自分の都合を優先させた
亡くなった母の妹である叔母が亡くなった。私がよくこのブログで書く近所だからと、一人ぐらしの95歳の伯母の在宅介護の面倒をみる羽目になっているがその伯母の妹でもあるわけです。四姉妹はとうとう、この伯母が最後の一人になりました。先週、木曜に亡くなった叔母の息子である従兄弟と一緒に危篤状況の叔母のお見舞いに行った。その2日後に亡くなった。同じ市内なので、お通夜、お葬儀と夫婦で参列したが、問題は高齢で、認知症がどんどん進行している伯母の参列をどうするか問題。最期のお別れだからと言うのはもっともですよ、当然。私も連れ行けるならと悩んだよ。だけど、冷静に考えて、あの伯母にどうやって着替えさせて用意させるのか?一瞬で忘れるのに、妹の死をどう伝えるのか?全く外出してないから、知らない場所、知らない人に囲まれて伯母が不穏になるのは目に見えている。お通夜の前とか、後からとか一目でもと従兄弟に言われ、自分達も迎えにいくしと言われ、考えたよ、そうしようかとも。でも、せん妄状態の時、亡くなった自分の母親、私の母の事をまるで生きているように話し近所の人の家に夜にインターホン鳴らして、いなくてと言いに行った事もあるし、葬儀に事が頭に残って、一人で出て行くようになったら、今後どうする?会場で、大人しくしているわけはないし、問題発言連発しそうだし、こっちはもう気疲れどころではないよなって思った。今、それならにペースができて、暮らしている伯母。私は週に3回は行っている。私は伯母にあえて、妹の死を伝える必要はないと思った。だって、結局最期のお別れをさせたいって、生きている側の、従兄弟達の気持ちっていうか、綺麗事すぎないか。この伯母がもう看取りかなと寝たきりになった去年の10月。ホームで暮らす亡くなった叔母を連れてきて伯母に会わす事できないかと連絡した。その時は叔母はまだホームにいて、まあほとんど話しもしなくてなっていたらしいが近くだが、行くの無理って言った。会うなら、お互い生きている時に会ってのほうが意味あるんではないかと思うのですが。もう亡くなったら、本人はわからないし、いや、意識もない時になったら、もう想像の世界で残っている者の自己満足かなってきつい言い方だけど思う。私は考えて、ここでまた好い人演じるのはやめようと思った。従兄弟は、伯母の介護に関わることは直接は今後もない。伯母の状況が変化して苦労するのは私。私はそのリスクを少しでも減らしたいし、避けたい。だから、やっぱり連れいくのは無理ですと、はっきり言った。従兄弟はそうしたら、身近でいる人の意見が一番重要だからともう伯母に会いに来てとは言わなくなった。内心は残念だったろうが、それなら、伯母の身支度から、連れて行くこと、会場での世話も全部やるかと言ったら、それは出来ないでしょう。思い出して欲しい、私は伯母の娘でなく、そう姪っ子。甥っ子であるあなた達と立場が同じ。これが私の母なら、無理しても連れて行ったと思うが、伯母の事でこれ以上頑張ることは出来ないって判断しました。お通夜、お葬儀と参列して本当伯母を連れて来なくて、よかったと思った。叔母の連れ合いの叔父は、やはり認知症進みつつで叔母の死を認識しては忘れ、また悲しみ、忘れとそのループ。でも、まだ大人しいし、なんとかなったがここにあの伯母がいたら、えらい騒ぎになっただろうと想像できて、皆の平和な見送りのためには、よかったと思いました。批判されても、後悔はないよ。しんどいのが降りかかるの私なんだし、穏やかに叔母の見送りできて、よかったとホッとしました。