報告 講演会「3・11」2年 復興と除染の現実 福島・飯舘村から見えるもの
講演会 「3・11」2年 復興と除染の現実
福島・飯舘村から見えるもの
小澤祥司さん
4月13日、講演会『「3・11」2年 復興と除染の現実 福島・飯舘村から見えるもの』を行いました。
講師の小澤祥司さん(環境ジャーナリスト、『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』著者)は、環境、再生エネルギーの問題に関わり、3・11前から伝統的食文化・特産品開発、再生エネルギーの地産地消に取り組んできた飯舘村の人々と交流してきました。
講演で小澤さんは「2011年3月福島原発事故が起き、3月14日深夜~15日未明、最大の放射性物質の放出があり、プルームは首都圏まで達した。特に降雨・降雪があった飯舘村では15日18時20分44.7uSv/hという最高値を記録した。
当時村民は沿岸部・20キロ圏からの避難者への対応に追われていて、その事実を知っていた者は少なかった。
20日、高濃度のヨウ素131が検出されて村内の水道水飲用不可になったが、15~20日の間は皆飲用していた。
3月28~29日、京大の今中哲二さんたちと飯舘村を調査した。村内を測定すると、あちこちで20 uSv/hを超え、場所によっては30 uSv/hを記録した。
今中さんは村に、子ども・妊婦の避難などを助言した。
飯舘村には山下俊一の弟子の高村昇らが入って安全キャンペーンを行っていた。
4月10日にも講演会を行って安全だと言って、翌日11日は計画的避難区域指定が公表された。
このため2つの問題点がある。1つは飯舘村は大部分が30キロ圏外のため、避難指示が遅れた。
2つ目に、既に避難場所が20キロ圏からの避難者で埋まっていたため、飯舘村が計画的避難区域になり村民の多くが避難するのに2ヶ月半かかった。
飯館村民は直ぐに避難した20キロ圏内の住民より高濃度被曝している可能性がある。
空間線量減衰予測では10 uSv/hが年1mSvに下がるまで150年かかる。
昨年7月17日に避難区域再編が行われ、村内が帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域に再編された。
避難前、飯舘村は6132人1716世帯だったが、避難後の世帯数は3149。
若い世代が先に借り上げ住宅に避難し、高齢者が後で仮設住宅に移り、世帯分離が起きたからだ。村民の52.7%が「行政の家賃補助を受けた賃貸借り上げ住宅」に避難している。
村は来年春に帰還開始と言っているが、絵に描いた餅。
私たちのアンケート調査で21.9%は線量に関わらず帰らないと答えている。
国は20ミリを避難基準にしているが、これは原子力作業従事者並みの被爆を甘受しろということ。
飯舘村は5ミリを帰還基準にしているが、菅野栄子さんは「一般国民は1ミリ。飯舘村は5ミリ。同じ国民が差別される。そんな国のあり方はない」(3月30日、飯舘村放射能エコロジー研究会・東京シンポジウム)
飯舘村ではモデル除染が行われているが、多くの地区では仮置き場も決まらず、仮仮置き場に汚染土を詰めたフレコンバックが山積みになっている。
除染は可能なのか。
飯舘村の森林率は75%。環境省の基準では森林除染は居住区の周囲20mまで。
建物は築年数・構造によっては解体しかなく、しかも築年が経っているものは解体しても一切補償しない。
原発事故前、ほとんどの世帯は野菜、米を自給し、加工品(凍み餅、凍み豆腐、味噌、どぶろく)も原材料は自給、キノコ・山菜を採り、おすそわけや販売をしてきた。
自然とともにあった暮らし、人のつながり、文化が断ち切られた。これらは補償の対象にならない。
村民は「帰らない」ではない。帰りたくても帰れないのだ。
帰っても以前のようにキノコ、山菜採りはできない。子・子どもと暮らせないなら、帰っても仕方がない。いずれ体がきかなくなるなら子供と共に村を離れたほうがいいと思っている。
国や村は圧倒的に勘違いしている。村民が帰りたいのは村ではなく、家。
線量が相対的に低い地区に復興住宅を建てても、地域のつながり、自分の家がないところには村内でも帰らない。
村長は村民個々の意思を無視している。
飯舘村は原発事故の影響を小さく見せたい最前線。
支援はどうあるべきか。原則は現状復帰だが、事故前に戻すのは不可能。
帰りたい人、帰れない人、新しい土地で新しい生活を始めたい人と被災者の希望・思いは千差万別。一人一人の思い・希望を最大限保証することが必要。
