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みどりさんの☆ちょいスピ生活~幸運は人を介して届くもの~

旅行・おすすめの本・舞台・ライブ・映画なんかの事をゆる~く発信しています♪

 

 

 

 

今日から5月ですね。

 

皆様、お元気にしていましたでしょうか?

 

私は可もなく不可もなくって感じで、

 

特に何もなかったです(笑)。

 

 

・・というのはちょっと嘘で・・w、

 

今月からまた部署が変わります。

 

”また”というのは、

 

11か月前に異動したばかりだったので、

 

今回の異動は青天の霹靂でした汗汗

 

 

異動ばかりで正直しんどいです。笑い泣きあせる

 

でも頑張るしかないので、

 

めげずに頑張っていこうと思いま~~す!(笑)

 

 

 

そして、いつも私のブログを読んで下さって

 

本当に有難うございます。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。ウインク音譜

 

 

それではさっそく、

 

前回(第143歩)の続きから書いていきますね。

 

 

 

 

 

【 2011年9月9日 

       ラグビーワールドカップ開催!! 】

 

 

 

オークランドにあるアイリッシュパブで働き始めて

3週間が経った9月7日、

 

お店との労働契約を更新しました。

 

ずっと短時間労働ばかりが続いたので、

アルバイト感覚でやっていたのですが、

 

正式に9月1日付けでフルタイム・シェフとして

働くことになり、

 

「もう逃げられない」というか、

やっと覚悟が決まりました。

 

 

でも相変わらずお店は暇で、

ピーク時間であってもオーダーが全然入らなければ、

 

「もう今日はあがっていいよ。」と言われて

すぐに帰らされていました。

 

 

週休4日のシフトで、

誰がどう見たって戦力外シェフ。

 

収入が低すぎるのは問題だけれども、

 

それよりも「働きやすい環境か否か」の方が

もっと重要で、

 

それでいうと、以前勤めていた高級フレンチに比べたら、

100倍は働きやすかったです!

 

 

週3日はダンス教室に通えていたし、

 

ダンスを習っていたおかげで、

 

考え事をしすぎたり、

ストレスでお金を浪費することがなかったので、

 

あの時期にダンスに出会っておいて

本当に良かったです。

 

 

 

 

人間関係でいうと、当時の私は

オーナーや上司が「男性」の方が働きやすいと思っていました。

 

理由は、何となく男性の方が言いたい事が言いやすいし、

ジメジメした女の園が苦手だから。

 

その点でいうと、当時のオーナーも料理長も男性だったので

何でも話せて働きやすかったです。

 

 

 

 

 

2011年9月9日、

 

待ちに待った【ラグビーワールドカップNZ】が

開幕しました!!

 

 

↓こちらがRWCで優勝したら貰えるトロフィー。

 

↓開催日(9月9日当日)の夜に撮った1枚。

 

 

すみません、

普段、何色だったかは忘れましたがw、

 

この日は街の中心部に立つスカイタワーが

「ライトブルー」に点灯していました。

 

東京のスカイツリー同様、

特別な日にはタワーの色が変わります。

 

 

 

記念すべき第一試合目のニュージーランドの対戦国は、

「トンガ」。

 

その日はたまたま仕事がお休みだったので、

 

家のすぐ近くのスカイタワーに出向いて、

建物内にある巨大スクリーンで試合を観戦しました。

 

 

 

私はNZの選手が試合前に行う

「HAKA」を見るのが大好き!

 

最初にあれを見ないと試合を見た気がしないというくらい

好きなんです。

 

※ご存知ない方は、YOUTUBE「オールブラックス HAKA」で

検索してみてくださいね。

 

 

HAKAには、「敵に見せる威嚇」と、

「自身を奮い立たせる鼓舞」の意味があります。

 

もともとはNZの先住民族であるマオリ族が、

戦場で戦いの前に自分達を鼓舞する為にやっていた風習。

 

そう思うと、いろんな意味で感慨深いものがあります。

 

”威嚇や鼓舞”の意味でいうと、

 

プロレスの入場パフォーマンスなんかも、

同じ意味があるような気がしますね。

 

 

 

実はトンガもNZと同じくポリネシアン民族なので、

NZが「HAKA」なら対するトンガにも、

 

「シピタウ」という名の

試合前のデモンストレーションがあります。

 

両チームにこのデモンストレーションがある場合は

試合が一層盛り上がります!

