『実社会とどう関わっていけばよいのか?』
バブル時代、新入社員は社会全体が歓迎ムードだったと聞いていたが、
私達の世代は、「社会側が歓迎ムードでは無い」ことを敏感に感じていた
「社会に歓迎されるにはどうしたらいいか?」
当時、自分の価値を上げる方法は、
学歴を良くし、資格を取ることで
社会に歓迎される価値を身につけることができると考えていた
しかし、
センター試験で失敗し、
資格試験も長年挑戦したもののダメだった
その結果、
どんな『人間』が生まれたか?
『価値化の失敗』に引きずられて
毎日が『価値化の失敗』の『精算』の日々
簡単に言ってしまうと
『今』を生きられない状態
「一発逆転」を目指し、『今』の自分は
仮の自分だと、自分に言い聞かせる
そんな状態の『私』は両親、姉兄を
心配させ、苛立たせた
『未来』を饒舌に語るのはいいが、
肝心の『今』はどうなっているの?
そんな、両親や姉兄の疑問に答えられなかった
『未来』は語れるが『今』を語れない
「こうなってなきゃいけない」が強すぎて
「今、こういう状況です」が言えない
両親を悲しませ、苦しませていたのは
『私』が『今』を生きていないこと
明るそうな『未来』を饒舌に語るより
辛くても大変でも『今』を一生懸命に生きていることを伝えればよかった
両親に嘘はすぐバレる
本音で『今』楽しんで生きてます
と、言える人生にしたい
『実社会とどう関わっていけばよいのか?』
大学生の時の彼女が、
小学校の教師になるために
必死に勉強し、実技試験の時間を確保するように頑張っていた様子を見ていた
合格して、喜びを共有していたが
試験に落ちた同級生に
「校長の娘だから合格した」と言われたらしい
本来、仲間で支え合うべき同級生に、そんなことを言われて悲しんでいたし、怒ってもいた
希少な資源の『奪い合い』をしていた世代
個人的な想像だが、
氷河期世代と呼ばれる人達が社会を動かす権力者になると
厳しさのはそのままで、
『冷たい社会』になる
『弱肉強食』が内面化した社会
そんな時代にどう生きていけばいいのか?
『冷たい社会』には、希少性の高い
周りの人に「優しく暖かく接する」人を目指す
「今、周りにいる人に気遣いのできる余裕」
関わりのほとんど無い先輩から
いきなり、ジュースを奢って貰い
「頑張れよ♪期待してるよ!」
と言われた時、
凄く嬉しかったし、心が温かくなった
その時、「人生っていうか、俺って単純だな」と思った
関わりが無かった先輩だが、カッコ良く好感の持てる先輩という認識の人に「期待してる」と言われたことに有頂天
『人生って、こういうことだよな』
自分で一生懸命に価値をあげようとして、
自分の殻に閉じこもってしまうことよりも
他人の何気ない一言で、自分の存在価値を認識できることがある
周りの人間を利用し、奪い合いに勝ち抜く事が
『優秀』だと思っている人達から見ると、
「周りの人達に気遣いをしている人」は
バカで損をしている生き方に見えると思う
ただ、『実社会とどう関わっていくか』
を悩んでいた時より
「周りの人達に気遣いのできる人」
になると決めて、実践している今が
大変、愉快に生きられている
まず、『私』を『魅力』のある人間になる
その『私』で何か好循環を起こすことはできないか?
昔の私ならそんなこと考えられなかった
とにかく、周りに迷惑をかけないようにするのが精一杯
遠回りしながらも、色んな事を考えながら年齢を重ねてきた結果、「ためらいなく」ちょっとした気遣いができることがないかを考えられるようになってきた
『私』の『価値化』に悩んだ意味があった
『今、あなたが生きている価値』を認めてくれ、
喜んでいる存在がいると実感できると、世界が良い所だと思えるようになる
『今』を受け入れる
『今』だからこそ、できることがある
と書いてきたが、
引っかかっていたものがある
なぜ、あれだけ両親や姉兄を心配させ、
苛立たせたのか?
『時間感覚』が周りへの『気配り』に比例している
両親や姉兄の心配は痛いほど感じていたが故に、
その『心配』に向き合えずに、
根拠のない『未来』を持ち出す
『今』を生きていない人に、
『今』どうすればいいか、という
『気配り』ができるはずがない
予定の立て方の時にも書いたが
時間と直接対峙するのを辞めてみる
『今』を生きる、を改めて
『周りの人への気配り』を考えてみる
『実社会』との関わり方は無数にあるが、
『気配り』上手を目指しなさい
と、この文章を書いている最中に
この文章を書いては消しを繰り返す
もう一人の私に教えてもらった