韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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義母の一番下のひ孫の誕生祝い、「トルチャンチ(満1歳の祝宴)」を行った「マルシャブ」です。



今日は、葬儀が終わって最初のお墓参りである「三虞祭」の日でした。私は地方で講義があったために参加できませんでしたが、「三虞祭」は葬儀の後の三日目になる日に墓地を訪ねる日であり、主に親戚だけが参加します。


儒教では人間の構造を「魂魄」といって、「魄」=肉体が地に返るのと同じように、「魂」のほうも天に返ると考えます。それが肉体が地に返るのと同じように時間がかかり、基本的には120年くらいを見るので、儒教では120年4代に対して、生きているのと同じように祭祀を行うわけです。


地上に残っていると考えるので、生きている人間に対するようにお酒やご飯を捧げ、挨拶を捧げるのが韓国の祭祀です。それで3日目くらいになると、自分の肉体が地下にあることで、魂が墓の周りをさまよう可能性があるということで、お墓に行って安心させる意味があるのが、この「三虞祭」ですよね。さらにはお墓の具合を見に行くという意味もあり、日にち以上に最初のお墓参りという意味を持ってます。


ということですが、今日は私は行けなかったので、お義母さんへの追悼の意味で、一昨日行った一番下のひ孫の誕生祝い、「トルチャンチ(満1歳の祝宴)」の様子をご紹介しようかと思います。場所は我が家の近くのしゃぶしゃぶバイキング「マルシャブ(마루샤브)」です。儒教は何よりも血統思想ですし、お義母さんに代わってかわいいひ孫の自慢ということですね!ヾ(≧∇≦)〃♪



地下鉄駅からすぐ、見上げるとあそこに看板があります。



ここですね。サラダバーとしゃぶしゃぶの組み合わせです。



今日の主人公である一番下のひ孫。私にとっては妻の弟の息子です。



メインはしゃぶしゃぶ。



鍋に入れる野菜。



鍋に入れるいろいろなおかず。



ベトナムのライスペーパーで包むこともできます。



こんな感じで野菜と一緒に鍋にするのが韓国のしゃぶしゃぶ。



こういうソースにつけていただきます。



美味しいプルコギ。



一番手前はトッポッキ。向こうはチキンの照り焼き。



ピザとかてんぷらとか。



お寿司もありますよ。



チャプチェ。チャジャンミョンも別にありました。



美味しいチョルミョン。



サーモンサラダ。向こうはユッケサラダ。


甥っ子の持ってきたメニュー。


果物類。


ケーキ類。


チョコ。


美味しいコーヒーとか多様なドリンクバー。


この日の主人公。


この日のお祝いの31のアイスクリームケーキ。


1歳です。


本人が消しているように見せかけてお母さんが消していますね。(^ヮ^;)





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義母を埋葬した霊園。韓国は火葬も増えていますが、お金をかけて土葬にする家も多いです。



●今日無事に義母を送りました


多くの方々の追悼の中で、無事、葬儀の3日間を過ごし、義母は今日、美しい自然の中の墓地に安らかに埋葬されました。実は義母は最期、孫夫婦とひ孫が2人いる2番目の娘さんの家で家族に囲まれて亡くなられました。まさに病院で一人、などではない、家族4代に囲まれての幸せな旅立ちであった、ということは間違いありません。


私が日本に出発する直前、ずっと義父と2人で暮らしていた家から療養院に移されましたが、義母の最期が近いということで妻の2番目のお姉さんの家にお連れする中で、結果として私が日本にいる間に亡くなられました。ただし、旅行の最終日の朝であったため、日程自体に支障はありませんでした。


義母の遺体は、病院に安置され、「殮襲」という遺体のお清めを経て、皆で遺体との最後のお別れの式である涙の入棺式をしました。私も最期の言葉をお送りしながら、お棺に花をお入れしました。妻も目を真っ赤にして泣いていましたが、我が家の息子と娘も、この時に多くのことを感じたということでした。