 

私に限らず多くのNZラグビーファンは、

HAKAを見ないと試合を見たうちには入らないのです。

 

 

 

それに私は、HAKAを見ると、

なぜか涙が溢れてきてしまいます。

 

それはもう100%確実に、です。

 

さっき言った「戦場での風習」を思って

悲しくなるのだろうと思います。

 

だから一人で観戦する方が

いろいろと都合が良かったりします・・。

 

 

 

 

・・・で、気になる試合結果はというと、

 

「42対10」

NZの圧勝でした!!

 

そりゃあそうですよ。国技をホームグラウンドでやるのに

開催初日には絶対負けられませんからね(笑)。

 

 

 

 

 

9月14日、会社から初の給料が振り込まれました。

 

今の給料と比べたら「3分の1」くらいかな?

 

お世辞にも多いとは言えない額だけど、

まだ貯金もそこそこあったし、

 

「家賃とダンスレッスン代もらえてラッキー♪」

くらいに思ったのを覚えております。

 

 

 

 

 

 

9月17日は、働き始めて1か月記念日。

 

街にいた大道芸人までが、

 

「みどり1か月記念、おめでとーーー!!」と

お祝いしてくれているかのようでした(笑)。

 

 

 

↓9月17日、「祝RWC in NZ」のカーニバルの様子。

 

 

 

 

9月21日までは週休4日勤務で、それ以外は

ダンス教室に行っている日のほうが多かったけれど、

 

そのサイクルが急に”逆転”したのは、

9月下旬に入ってからでした。

 

徐々に世界中から熱狂的なラグビーファンが押し寄せてきて、

だんだんとお店が忙しくなってきたのです。

 

 

それまで週休4日だったのが、

ここにきて急に【週休2日制】に変わり、

 

ダンスに行く回数がぐっと減ってしまいました。

 

いや、これが本来フルタイムシフトで働く人の

基本の生活スタイルなのでしょうが・・、

 

急に忙しさの度合いが増したので、

頭と身体がついていけなくてかなり戸惑いました。

 

 

当時私はモーニングシフトで、

【朝食とランチ】を担当していました。

 

ランチが終われば仕事は終了で、

 

ディナーの為にまた戻ってくる必要がなかったから

身体は全然ラクでした。

 

それに、アイリッシュ人の男性料理長との相性は良く、

順調に仕事をこなせていました。

 

 

以前にも話した、同系列のアイリッシュパブの支店へも

週1くらいでシフトに入っていました。

 

私の所属はあくまで本店。

支店の料理長なりのやり方があると思ったので、

 

支店ではヘルプ要因として皿洗いとかそうじとか

「キッチンハンド」に徹していました。

 

もちろんその頃には、私が「プロのシェフ」だというのは

全員に知れ渡っていましたけどね(笑)。

 

 

 

 

RWCの決勝は10月23日!!

 

10月からのお話はまた次回に・・・。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

↑当時大人気だったダン・カーター氏。

 いまで言う”大谷翔平くん”みたいな感じかな??

 

 

 

 

 

 

 

どうも、こんにちわ。

 

 

今日2月23日は、語呂合わせで、

「富士山富士山の日」らしいので、

 

今回は【最近見た富士山の話】をしたいと思います。ウインクビックリマーク

 

 

 

 

 

これは先週の金曜日に起きた出来事です。

 

私は電車で通勤をしているのですが、

 

この日もいつものように、

一番前の車両に乗り込みました。

 

次の駅で乗り換えなので、

すぐに出られるようドア付近に立っていました。

 

 

いつもなら、乗ってすぐに読書を始めるか、

音楽を聞きながらぼ~~っとしているのですが、

 

その日はなぜか遠くに見える

「スカイツリー」が気になって

 

遠くに見えるツリーを

ぼ~~っと見ていたんです。

 

 

すると”ピン!”と何かを感じとり、

視線をツリーの左側に寄せてみたんです。

 

 

するとどうでしょう・・・

 

富士山富士山が見える

ではありませんか!!

