[映評]「優しさ」ゆえの「怒り」、ゆえのカッコよさ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。


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キャッチコピーは「怒らせるべきではなかった」。うわあ、カッコイイ!(^^;)



ウォンビンの『アジョシ』(2010、題名は「おじさん」という意味の韓国語)、観ました!一言で、スゴかった!


おととしの『マザー』(2009、邦題:母なる証明)に続くウォンビンの問題作!『マザー』で、知的障害があり、母親に溺愛される息子役を演じた翌年に、その正反対ともいえる、人並み外れた能力の冷酷な退任要員を演じたわけですから、それだけでも俳優としての完成度を感じさせられます。


ただ、この話はものすごく残酷です。はっきりいってそのことを思えば女性にはとうていお勧めできません。しかも、現実には存在しない、というかあり得ないような、恐ろしい悪をリアルに描いたことで、「韓国には本当にこんな恐ろしい世界が存在するかのような錯覚を抱かせた」と、国内では大きな批判にもあいました。


でも、なぜこれをそこまで残酷にせざるを得なかったのか、という作品としての理由は理解できるわけです。つまりこの作品は、「怒らせるべきではなかった」というキャッチコピーのように、眠れる獅子であった、恐ろしい“元特殊要員”を、この社会の悪が面白半分に目覚めさせてしまったがために到来した、文字通りの「大惨事」がクライマックス。


警察が主人公の身元を調べるために、米国の大統領まで引っ張り出す理由は、それほどの非日常的な能力を持った非日常的な人物としての演出であり、そしてその彼が隠していたその恐るべき力を発揮させるに足る、その非情な「怒り」が爆発するためには、それだけの、とうてい人間としてあり得ないような非人道的悪が描かれる必要があったわけです。



●モチーフは日本映画『闇の子供たち』?


私は、この監督がその悪のモチーフを得た作品を当てることができます。おそらく、宮崎あおい主演の日本の社会派映画『闇の子供たち』(2008)です。タイを舞台に、金で幼児たちの命や臓器が売買されるという現実に立ち向かっていく日本人の物語ですが、『アジョシ』の悪はまさにこの映画で描かれた世界をもとにしたものであって、韓国の話ではまったくありません(もちろんタイの話だといいたいわけでもありませんが)。


そして、それが間違いないだろうもう一つの理由は、『アジョシ』でウォンビンと、韓国映画史に残りそうな死闘を演じる適役の俳優が、この『闇の子供たち』にも出てきたタイの俳優タナヨン・ウィントラクル(Thanayong Wongtrakul)であるからなんです。


ということで、この映画はそういう背景があって、あくまでも意図的に、フィクションとして、限りなく残酷に仕立て上げられています。『闇の子供たち』の悪を、さらに露骨にデフォルメしてもろ映像化したわけですから。劇場で見るには刺激が強すぎるので、DVD画面くらいがちょうどいいのかもしれませんね。(^^;)


しかし、それによって、ウォンビンの「怒り」ゆえの、捨て身のアクションが輝くわけです。まさに殺しのプロとして、的確に急所だけを狙って、人間ではないような悪党たちの命を次々に奪っていく冷酷さ、そして芸術といえるほどに美しい、最後のプロの殺し屋同士の格闘シーン。まさに、その真剣な表情からカンフーの技術まで、もうキアヌー・リーブスもそっちのけのカッコよさです!はっきりいって超えています!(きっぱり)



●「韓国のアジョシだから」という理由で


そして何より、監督がこの映画を通して、ただひとつ観客に“韓流”の愛を与えてくれたのが、この主人公の「怒り」は、あくまでもその背後にある「優しさ」ゆえであるということ。そして台詞の中にも出てくる、その「優しさ」の理由とは、まさに題名のとおり、韓国の「隣のアジョシ(おじさん)」だからだ、ということ。韓国の「隣のアジョシ」として、韓国の「隣のアジョシ」だから、隣に住む少女には優しいのだ、ということなわけです。


だから、その「優しさ」ゆえの「怒り」に泣けるのです。それで私も、最後はめちゃくちゃ感動して泣いちゃいました。。・゚・(ノД`)・゚・。えーん!


ところで、日本語で「おじさん」というと、そうとう年食ったイメージですが、韓国語の「アジョシ」は子供からみて、大学生以上は皆、親しみを込めて「アジョシ」と呼ばれるので、必ずしも年齢には関係がありません。もちろん、結婚してるかどうかも関係ありません。頼りになるお兄ちゃんを、子供がみんな「アジョシ~」と呼ぶわけなんです。私も20代初めに韓国に来てから今まで「アジョシ」と呼ばれ続けています。(^^;)


とにかく、残酷なシーンがいっぱい出てきますが、それを全部、意味のあるフィクションだとして受け止められるなら、最後はそのすべてがウォンビン演じるアジョシ(おじさん)のカッコよさに昇華されます。全部血ノリであり、全部人形です。ウォンビンの真剣な顔だけがホンモノで、あとはそのための小道具だということです!でもそれでも自信ない方はやめてください!ヾ(≧▽≦)ノ"♪



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