多くの知人たちが訪れる「永訣」の期間を経た3日目の今朝、「発靷祭」という出棺式を経て、大きなリムジンと大きなバスで霊園まで運柩し、土葬による埋葬式を行い、その後、訪れてくださった、ピッタリ40人の方々と昼食を共にして、甥っ子が食後に全員にアイスクリームを振る舞いもしました。


追悼客を送った後は、つい先ほどまでですが、親族だけで夕食を外で食べて、今日が満1歳の誕生日だった一番下のひ孫の誕生祝いも一緒に行いました。本来の盛大な「トルチャンチ(満1歳の祝宴)」はできませんでしたが、ある意味、お義母さんへの最大の追慕になったのではないかと思います。



●義母が苦難の生涯生きた原因


私の知るかぎりでも、お義母さんの生涯は、困難な韓国現代史の真っ只中で、6人の子供たちを育てるという、ひたすら苦労の日々でした。私がそのような中でも、この自分が誰よりも多くの愛をお義母さんから受けたと感じるのは、その苦難の生涯の原因ゆえでもあります。


というのも、誰も話してくれない中で何とか妻の一番上のお姉さんから聞き出したのですが、お義母さんのお父さんは、日本に強制徴用されて帰らぬ人となったというわけです。そのため、お義母さんは幼い弟と共に叔父さんの家に預けられましたが、それでなくても困難な時期に、叔父さん夫婦は実の子供を世話するのが精一杯で、お義母さん兄弟はその家で、まさに使用人のようにして育ったといいます。


お義母さんの叔父さん夫婦は、実の子供たちは大学まで送り、皆名前のある立派な人に育て上げたそうですが、お義母さん兄弟は充分な教育も受けられず、それでもお義母さんは素直で手伝いをよくしたのでかわいがられたとはいうのですが、特に弟のほうはいつもボロボロの服を着て、ひたすら働きずくめであったのだそうです。


そういう中で、実の親の愛を受けられずに育ったお義母さんは、自らが温かい愛情を受けたことがないために、子供に対する愛情表現もよく知らなかったのだ、と妻の兄弟たちは口をそろえます。ところが、私にとっては、妻と結婚して以来、ひたすらお義母さんからたくさんの笑顔と温かい愛情を受け続けた、という記憶しかありません。特に結婚したばかりでお金もなく、住む所も準備できずに義父母と一緒に暮らし始めた当初の期間は、毎日、お義母さんの前で見守られながら食事をする時間が嬉しくてしょうがなかったです。



●あたかも健忘症の人のごとく


何よりも私自身は、実は幼い頃にお祖母ちゃん子だったのですが、初めて見た時から「亡くなったお祖母ちゃんにそっくりだ」と思ったせいもあって、私自身が義母に自然に甘えることができたのだろうと思います。お義母さんは、そんな私の手をよく両手で握っては、私を何かとほめてくれ、何かと感謝してくれ、「婿になってくれてありがたい」といつもいってくれていたのです。それは私以外のお婿さんから、「お前はお義母さんのお気に入りだからなあ」と、よくいわれて露骨に嫉妬されたくらいですから間違いありません。(^^;)


どうしてなのか?私はとうとうお義母さんに一度も質問することができませんでした。「率直にいって、実の父親を殺され、たいへんな苦労を背負わされた『仇の日本人』であるはずの私を、どうしてそのように愛してくれるのですか?」ということです。


韓国には「徹天之怨讐」という言葉があります。不倶戴天のカタキのことです。正しい話として、まさに私を表現するのにぴったりの言葉だと思うのですが、まるであたかも健忘症の人のように、お義母さんにはそんな思いがほんのかけらも、ほんの一瞬も見えたことがありませんでした。それどころか、いつも無条件の愛の実体でこそあり続けてくださったと感じます。だから私は、韓国文化の中の「親の愛」に絶対的な信頼があるわけです。


