ノストラダムス 第10章73番 偉大なユピテル主義者に裁かれるだろう。 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

ノストラダムス 第10章73番 


現在は過去とともに
ユピテルの大いなる者により裁かれよう。
世界が彼に飽きるとも時すでに遅く
また宣誓する聖職により不実になるとも
(山根和郎訳)


今の時代は過去とともに、
偉大なユピテル主義者に裁かれるだろう。
世界は後に彼に疲弊させられ、
そして教会の法曹家により不誠実とされるだろう。
(ノストラダムスの大事典の訳)


昨日取り上げた10-71の次の次の詩、有名な10-72(1999年7の月の詩)の次の詩である。
この詩の2行目にユピテル主義者とあるが、ユピテルとはジュピターで1-50の「木曜日を祝日とする者」と同一視されている。
昨日解説した10-71の「人々が木曜日を崇拝しに来るであろうときに」
とも関連している。
ユピテル主義者とは、一昨日説明したように「木曜日を祝日とする者」、すなわち悪魔軍団を指している。
この詩は以前は漠然としていてよく解らない詩だと思っていたが、ユピテル主義者が悪魔軍団を指している、と判ると理解できてくる。


2行目、
偉大なユピテル主義者に裁かれるだろう。


これは「大勢の(多数派の)悪魔軍団によって(地球人は)裁かれるだろう」
という意味だと考えられるので、この詩は、
「悪魔軍団が地球の覇権を取った場合=天使軍団が地球の覇権を取れなかった場合、について述べている」
と考えられる。
あるいは、直前の=最新の歴史を描写している、と考えてもよいが、どちらにしろ今回もこの詩に描写されていることが再現されていく。


3行目、
世界は後に彼に疲弊させられ、


悪魔軍団は初めはキリストを装って地球人を助ける振りをするが、支配体制が固まってくると本性を出してくるので、地球人は疲弊させられるだろう、
という意味だろう。

4行目、
そして教会の法曹家により不誠実とされるだろう。


それは、(悪魔崇拝なので)教会の教会の法曹家=キリスト教の教義、からみたら不誠実なものだとみなされるだろう。


1行目、
現在は過去とともに

は、2行目の
偉大なユピテル主義者に裁かれるだろう~多数派の悪魔軍団によって裁かれるだろう。
と一緒に考えた方がよい。


「現在というのは、過去の積み重ねによって形成されている」
と考えられる。
2016年から悪魔軍団の侵略が始まり、地球人が悪魔軍団によって地球の覇権を盗まれて征服されていくのも、
2016年以前に、預言書の真意を理解できずに天使の警告、指示を無視して期限=1999年までに天使を呼ばなかったからである。
2016年以後の艱難も1999年に天使を呼ばなかったことに原因がある。

1999年の過ちが2016年以後に罰として降りかかってくるのだ。


1999年に判決は下された。

今は刑が執行される前、収監される前の「執行猶予期間」にしか過ぎない。

ところが今の人間はそれも解らないではしゃいで浮かれ狂っている。

ただただ、馬鹿丸出し、救いようがない馬鹿、としか言いようが無い。


これが、
現在は過去とともに、悪魔軍団によって裁かれる。
という意味ではないか、と考えられる。
天使は2016年の3月から6月までに義人を掲挙して引き取った後は二度と地球には来ない。
2016年の7月以後に地球人をどう料理するか=どう裁くか、というのは実際は全て悪魔軍団がするのである。だから、
多数派のユピテル主義者=悪魔軍団によって裁かれる。
と表現したのだろう。


この詩も「象徴技法と5次元的思考=歴史は変遷していく」、

という考え方、を受け入れていないと理解するのは難しいだろう。


従来の研究家は、この詩は「フランソワ・ラブレーを予言したものだ。ヴォルテールについての予言だ」
と相変わらず「誰か一人の歴史上の人物か、何か特定の小事件に結びつけよう」としか考えていない。
非常に矮小化して低次元、低レベルに解釈している。
最初から最後までその思考しかないのだ。
ノストラダムスの真意とズレまくっているのに全く気がつかない。


ノストラダムスは「人類の歴史の変遷」について描写、記述したのであり、

「全人類の運命に関わることしか預言していない」のである。

従来の考え方しか認めないで、それに縛られている人は、決してノストラダムスの作品の真意は理解できない。
宝をガラクタとしか見ていないのだから、もったいないと思うが、そのガラクタ思考から抜け出せない人が非常に多い、いや、ほとんどだ、と言っていいだろう。