「一汁一菜」の「汁」は味噌汁限定! “医者殺し”と謳われた味噌の効能【江戸庶民の食の知恵】
サライ jpより
「味噌の三礎(みそ)」
(1)味礎=調味料の基本、
(2)身礎=健康を維持し、命を養う、
(3)美礎=美しさを保ち、老化を予防すること
を指している。
健康長寿を理想とする私たちにとって、味噌は欠かせない調味料。
そもそも「味噌」とは
701年に制定された『大宝令』に、「未醤(みしょう)』という文字が初めて文献に登場。
発音が「味噌」に近いことから、これが、古代中国から伝来した「醤(しょう)」に、日本人が独自に工夫を加えた新しい調味料で、「味噌」の前身ではないかと考えられています(縄文時代に日本で作られていた、どんぐりの発酵食品が起源だという説も)。
平安時代は「なめ味噌」や「金山寺味噌」のように、味噌は食べるものでした。高級品であったため、公家や上級武士、僧侶といった特権階級が食べており、庶民が口にすることはほとんどなかった。
「一汁一菜」は鎌倉武士の活力の素
鎌倉時代になると、料理に画期的な革命。
中国からやってきた僧侶が持ち込んだ、すり鉢や石臼の伝来で、茶葉や食材をすり潰すという調理法が加わった。
大豆の生産が上がると共に、人々は味噌をすりつぶして、溶かして飲むようになります。
この頃の武士が心がけていた食事の基準が「一汁一菜」。
主食のご飯と香の物(漬けもの)を除き、具沢山の味噌汁が一品と、干物などのおかずが一品。
幕府を確立した活力は、こうした食習慣から生まれた。
玄米で糖質と繊維質を、干物からはカルシウムとたんぱく質を、残りの栄養を味噌汁で補給するという食べ方は、質素ながらも、実に理にかなった食事法といえます。
ここでいう「一汁」は、汁物ならなんでもよいというわけではなく、味噌汁限定でした。
「味噌汁は不老長寿の薬」という言葉が伝えられている通り、具入りの味噌汁さえ食べておけば、生命維持には充分、と考えられていたのでしょう。
江戸前期の医師で、植物の研究もしていた人見必太による『本朝食鑑』(元禄10(1697)年刊行、全12巻)という自然医学の本に、味噌についての詳細が記されています。漢文で書かれた項目をまとめると、このようになります。
・味噌は日本では昔から、貴賤を問わず朝夕に食べ、粗食の補助にしている。
・ 味噌は一日もなくてはならないものである。
・ 大豆の甘さや温かさは気を穏やかにして腹の中を広げ、血行を良くしてさまざまな毒を体の外に出す。
・ 麹の甘みと温かさは胃の中に入って、つかえをなくし、消化を良くし、腸閉塞をなくす。
・ 元気をつけて、血のめぐりを良くする。
・ 髪を黒くし、肌を潤す。
国立がんセンター研究所・故平山雄博士が発表したレポート
「味噌汁を飲む人と飲まない人を比べると、特に男性の場合では、まったく飲まない人の死亡率は、毎日飲む人に比べて、約50%も高くなる」
胃がんだけでなく、心筋梗塞、肝硬変などの場合も同じような傾向が見られるとされています。
女性については、味噌の抗がん効果の中でも、特に注目なのが乳がん。
味噌にはフィト・エストロゲンという植物性の女性ホルモン作用物質が含まれていて、2003年の厚生労働省研究班の報告では、1日3杯以上の味噌汁を飲むことで、乳がんの発生率が40%減少するとされている。
多彩な味噌料理と江戸のご当地味噌
味噌を使った料理は味噌汁に止まりません。
ファストフード感覚で食べていた「豆腐田楽」、「酢味噌和え」や「ぬた」や「白和え(江戸の白和え衣は、白味噌+練りごま+豆腐を練ったもの)」といった小鉢料理、猪や馬といった獣肉の鍋などにも味噌が使われていました。
特に江戸では、徳川家康の命により、京都の白味噌の甘みと、三河の赤味噌のコクを併せ持ち、大量の米麹で発酵を早めた「江戸甘味噌(えどあまみそ)」と呼ばれるご当地味噌があったため(味は田楽味噌に似ています)、料理に応用しやすかったものと思われます。
また、今では「お行儀が悪い」と敬遠される「ぶっかけ飯(ねこまんまとも)」ですが、これも「武士にては必ず飯わんに汁かけ候」と記されるほど、日常的な食べ方だったのです。
実はこの「ぶっかけ飯」は、栄養学的にとても優れています。まず、冷や飯はファイトケミカルの宝庫です。それを栄養満点の味噌汁でほぐして食べやすくして、消化を促すわけですから、滋養強壮食に最適です。
広島大学の渡邊敦光名誉教授によると、味噌汁の塩分は全く気にする必要がないそうです。味噌が持つ機能性成分が、ナトリウムを体外に排出する上、血管年齢を若くし、血圧の上昇を抑える効果があるからだと。