久々の筆山@高知

テーマ:

 

潮江天満宮へ向かう

天神橋から見た

筆山

 

「ふでやま」とは、読まないで。。。

筆山(ひつざん)

 

高知市内を流れる

鏡川の右岸(天神橋の南)にある
標高118.3mの小さな山だ。。。
高知城と鏡川を挟んで向かいにあたる。
 

川面に写る姿をあわせると、
筆の先のように見えることから、
この名がついたといわれる。
高知市のシンボルともいえる鏡川と筆山は、
5代藩主豊房が名付けたとされる。

写真は、こうちミュージアムネットワーク  
歴史万華鏡コラム 筆山よりお借りしてます。

 

詳しいことは。。。高知市のHP

こうちミュージアムネットワーク  
歴史万華鏡コラム 筆山

 

姑の面会時間までに、

時間が少しだけあったので、

サクッと車で行ってみました。。。


山一帯は筆山公園として整備され、
山頂付近まですぐ車で登ることができ、
高知市内を一望出来る。

牧野植物園や竹林寺のある五台山のように、
観光用のバスでアクセスができないため、
観光客よりも地元の人が多い。

 

私は高校の時に父の仕事の都合で

高知で過ごし、

学校の行事で何回か筆山に徒歩で行ってました。

 

登山口

確か、「黒門」と呼ばれてたはず。。。

名前も怪しいけど、暗い雰囲気で、

もっと怪しい。。。

徒歩の場合

ココから登っていくわけだけど、

土佐藩主山内家歴代の墓所があったりして、

よく、肝試しをしたものだ。

怖がりの私は、

ココの前を通るだけで。。。

ぞわ~~ 叫び

いやいや

昼間はそんなことは無い てへぺろ

 

ココは通過して、車でサクッと行く。。。
 

くねくねカーブ

途中 筆山ユースホステルの前を通って、

筆山公園へ

ここは、春は桜の名所

 

こんな看板があった

いろんな人のお墓がある

ここにも筆山の由来が記されていましたよ。

 

こんな看板も。。。

そうそう。。。

高校の時の生物の先生と

ミカドアゲハ探しに来たことがあったな。

 

夫は、高知の市街地で過ごしていて、

2人とも馴染みの場所だが、

訪れるのは久しぶり。

というか、何十年ぶりだ。

 

ココの先に車を停める

目の前は、お墓だらけ。。。

そして、ハイキングコースの看板が。。。

学生の頃、

ココからお墓の中をしばらく歩いて、

南嶺のハイキングに行った思い出が蘇りました。


太平洋を一望の

ハイキングが手軽にできる。

ここから南の方は、

墓地を抜けて、皿が嶺~鷲尾山までの

ハイキングコースだ。

周りはお墓なので、

写真はカットしてますが。。。

墓地を抜ける通路は、

コンクリに猫?犬?の足跡(笑)

 

時間が無いので、車で来たけど

今度ゆっくりと

南嶺(なんれい)ハイキングに行きたいものだ。

 

ココからの眺望

真ん中の道路。。。

昔はこんなに大きな道路では無かった。

高知で最初に住んだ家は、

この近くだったので、懐かしい。

写真でも見えている町の一部が、

高見町になる。

そうそう、ココから先の「皿が嶺」は、

地元の人は高見山と呼んでいた。

高見山は、よく山火事があった。

高知市史では。。。

「学問の神様」として

各地で祭られている菅原道真の長男、

高視(たかみ)が山麓に住んだことから、

その名が付いたと記されている。

菅原高視は、

九州に左遷された父に連座し、

土佐へ流されていた。

また、「高く見晴らす地」が

由来するという説もある。。。

 

高見山(皿が嶺)には、

チャートの巨岩が屹立してて、

その岩が通称「ライオン岩」と言います。

 

おっと。。。

ついつい懐かしくて長くなりました。

 

近くにジョビ子嬢が。。。

可愛いね ラブ

 

ひっそりと菜の花が咲いてました

 

さて、ここから先の車道を上がりましょう。。。

筆山北側の駐車場。

車で上れるのは、ココまで。

ここから高知市街が一望できます。

鏡川を挟んで高知市街地

高知城も見えていますね

ズーム ズーム


関が原の戦いの後、

1601年に山内一豊が土佐国に入り、

治めるようになりました。

掛川城から浦戸城に移った山内一豊は、

浦戸城では城下町を開くには狭いため、

1601年、現在の高知城がある大高坂山に城を築くことにし、

築城が始められました。

大高坂山は浦戸湾にも面し、

南側には鏡川、北側には江の口川が流れ、

地の利がありましたが、

周辺は湿原が広がるデルタ地帯で、

治水工事には大変苦労したようです。

1603年に、本丸と二の丸が完成し、

一豊は9月26日(旧暦8月21日)に入城しました。

この時、真如寺の僧・在川(ざいせん)により、

「河中山城」(こうちやまじょう)と名付けられました。

城下は水害を度々被ります。

2代の忠義は「水」に関係の深い

「河中」の名を忌み嫌い、

竹林寺の僧・空鏡(くうきょう)によって

「高智山城」と改名します。

以降、省略されたのか、

いつのまにか「高知城」と呼ばれるように。。。

そして、

町の名前も高知と呼ばれるようになったとか。

(以前、高知城でボランティアガイドさんからお聞きしました)

 

おっと。。。

またまた長くなりました。

 

北の方の山並みの中央

ずず~とよって見ると。。。

奥の山は工石山(くいしやま)だ。

 

鏡川と西の方

 

そして、東

渡って来た天神橋

橋の袂の森は

潮江天満宮

 

高知市民の憩いの場所

筆山

風雅の山、祈りの山、
そして歴史の山でもありました。

 

落ち着いたら、ゆっくりと筆山

そして南嶺ハイキングをしてみたい。。。