 

 

でもそのあとすぐに

建物の影に隠れて見えなくなってしまいました。

 

ほんの7~8秒くらいの間でしたが、

まるですぐ近くにでもあるかのように、

 

頂上から3分の1程度の姿がはっきりと、

そして不思議と凄く近くにあるようにも感じました。

 

 

こんなに遠くからでも

富士山って見えるんだ~~!!

 

と、今さらながらビックリしました。ポーン!!

 

なぜ”今さら”かというと、

 

今の場所に引っ越して

もう今月で6年目になるというのに、

 

車窓から富士山が見えるってことを、

その時まで全く知らなかったんです!(笑)

 

 

 

私はこの5年間、

毎日同じ路線、同じ車両に乗って出勤しています。

 

お休みの日だって、出かける時は必ず電車移動!

 

こんなに毎日電車に乗っているのに、

なんで今の今まで大好きな富士山の存在に

 

全然気づかなかったの?!?!と、

とっても驚きました。・・と同時に、

 

如何に今まで

心に余裕が無い日々を送ってきたか

 

という事に、改めて気づかされた出来事でもあったのです。

 

 

もしもあの日、お天気が悪ければ、

もしもあの時、スカイツリーを見ようとしていなければ、

 

きっと富士山は見えていなかったででしょう・・・。

 

なのに一瞬でも見えたというのは、

本当に奇跡だと思います。

 

 

 

 

そしてそのあとも「奇跡」は続きました。

 

 

富士山を見た数分後、

乗っていた電車が突然停車しました。

 

どうやら私が乗り換える予定の駅で

1つ前を走っていた電車が故障してしまったらしく、

 

点検修理のため、

【全線運転見合わせ】のアナウンスが流れたのです。

 

運転士さんは突然のことに焦っている様子・・。

 

私は1両目に乗っていたので、

 

運転士さん同士の緊迫した無線の内容が

ずっと聞こえてきていました。

 

ここで私までもがパニックになっても仕方がないので、

 

持っていた本(エッセイ)を鞄から取り出して

読み始めました。

 

ちなみに今読んでいるのは、益田ミリさんの

「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」

というエッセイ本です。

 

 

思っていた時間よりも

意外に早く運転が再開しました。

 

とは言え、電車が停車してから

25分間も缶詰状態になっていたので、

 

ダイヤは大幅に乱れ、

「35分の遅れ」とのことでした。

 

運転を再開したものの全線で渋滞が起きているらしく、

ゆっくりと時々止まりながら進んでいる状態でした。

 

”どう考えても遅刻する”と思ったので、

早い段階で会社に遅刻の連絡を入れておきました。

 

 

遅刻の連絡も入れたし、

 

あとは事故や怪我なく

会社に向かうことを目標に、

 

落ち着いて行動しようって思いながら

会社に向かっていました。

 

 

実は私には

通勤途中でのちょっとした悩みがあります・・。

 

毎日ではないのですが、

 

だいたい職場から3つ手前の駅ぐらいから

だんだんとお腹がゆるくなって、

 

トイレうんちに行きたくてたまらなくなる事が

よくあるのです・・(笑)。

 

なのになぜかその日は

”それ”が全くありませんでした。

 

遅刻するより、

こんな状況下でトイレに行きたくなることの方が

 

私にとっては大パニックなので、

それが無いというのはとっても有難いことでした。

 

 

そして駅に到着!!

 

時計を見たら

まだギリギリ間に合う時間だったので、

 

1%の可能性にかけて

急いで職場に向かいました。

 

 

 

でも、更衣室はビルの4階にあります。

 

どんなに遅刻しそうでも、

制服着用してからタイムカードを切るのが会社のルール。

 

一心不乱に制服に着替えて

急いでタイムカードを切りました。

 

 

 

 

ヤッターーーーー!!!!