「徹天之怨讐」をこのように自然に超えることができる愛。それが韓国の「親の愛」であるということを、お義母さんをお送りした今日この夜に、一人静かにこの時間、もう一度かみ締めています。(´ぅ_ ;`)



お墓にお棺を下ろす直前です。



一人ひとり土を掛けていきます。土葬のほうが火葬より人の心に自然であるとつくづく思いました。



あの上までずっと土葬の墓地が広がっています。



見晴らしが最高で、まさに「明堂」ということですね。



すべてが終わってここで食事をしていきます。



タニシのお味噌汁でしたが、とっても美味しかったですよ。



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韓国の病院の地下にある葬礼式場。開いた所に何号室と書かれてます。ドアは各部屋の台所。


韓国に26年も暮らしながら、これまで知り合いの家族のお葬式に出ることは多かったですが、自分が喪主の一人となるのは今回が初めてですね。



●病院の地下でお葬式をする韓国


お葬式というと、日本ではお寺に集まってお坊さんがお経を唱えるというのがふつうかもしれませんが、現在の韓国では、病院の離れや地下に葬儀場が設けられていて、たいていは病院で亡くなった後で、その地下の葬儀施設でお通夜からお葬式までをすべて行うということになります。


先日、お義父さんの誕生日を、アヒル焼肉の店で行ったということを紹介しましたが、そういうお祝いごと向けの料理店は、大部屋を何号室、何号室と準備していて、参加者たちは、その数字の所に行って集まります。


お葬式もちょうどそんな形で、知人たちには、「〇〇病院葬礼式場〇号室」と連絡が行き、葬儀期間となる3日間の間に、各自そこを訪ねるということになり、その上で親しかった人々が最終日のお葬式にもう一度集まるということになります。各々「〇号室」の中には、祭壇を設けた部屋、食事部屋、台所、喪主控室という4部屋が準備されています。


韓国では、病院の病室にいても、入院患者がクリスチャンである場合など、所属教会の牧師さんと信者の方々がお見舞いに来られれば、ベッドの横で讃美歌を歌い、「通声祈祷」で熱心にお祈りも捧げるということがよくありますが、ここ葬儀場もまったく同じで、聞こえてくる声はけっこう大きな讃美歌の歌声とお祈りの声がほとんどです。



●弔問客が霊前に伏拝で礼尽くす


故人の宗教によって違いもありますが、ふつう訪ねた知人たちは、入口で記名をして香典袋を入れ、最初の部屋で祭壇の前に花や線香を捧げた後で、霊前に伏拝で敬拝を捧げて黙祷をします。その後は、横に立っている喪主に、年齢差に従って、伏拝や立ったままのお辞儀であいさつを捧げ、その時、喪主側もも同時に捧げ返します。


その後は喪主にお悔やみの言葉をかけて、食事をする部屋に移ると、サービング業者の人が準備していた食事やお酒、飲み物、果物などを運んでくるわけです。この時のメニューにはたいてい、ポッサムか、牛や豚の頭のスライスである「片肉(ピョニュク)」が中心ですが、やはり接待の基本はお肉だということなのだと思います。


義父母の知人に加え、妻は6人兄弟なので、基本、夫婦12人の友人たちが訪れることになって、ずっとすごい訪問数です。私自身の友人も、韓国人と日本人が訪れてくれました。


表にはたくさんの花輪が並んでいますが、その中に韓国が誇る大物演歌歌手の「テジナ」さん、「ナムジン」さんからのものもありました。いったい生前のお義母さんにそういう私たちの知らない趣味の世界でもあったのか?とも思いましたが、よく聞いてみると、人脈の広い一番上のお兄さんの関連だということでしたね。(^ヮ^;)


ということで、これがお通夜の夜から3日間続くので、喪主による出迎えは家族が皆、交替で行うということになり、婿の私も喪主の一人として立って敬拝を交わしているということになります。



