友人が妻と子供三人を残して自殺をした


クラスで家が一番近かったので、小学校も中学校も一緒に登下校して、色んな話や遊びをした仲だった



中学校時代のグループLINEで亡くなったことを知った時、

悲しみ以上の衝撃をどう受けとめればいいのか分からず頭も身体も混乱状態



それでも日常生活は何も変わらずに過ぎていく



何かしてあげることはなかったのか?

頭の中で何度も繰り返される後悔、謝罪



そんな友人の死を受けとめきれない自分に対して、時間とお金の自由度を上げてみた


今の自分に時間とお金に余裕ができたら、繁華街に行って気を紛らわすんだろうなと思っていた



やらなきゃと思っていた部屋の掃除

読まなきゃと思っていた買ってあった本を読む

決まったコースだったランニングも気分次第で長くしたり短くしたり身体に任せる

読みたいと思っていた本を買う

チョコレートを毎日買い始める



実際に時間とお金の自由度を上げてみたら、

非日常を求めるより、日常生活を充実させる方を選んでいた



友人の死から『問い』が発生し続けている


人生において一番答えなくてはいけない『問い』

一生逃げられない『問い』



それらの『問い』を解くためのヒントが

『日常生活を充実させること』

なのかもしれない


『実社会とどう関わっていけばよいのか?』


バブル時代、新入社員は社会全体が歓迎ムードだったと聞いていたが、

私達の世代は、「社会側が歓迎ムードでは無い」ことを敏感に感じていた



「社会に歓迎されるにはどうしたらいいか?」


当時、自分の価値を上げる方法は、

学歴を良くし、資格を取ることで

社会に歓迎される価値を身につけることができると考えていた


しかし、

センター試験で失敗し、

資格試験も長年挑戦したもののダメだった


その結果、

どんな『人間』が生まれたか?



『価値化の失敗』に引きずられて

毎日が『価値化の失敗』の『精算』の日々


簡単に言ってしまうと

『今』を生きられない状態


「一発逆転」を目指し、『今』の自分は

仮の自分だと、自分に言い聞かせる


そんな状態の『私』は両親、姉兄を

心配させ、苛立たせた


『未来』を饒舌に語るのはいいが、

肝心の『今』はどうなっているの?


そんな、両親や姉兄の疑問に答えられなかった


『未来』は語れるが『今』を語れない


「こうなってなきゃいけない」が強すぎて

「今、こういう状況です」が言えない



両親を悲しませ、苦しませていたのは

『私』が『今』を生きていないこと


明るそうな『未来』を饒舌に語るより

辛くても大変でも『今』を一生懸命に生きていることを伝えればよかった



両親に嘘はすぐバレる

本音で『今』楽しんで生きてます

と、言える人生にしたい



『実社会とどう関わっていけばよいのか?』


大学生の時の彼女が、

小学校の教師になるために

必死に勉強し、実技試験の時間を確保するように頑張っていた様子を見ていた


合格して、喜びを共有していたが

試験に落ちた同級生に

「校長の娘だから合格した」と言われたらしい


本来、仲間で支え合うべき同級生に、そんなことを言われて悲しんでいたし、怒ってもいた



希少な資源の『奪い合い』をしていた世代



個人的な想像だが、

氷河期世代と呼ばれる人達が社会を動かす権力者になると

厳しさのはそのままで、

『冷たい社会』になる


『弱肉強食』が内面化した社会



そんな時代にどう生きていけばいいのか?


『冷たい社会』には、希少性の高い

周りの人に「優しく暖かく接する」人を目指す



「今、周りにいる人に気遣いのできる余裕」


関わりのほとんど無い先輩から

いきなり、ジュースを奢って貰い

「頑張れよ♪期待してるよ!」

と言われた時、

凄く嬉しかったし、心が温かくなった


その時、「人生っていうか、俺って単純だな」と思った


関わりが無かった先輩だが、カッコ良く好感の持てる先輩という認識の人に「期待してる」と言われたことに有頂天


『人生って、こういうことだよな』


自分で一生懸命に価値をあげようとして、

自分の殻に閉じこもってしまうことよりも

他人の何気ない一言で、自分の存在価値を認識できることがある



周りの人間を利用し、奪い合いに勝ち抜く事が

『優秀』だと思っている人達から見ると、

「周りの人達に気遣いをしている人」は

バカで損をしている生き方に見えると思う


ただ、『実社会とどう関わっていくか』

を悩んでいた時より

「周りの人達に気遣いのできる人」

になると決めて、実践している今が

大変、愉快に生きられている


まず、『私』を『魅力』のある人間になる

その『私』で何か好循環を起こすことはできないか?


昔の私ならそんなこと考えられなかった

とにかく、周りに迷惑をかけないようにするのが精一杯


遠回りしながらも、色んな事を考えながら年齢を重ねてきた結果、「ためらいなく」ちょっとした気遣いができることがないかを考えられるようになってきた


『私』の『価値化』に悩んだ意味があった



『今、あなたが生きている価値』を認めてくれ、

喜んでいる存在がいると実感できると、世界が良い所だと思えるようになる



『今』を受け入れる

『今』だからこそ、できることがある


と書いてきたが、

引っかかっていたものがある



なぜ、あれだけ両親や姉兄を心配させ、

苛立たせたのか?


『時間感覚』が周りへの『気配り』に比例している


両親や姉兄の心配は痛いほど感じていたが故に、

その『心配』に向き合えずに、

根拠のない『未来』を持ち出す


『今』を生きていない人に、

『今』どうすればいいか、という

『気配り』ができるはずがない



予定の立て方の時にも書いたが

時間と直接対峙するのを辞めてみる


『今』を生きる、を改めて

『周りの人への気配り』を考えてみる



『実社会』との関わり方は無数にあるが、


『気配り』上手を目指しなさい


と、この文章を書いている最中に

この文章を書いては消しを繰り返す

もう一人の私に教えてもらった

2020年7月24日、東京オリンピック開会式予定日


2021年7月23日、東京オリンピック開会式


コロナの影響で、東京オリンピックが一年延期になり、

一年後の東京オリンピックもほぼ無観客での開催だった



私自身、2020年に入って、街全体が浮かれはじめた雰囲気を感じていた


「この浮かれた感じに乗っていこう」


その矢先での、コロナの流行



『人生』は何が起こるか分からない



人生が変わった


いや、人生『設計』が変わった


無意識にではあるが、

人生『設計』が

『縮小』されている


コロナがあって、世の中が

「浮かれモード」から

「自粛ムード」に一変


そんな中だから、

人生『設計』は安全・安心を重視し

コロナ前の事は、記憶から消す



大事なモノを手に入れつつ

大事なモノを失った気がする



『真面目に浮かれる』


変な言葉である


ただ、

今よりちょっと広い行動範囲で

今より一段階高いテンションで

生きてみよう


と、思った



キッカケはなんだってよかったんですが、

東京オリンピックの開会式の日(7月23日)から


『真面目に浮かれて』生きてみる



人生に対する

『枠組み』

『態度』

『基準』

を色々な角度から捉え直してみる



今日も暑い

まずは『健康第一』