選挙を入口にして、今頭の中にある様々な思いを吐き出していく!


選挙に対する原体験は、20歳の時の某市議会選挙


全く知らない方々から一人を決めて投票

過去の実績、所属政党、公約、選挙ポスターなどを見て、この人かな〜位の気持ちで投票所に到着


完全に被害妄想なのだが、投票所にいる皆さんに「お前に何が分かる」と言われている様な気になり、しばらく選挙には行かなくなった



『人を評価して投票をする』という行為に違和感や恐怖心を感じていた様な気がする



この『人を評価する』という行為について考えていこうと思う



「ネガティブキャンペーン」 

凄い言葉である


誹謗中傷により対立候補をおとしめる選挙戦術の一つらしい


できるだけ穏やかに生きたいので、「ネガティブキャンペーン」っぽいものと距離をとる


「ネガティブキャンペーン」を経験し勝った人は負けた人、負けてる人に優しい政治をしてくれるのか?


勝つことが正義にならないか?



そんな事を考える私はナイーブ過ぎるのかもしれない



私が人を評価していいのか?


評価することもされることも避けている



理不尽な評価でも、評価を受ける事に対して免疫をつけなきゃいけない


そうは思っても、行動に移せない



「理不尽な評価はやっぱり受けたくないし、受けさせたくない」



ここまで書いてきて、今までの人生の大枠に気付いてハッとした



評価を逃れるために完璧を目指す

完璧な人になれれば人の評価は気にしなくて良くなる


結果、完璧からこぼれ落ちていく度に人の評価ばっかり気にして落ち込む


特別な私から平凡な私

好きな私から嫌いな私

素敵な私からみっともない私

かっこいい私からみっともない私

わかっている私からわかっていない私


そんな私を許して、解放してあげる



完璧を求めては行き詰まる、を繰り返してきた


生き方を変えなければいけない



余談だが、評価という言葉を見ると完璧な私が条件反射で登場してくる

評価する、評価されるの基準点が完璧な私なのかもしれない

だったら、人生は減点方式になってしまう

それは嫌だな〜



生き方をどの方向に変えていくか?



まず、評価される事を増やす=行動を増やす


次に「ネガティブキャンペーン」を覚悟する


悪意や攻撃を受けた時、

『傷』になりそうなものは、治癒してあげる

『毒』になりそうなものは、解毒してあげる



未知の領域に踏み込むときは

『私を私で傷つけない』



で、文章を終わらせたかったが

私が私を甘やかしていいものか葛藤が産まれる



「恐怖心」って何だろう?


評価を気にしすぎて、『今』を活かしきれない

「ネガティブキャンペーン」される

を比較する


よくわからない



でも、「ネガティブキャンペーン」されても

正々堂々と胸を張って生きていける『生き様』を掴みにいく!