各部屋にある食堂。エプロンの業者がサービングをしてくれます。



中央が「歌手・テジナ」と書かれた花輪。偽物かと思ったら本当にその事務所からだそうです。



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義母の訃報を聞いて急遽、韓国に帰ってきました。



実は長く病気を患われていた妻のお母さんが亡くなられて、急遽、韓国に戻ってきました。こんな悲しい韓国帰国は初めてですね。(>_<)


韓国語では妻の母を「チャンモニム(丈母ニム)」といいますが、チャンモニムは私にとっては、まさしく「韓国の愛」そのものでした。私が「韓国文化の中心は親の愛だ」といっている、その言葉の中身は、基本的に私が韓国で経験したチャンモニムの愛を胸に抱き、頭に描きながらいっているものに他なりません。


時には絶望に目の前が真っ暗になりそうな時にも、私を立ち直らせてくれた力は、すべてを溶かしてしまうチャンモニムの慰労の一言と、その無条件の愛であったということを思い出します。ただただその生涯に感謝を捧げるばかりですね。


空港からそのまま病院の殯所(喪屋)を訪ね、チャンモニムの眠る祭壇の前に、伏礼で敬拝を捧げ、喪服に身を包んだ親族と過ごしながら、ここで夜を明かします。(´ぅ_ ;`)



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今回、国際交流ツアーで日本を訪れた韓国の青少年たち。着物がとっても似合っています。



今日も、夏休みの韓国の青少年たちを連れて日本を観光しましたが、これはとりあえず一昨日、初日の様子ですね。ヾ(≧∇≦)〃♪


日本の子供たちとの日韓青少年交流会を行ったのですが、まず韓国側からは、各自が選んで持って行った、ハングルがデザインされた素敵なタンブラーをプレゼントし、その後、日本側の子供たちが準備してくれたジェスチャーゲームや宝探しゲームなどのイベントで盛り上がり、打ち解け合いました。


夜遅く交流会がお開きになった後も、名残惜しそうに「一緒にコンビニに行ってくる」といっているので、コンビニだけ行ってお別れするのだろうと思った私は部屋に戻って眠ってしまったのですが、朝になって聞いてみたら、なんとその後、土曜の夜であったということもあって、もう一度戻ってコンビニで買ってきたお菓子を食べながら、朝まで語り合ったのだそうです。互いに名残惜しくて、片言の相手の言葉を駆使しながら、朝まで一生懸命語り合ったという、その熱意に感動しました。


韓国の子供たちに尋ねたら、「互いの本当の思いがよく分かって嬉しかった」といっていました。また、朝には韓国の子供たちが日本の着物体験もしましたが、とっても似合っていて、表情もとても明るかったです。(*´ヮ`)/


その前に、最初の観光として今回は、名護屋城博物館に行ったのですが、何よりここが、秀吉の朝鮮出兵を反省する目的で佐賀県が建ててくれた博物館であるということであり、日韓友好のためのとてもよい展示がなされていて、そこでの印象も深かったようです。私もとても感動しました。


あとはまさに真っ最中であった櫛田神社の博多祇園山笠を見ることができてとってもいい思い出ができましたよね。充実した第1日目でした!♪ヽ(´▽`)/



最初に訪れた観光地は、佐賀の名護屋城博物館。



秀吉の朝鮮出兵を反省し、日韓友好を願う目的なので、このように表には韓国のトルハルバンが。



さらには中にはこのように韓国のチャンスンが立っています。(*´ヮ`)/



こないだキャナルシティで宣伝を見たばかりの櫛田神社の博多祇園山笠を見ました。



豪華な山笠ですね。



土曜日ということもあってたいへんな人で賑わっていました。



夜の日韓青少年交流会。韓国の子供たち(右)が出発前に買っていったプレゼントを渡しています。



日韓の子供たちがジェスチャーゲームで盛り上がっています。これはまだまだ序の口ですね。



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