始業1分前!!!!!!!

ギリギリセ~~~~フ!!!

チョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキ

 

 

 

たしか今日は遅刻をするはずだったのだけれど、

なぜか、遅刻をしませんでした(笑)。

 

(※名誉のために言っておきますと、

  私の遅刻回数は年に1回あるかないかです)

 

 

初めて富士山富士山も見ることができたし、

途中トイレうんちにも行きたくならなかったし・・・、

 

奇跡の連続!!!

 

 

 

 

「電車が止まって遅刻しかける」というのは

一見、アンラッキーな出来事だったかもしれないけれど、

 

大好きな富士山が見られた上に、

本があったおかげで25分の缶詰時間があっという間!

 

遅刻も”粗相うんち”までもを免れて・・・、

結果的には「ラッキーな朝」を迎えることができました。チョキ

 

もしかしてこれは、

「富士山のパワー」だったのでしょうか・・・(笑)。

 

 

 

 

眠気やだるさ、時間や心の余裕が無かったせいで、

 

今までどれだけの綺麗な景色や空、自然を見る機会を

のがしていたことか・・・。

 

そのことを、

あの時の富士山が教えてくれたのかもしれません。

 

 

 

 

身近に奇跡は溢れています。

 

要はそれに、

気づくか気づかないか、

 

ただそれだけなのです。

 

 

 

読書も大事です、

 

ネットニュースをチェックするのも、

 

電車の席取りも大事です(笑)

 

・・・ですが!!

 

たまには

 

窓から見える景色をゆっくりと眺めてみませんか?

 

 

 

 

 

それでは今日も素敵な1日を・・・ウインク音譜音譜

 

 

 

 

 


 

↑ 2022年8月3日に新幹線の車窓から撮った富士山。

  静岡を通った時でさえ、見えない時は見えないのです。

 

 

 

 

2023年12月、

同時期に2つの出会いがありました。

 

1つは、

音楽朗読劇「スプーンの盾」

 

もう1つは、

著書「三流シェフ 三國清三」

 

 

朗読劇はふいに知人からチケットを頂いて

内容も演者もよく分からず観に行くことになり、、

 

本は、ずっと前に図書館で予約していたものが

今時分になって「貸出可」で回ってきたのでした。

 

2つの共通点といえば、

主人公が料理人ってこと。

 

 

朗読劇の主人公は、

フランス革命時代に活躍した料理人、

アントナン・カレーム。

 

ナポレオンの専属料理人として

様々な外交の場で料理を振る舞い、

 

フランス料理の基礎を築いた人物。

 

彼は元建築家だったらしいのだが、

カレームが考案した”料理”は数知れず、

 

彼が存在しなければ、

現在当たり前に食べられているフランス料理は、

 

今のものとは全く別物になっていたと思います。

 

 

 

そして三國清三(みくにきよみ)さんは、

現在70歳のジャパニーズ・フレンチの第一人者。

 

15歳で料理の世界に飛び込み、20歳の時に

スイス日本大使館の料理長に就任。

 

その後はフランスで”一流”と呼ばれる

三つ星シェフの元で修行を重ね、

帰国後、自身の店を開店。

 

99年には世界5大陸トップシェフの一人にも選出され、

以降は「名誉博士号」など数々の賞を受賞し、

ジャパニーズ・フレンチの第一人者となりました。

 

近年は自身のyoutubeチャンネルを持ち、

日々料理の素晴らしさを発信し続けている

一流シェフのお一人です。

 

 

私は元料理人でありながらお二人の事を、

全く知りませんでした(笑)汗汗

 

NZの調理師専門学校で1年間学んだ

基本のソースや調理法はこのカレームが1から作り出し、

 

ほとんどのレストランで今や当たり前につかっている

調理システムや運営の仕方についても、

 

このカレームが最初に考案したというのに、

卒業して13年も経って初めてこの事実を知ったのでした。

 

元料理人なのに、今の今までこのお二人の存在に

全く気づかなかったなんて、なんとお馬鹿さんな私・・。

 

