■韓国の結婚式今昔 | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!-結婚式1 ●韓国の結婚式に涙はない


昔、韓国で「講義に感動した」とおっしゃる方から頼まれて、韓国人カップルの結婚式の司会をしたことがある。


現代の韓国の結婚式は、西洋式で実に簡素なもの。日本だとラブホテルにありそうな、お城を真似た外観の礼式場で、週末の午後に順番を待って、あっさりと済ませてしまう。


そして、日本との一番の違いは、新婦が泣かないこと。韓国では、結婚式で泣くのは「チェスオプタ(財数がない=縁起が悪い)」こととされるようだ。もちろん、新婚旅行が終わって嫁ぎ先での暮らしが始まれば、ほとんどの新婦は、父母を恋しがって泣くらしいが、それはまた別の話。


なぜ、日本の新婦は、父親に連れられてバージンロードを歩きながら感慨深く涙を流すのか。ちょっと夢のない話に聞こえるが、私は、これは西洋式結婚式の意味が正しく実感できるからだろうと思う。


ヨーロッパの封建時代、剣によって、領地から何からいっさいを所有する当時、女性は男性に所属した。新婦の父は自らに所属する娘を、新郎に引き渡すために連れていった、それがバージンロードの意味だった。


日本でもバージンロードが特別の意味を持ち、実際に、新婦や父母が感慨深く涙を流すのは、おそらく武家社会の封建の伝統を持った国だったからではなかろうか。



韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!-結婚式2
●親がのぞく中での初夜?

それでは、刀による封建の伝統を持たない韓国の結婚式は本来、どんなもので、どんな意味を持っていたのか。それは東洋思想である。


結婚の「婚」の字は、もともと女偏のない「昏」だったが、それはそのまま「夕方に結ばれる」ことを意味する。昼(陽)と夜(陰)が出会うその時間に、男(陽)と女(陰)が出会うように元来、夕刻に結婚式を行った。


場所は新郎側ではなく、新婦の家の前の広場。


韓国ではいまだに、男性が結婚することを「チャンガ・カンダ(婿に行く)」というが、もともとは結婚は、「嫁入り」ではなく、新郎(陽)が新婦(陰)を訪ねる、「婿入り」だったのだ。


親族、知人、友人、村人たちが輪になるその中央で、新郎と新婦が出会い、向かい合って互いにひれ伏して敬拝を捧げる。昔は敬拝を終えて顔を上げたこの瞬間に、初めて夫婦が互いの顔を見たという。世界が取り囲む中央で、天(陽)と地(陰)が出会い、よきにつけあしきにつけ(笑)、夫婦の情が発露し出すのである。


式後の初夜も新婦の家で行われ、二人は結婚式のたいそうな衣装のまま一つの部屋に入った。夫が妻の衣装を一つひとつ外していく。そして、この時、日本の私たちがあっと驚く慣例があった。


なんと、新婦の親や親族がこっそりのぞいたのである! まだ馴れ初めである二人が、ちゃんと夫婦になれるか、何より不安と恐怖におののく新婦を応援するためだが、新郎新婦はそれに気づいているし、まさに親の愛と守りの中で、最初の愛を始めるのである。親たちの応援に新婦は力を得て、準備ができたと、新郎に灯火を消すことを許し、無事に灯が消えれば皆、帰っていく。


実に純粋で、清く、美しい文化だと、私は思う。



韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!-結婚式3

●新郎が袋叩きにあう儀式


翌日、無事夫婦になった新郎と新婦は、もう一つ面白い儀式を経る。「신랑달기(新郎吊るし)」である。


新婦の村の青年たちが集まって、新婦の前で、新郎の両足を束ねて縄をかけ、ほうきの柄などで足の裏を思い切り叩きながら懲らしめるというものだ。


「新婦を奪っていく、この盗っ人め!」


皆、面白がりながらだが、終わった後は歩くのもたいへんになるくらい容赦なく叩く。悲鳴を上げる新郎、泣き顔でとめる新婦。村の青年たちは、新婦に条件を出して、従わないともっと叩くぞと脅す。歌を歌わせたり、踊りを躍らせたり、お金を出させたり、新郎にキスをさせたりする。


そうして、新郎新婦が愛情を深めるのを助けるというわけだ。


ただ、韓国人いわくこれにはもう一つ意味があり、なんでも足の裏には生殖器関連のつぼがあるのだそうだ。新郎のそれを刺激することで、健康な新婚生活を助けるのだ、というのだが、果たして本当か。^^;)


この風習は今でもまれに行われて、ときどき、日本男性で韓国の奥さんの実家に挨拶に行ってこれに遭遇し、「日本統治時代の恨みで袋叩きにあった」と、勘違いして帰ってくる人がいる。



●「婿入り」して「嫁入り」する韓国


さて、高麗時代くらいまでさかのぼれば、韓国の結婚は「嫁入り」ではなく、本当に「婿入り」だった。


縁談が成立すると、夜、新郎が新婦の実家の門の前で手を突いてお願いし、受け入れられれば、新婦の親が「ソオク」という小さな離れを建てて、婿をそこに住まわせた。そこで暮らしながら、子供をつくり、子供たちがちゃんと立派に育って初めて、新郎は妻子を自分の家に連れて帰ることを許されたのだ。


朝鮮時代に入って儒教が国教となることで、その「婿入り」期間は少しずつ短くなり、子供が育ってから→最初の子供を生むまで→3年→1年→1ヵ月…→9日→3日、と今の形になった。今でも新婚旅行後に、そのまま新婦の家に行って一晩泊まるのは、1日の「婿入り」をしているのである。


朝鮮時代、儒教によって厳しい「嫁入り」暮らしを強いられた女性たちのことを考えれば、その「婿入り」の習慣はとても道理にかなった、よい習慣であっただろう。夫の愛で生きていけるようになるまで、実家の親兄弟、環境の中で夫と共に暮らしながら、情を通わしたのである。特に子供を多くつくって生むためには、実家のほうがどれほどプラスか分からない。


やがて嫁ぎ先暮らしに入る嫁は、最初の挨拶で、舅姑の前に夫婦でうやうやしく敬拝し、「粟(くり)」「棗(なつめ)」を捧げた。これはその字面から、「慄(りつ)」「早(棗の異体字)」を表し、「震える心で、朝早く起きてお仕えします」という意味である。


この儀式を「幣帛(ペベク)」というが、なぜか現在の韓国の結婚式ではこれが、親たちが新婦の広げる腕に「粟」と「棗」を投げてあげて、「子供をいっぱい生みなさい」と祝福するという儀式に変わってしまっている。


いまや外で働き、どんどん地位を高めている韓国の嫁に、むしろ、舅姑のほうが「震える心で朝早く起きてお仕え」しているのかもしれない、と思うのは私だけだろうか。(^^;)


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