■『ハート・ロッカー』を観た。 | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。


韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!-hurt locker


日本だと遅ればせながらだが、韓国では先週、封切(韓国では開封=ケーボンという)された、『ハート・ロッカー』を観た。


個人的に、ソウルでよく行く梨泰院のレバノン料理の店で、アラブの人々と交わることが多いし、以前、文化交流の一環で、同じように緊迫したとあるアラブ国家の高官を接待したこともある。

レバノン料理店の主人もまさにそうだが、アラブの人々は、まつげが長くて、目が大きくて、どう見ても情愛深い印象であり、実際に話をしてみても、皆、家族愛、兄弟愛が深くて、誰とも打ち解けるのがとても早い。

懐かしく思い出すのは、接待していた向こうの教授とアラビックの話をしていて、アラビア語で父母を呼ぶ時に「アビ」、「オンミ」というが、韓国語でも同じように、「アビ(아비)」、「オミ(어미)」というという、その場で発見した事実に盛り上がって、そのまま二人で「人類の言語の起源は一つではないか」という説を膨らませたことである。

まさに「人類皆兄弟」なのに、何が私たちをこのように引き裂いているのか。戦争という現実と人肌の温かさという裏腹の現実、そのどちらも共に、悲しい夢のようにさえ思われてくる。


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さて、映画のほうはご存知、2004年のイラク戦争における、米軍爆発物処理班「ブラボー中隊」の過酷な現実を描いた戦場もの。今年の第82回アカデミー賞で9部門ノミネート、最多6部門受賞。作品賞と共に、女性であるキャスリン・ビグロー監督が監督賞に輝いたという。

『ハート・ロッカー(The Hurt Locker)』という題名自体は、「傷ついたもののロッカー」で、「棺おけ」とか「苦痛を閉じ込めた場所」となるらしい。

が、実際に観た立場でいえば、むしろ日本人としてカタカナで読んで勘違いした、「Heart Rocker(心臓揺すり)」のほうが、間違いなくピッタリくる。(ちなみに韓国語ではHeart=하트、Hurt=허트で区別できる)

なんせ、最初のシーンでもう心臓が揺さぶられちゃって、それ以降、ずっと、いつまた心臓が「Rock」されるのかと、ビクビクしっぱなしだったし、そういう「空気」がこの映画の醍醐味だったから。

そして、次第に、主人公たちと共に、その「心臓揺すり」の感覚が、麻薬のように全身に広がっていく…。
平和な日常が逆に奇異に見え出す映画である。

この戦争における米軍のリアリティを描く意義は分かるが、でも同時にどうしても納得できないのが、ほとんどまったく描かれていない、バクダッドの人々のリアリティのほうである。