そして、三國さんの本に書かれている

三國さんが見習い中に経験した【壮絶な体験】を

 

13年前の私に聞かせることができていれば、

 

”あんなつまらない事"

くよくよと悩まずに済んだかもしれません・・。

 

 

 

ではここで、

三國さんの生い立ちに触れてみたいと思います。

 

 

三國さんは北海道の貧しい漁師の家に生まれました。

 

15歳の時、運良く札幌グランドホテルの厨房で

働き始めることになったのですが、

 

中卒だったことがネックとなり、

なかなか社員として採用されることはなかったそうです。

 

しかし、持ち前の商人気質と頑丈な身体を駆使し、

 

誰からも頼まれていないのに、

仕事が終わってから寝るまでの間、

 

レストラン中の汚れたお鍋を

毎日3~4時間、夜の10時まで

 

一人で乙女のトキメキピカピカ乙女のトキメキに磨き上げていた、

というのです。

 

 

とは言え、好き好んで鍋磨きをやっていたのでは

なかったようで、

 

 

「誰もが嫌がる仕事だったから

  自分がやろうと思った。」

 

 

出世の為ではなく、

楽しいし暇つぶしになるからと、

 

ひたすら鍋磨きを、

半年間、毎日続けていたそうです。

 

 

 

そして半年経ったある日、

三國さんは会議室に呼ばれました。

 

((何かやらかしたかな??))と

ビクビクしながら部屋に入ったら、

 

「三國、お前明日から社員だ。」

 

 

((社員に昇格!?))

 

思ってもみないオファーでしたが、

もちろん快諾しました。

 

それからの三國さんは、

先輩から嫉妬されたり

 

パートのおばちゃんに可愛いがってもらいながら

厳しい修行を耐え抜き、

 

時には先輩とぶつかり合いながら

今の地位まで這い上がっていくんですね。

 

 

本で読む限り三國さんは

いい意味で”ひと垂らし”と言いますか、

 

何かと上司に可愛がられる才能が

あったように思われます。

 

もちろん努力の成果だとも言えるのですが、

 

それ以外にも、

”鬼”や”カリスマ”と呼ばれる相手の懐に

 

ひょいっと飛び込んでいける

度胸があったということも

 

出世できたひとつの要因ではないかと思います。

 

またその才能と料理のセンス、

 

そして漁師である父から教わった魚介類の知識を

存分に生かせる分野にいたからこそ、

 

海外で活躍できる一流シェフになれた

のではないかと思います。

 

 

大元をたどれば”その第一歩”は、

15歳の時の、

 

誰でもできる事だけど、

誰もやりたがらない事(鍋磨き)を

”とことん楽しんで”やる。

 

 

ここから”全て”が始まっているような気がします。ウインク!!

 

 

 

 

三國さんと同じように、

 

私もあのとき皿洗いを楽しんでやっていれば、

 

あんなに悩まなくて済んだのになぁ・・と思います(笑)。

 

 

 

 

 

それでは13年前のお話の続きから。

 

 

 

 

【 2011年9月 ~  】

 

 

 

 

 

やっとの思いで就職先がみつかり、

最初の3日間は支店に配属されました。

 

せっかく手にしたシェフ、

末は永住権への道でしたが、

 

”超”短時間労働で、

しかも3日間皿洗いしかさせてもらえず、

 

最後には、

 

「ごめん!みどりがシェフだったとは知らなかったわ(笑)」

とまで言われ・・、

 

自分の存在意義や承認欲求を認めてもらえなかった気がして、

ひどく落ち込みました。

 

今思えば、身の程知らずで勘違いもいいところなのですが、

 

”時間がない”という焦りと、

シェフとしての経験が浅いが為に、

 

その勘違いに全く気づくことができなかったのです。

 

 

 

「辞めるなら早い方がいい・・・」

と思っていた矢先に、急展開がありました。

 

 

「正式契約」

 

 

働き始めて2週間ほど経ったある日、

新しい月に入ったということで、

 

9月1日付けで本店の専属シェフとして

ついに正式に会社と契約を結ぶことになりました!!