住民の声がなぜ届かないのか。
安全神話が「除染神話」「復興神話」へとすり替わっている。
原発事故も、15日に飯舘村が高濃度汚染されたことも「たまたま」だった。
何が起こったのか、起こりつつあるか、何が奪われたのか、どう乗り越えるのか。
飯舘村の人々だけでなく、全人類的課題だ。
そのために研究者、ジャーナリストなどで「飯舘村放射能エコロジー研究会」を12年8月結成。福島と東京でシンポジウムを開くなど取り組んでいる。
風化させてはいけない。公害の反省、市民科学の立場に立って、風化しつつある事実を息長く掘り起こしていきたい。
質疑応答では、行政が進める除染の問題点、移住をどう考えるのか、避難区域再編で賠償が1~5年で打ち切られようとしていること、菅野村政をどう評価するのか、原発再稼働をどう思っているのか、文科省のモニタリングポストの放射線量が実際より低く出ているのではないかなどの質問が出された。
そして、飯舘村の食文化を絶やさないために始められた味噌、凍み餅のプロジェクトが紹介された。
最後に小澤さんは「たまたま飯舘村に関わってたため、こういう活動をすることになった。
こんなことがなければこんなに親しくなることもなかった。それだけは良かった。
被災者はいつまでも『悲惨な被災者』ではない。支援のあり方も変わっていく。
こういうことをしてほしいんだろうという決め付けが一番困る。まず話を聞くことが大事。
まずは忘れない。そして、周りの人に話してもらいたい」と結んだ。
研究会では、講演全体をまとめた報告集を出す予定です。
4月13日講演会「3・11」2年 復興と除染の現実 福島・飯舘村から見えるもの
国連・憲法問題研究会講演会
「3・11」2年 復興と除染の現実
福島・飯舘村から見えるもの
講師
小澤祥司さん
(環境ジャーナリスト、『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』著者)
日時
2013年4月13日(土)午後6時15分開場、6時半開始
会場
文京シビックセンター5階会議室C
(後楽園駅・春日駅・水道橋駅)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html
参加費 800円(会員500円)
国連・憲法問題研究会
連絡先 東京都千代田区内神田1-17-12勝文社第二ビル101研究所テオリア
TEL・FAX 03-6273-7233
http://www.winterpalace.net/kkmk/
peaceberryjam@gmail.com
「3・11」2年 復興と除染の現実
福島・飯舘村から見えるもの
「3・11」から2年。原発事故の被害を最も受けた福島では、16万人以上が故郷を離れることを強いられ、放射能との苦闘がつづいている。政治・行政が「復興」を呼号する中で人びと(住民・被災者・避難者)はどのような生活をし、いま何が問われるべきなのか。
2011年3月下旬、今中哲二さんらの現地調査に同行して飯館村の高濃度汚染の実態を明らかにし、飯館村に関わり続ける小澤さんに、3・11から2年の福島の現状、「除染」「復興」の現実について話していただきます。
小澤祥司さん。環境ジャーナリスト/環境教育コーディネーター。静岡県生まれ。執筆・研究テーマは、生物多様性保全、再生可能エネルギー、環境エネルギー政策、持続可能な地域社会、環境保全活動や企業の社会的責任(CSR)など。飯舘村放射能エコロジー研究会共同世話人、NPO法人エコロジーアーキスケープ、西多摩自然フォーラム、トウキョウサンショウウオ研究会、各会員。著書に『コミュニティエネルギーの時代』『メダカが消える日』(岩波書店)『減電社会 コミュニティから始めるエネルギー革命』(講談社)『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』(七ッ森書館)ほか
人にはそれぞれの物語がある。ささやかな生活があり、積み重ねてきたものがあり、夢がある。…原発事故はそれらをぶち壊し、台無しにした。…原発のある限り、あなたの住む町が次の「風下の町」になるかもしれない。(小澤祥司『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』あとがきより)
《お知らせ》国連・憲法問題研究会の連絡先が変更になりました。
国連・憲法問題研究会の連絡先が変更になりました。
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