたことをもう一度書くが、
>つまり、「従来のキリスト教の概念の中で、その権威を更に高めたい」
というのではなくて、
「従来のキリスト教の概念を超えて、その権威を更に高めたい」
というのではないか?

というのだ。


確かに、この原典、日本語訳ではこうは書かれていないかもしれない。
これは過剰解釈かもしれない。

だが、この詩の全体の意味、詩全体の流れから考えると、ノストラダムスはこのようなことを言いたかったのではないか?
という気がする。

 

これで、一応この詩の再解釈、再解説を終えた。
私としては、3年前よりも更に深く鮮明に解釈できたのではないか?
と思う。
更に、ノストラダムスがこの詩を作成した意図、経緯、その裏に込められていた感情までもがより理解できたような気がする。

 

この詩は、「ある二人のローマ教皇についての予言」のように見せかけているが、実際は悪魔軍団侵略の預言である。
2行目の、
>跡を継ぐのは色を好む男
の好色という語から淫乱、淫行~バビロンの大淫婦を連想していけばこの詩の謎は解けていく。


聖書をよく知っているはずのフランス人、キリスト教圏の研究家が何故これに気がつかないのだろうか?
「ノストラダムスは様々な小事件を予告した」、という「予言的思考」に囚われて、それしかできなかったから予言的解釈しかできなかったのだ。

 

「悪魔軍団の侵略が起き、地球の覇権は彼らに奪われてしまう」
ということを預言した詩は非常に多い。
ノストラダムスは手を変え品を変えてこれを告げている。


この詩にも「侵略、襲来」という語は出てこない。
だから、一見しただけでは「悪魔軍団襲来の預言」とは思えない。
しかし、突き詰めて解釈していくと、やはりこの詩も

「悪魔軍団の侵略、襲来、彼らの地球支配」を預言した詩だったと解る。


だから、未来においてこれが起きるのは間違い無い。
いや、未来は既にこうなっている。

天使はこうなる前に、間に合ううちに(期限の1999年までに)天使を呼んで準備を始めなさい、と警告したのだが、日本人も他の国の人達も全然理解できないでこの忠告を無視してしまった。


ただ、この詩が他の悪魔軍団襲来だけを述べた詩と違うのは、

1行目に「最後のローマ教皇の在位は4年間である」

と書いたことで、艱難開始~携挙の予定時を教えたことである。
だから、その配慮を活かさなければならない。


さて、悪魔軍団が地球に病原菌、ウイルスをまき散らす方法だが、ケムトレイルという語が思い浮かんできた。
陰謀論でよく出てくる飛行機雲のようなものだ。
これで空から都市や地域にウイルスを散布するのではないだろうか。