 

 

 

 

そのお店は、オークランドの中心部にありました。

 

NZの首都ではないものの、

オークランドと言えば、日本でいうところの

”東京”に近い大都市です。

 

お店は観光客で賑わうヨット・ハーバー沿いにあり、

 

店内で一度に集客できる人数は最大200人、

外にもいくつかテーブルがあったので、

 

それを合わせると一度に「300人」は集客できるという、

わりと大きなアイリッシュ・パブ。

 

巨大スクリーンが常備してあり、

大勢でのスポーツ観戦も可能だったので、

 

スポーツ(特にラグビー)好きの人達に

とても人気があるお店でした。

 

私も少しはナショナルチームの主要メンバーの顔ぐらいは

把握していたので、

 

今回のワールドカップは楽しみにしていました。

 

 

 

契約時にオーナーから、

 

「日本人を雇ったのはみどりが初めてなんだ。」

と言ってくれた時には、

 

嬉しさと同時にプレッシャーも感じました。

 

 

 

 

契約できたこととは全く関係ないかもしれないけれど、

 

私の「みどり」という名前が、

この契約に一役かってくれたようにも思います。

 

というのも、NZやAUSでは

「MIDORI(ミドリ)」という名前のお酒が有名で、

 

どこの居酒屋でも必ず置いているお酒だからです。

 

 

それに私が空港の税関でパスポートを見せると、

 

何回かに1回は「名前格好いいね!」とか、

「ほんとに本名?!」とよく驚かれたものです。

 

AUSで働いたレストランにも今回のアイリッシュパブにも

もちろん「MIDORI」は置いてありました。

 

そのせいか、どこでも名前を覚えてもらえやすかったです。

 

ただ、海外での「MIDORI」の発音は、

「みどり」ではなく「みど~~り」と、

 

”どを伸ばす”のが英語の正しい発音らしいので、

 

自己紹介ではいつも、

「My name is MIDO~~~~RI.

 

と、DOを伸ばして言っておりました(笑)。

(自分の名前なのに言うのちょっと恥ずかしい)

 

 

 

 

えっと、話を元に戻しますと・・・、

 

正式契約して間もなくの9月9日、

【ラグビーワールドカップ2011】が開幕しました。

 

 

 

 

 

ラグビーはニュージーランドの国技なので、

 

開催前から「決勝に進出して当然」という空気が

街中で漂っていました。

 

しかも、優勝候補国での開催だから完全にホーム!!

国民が盛り上がらないわけがないのです。

 

私が「暇すぎて仕事がない・・・・汗汗」と

うじうじ悩んでいる間にも、

 

世界中からぞくぞくとラグビーファンが

NZに押し寄せてきていたのですからね(笑)。

 

私はラグビーに限らず、スポーツ全般に疎かったので、

これから街がどのくらい凄いことになるのか

 

その時の私は全く予想だにしていませんでした。

 

 

 

 

専門学校時代も含めこの数か月、

 

私がやってきたことは

全てこの時の為にあった、

 

それまでの辛い修行は

この為の単なる「準備期間」であって、

 

「皿洗いしかさせてもらえないわ、ぴえん。ぐすん汗

と思う暇があっだけマシ!!と・・・、

 

そして、お店が暇で暇でしょうがなかったのは、

単純に、「嵐の前の静けさだった」ということを、

 

あとになって

というほど思い知るのでした・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

あと2時間ちょっとで今年が終わってしまいます。

 

私はこの1年あっという間と言うよりは、

いつもより長く感じました。

 

今回は、印象的だったことや、嬉しかったこと、

初めて経験したこと等を含め、

 

今年1年何があったのか、

起きたことを1月から振り返ってみようと思います。

 

 


【1月】

NZに住む友人2人と8年振りに日本で再会!!

 

NZに住んでいた2010年頃に知り合った日本人の友人2人と

1月に再会。8年間全く連絡をとっていなかったわけじゃなかったけど、お互いに住む世界が違い過ぎたこともあって疎遠に・・。

たまたまフェイスブックで日本に帰国中だと知り、ダメ元で連絡をとってみたら、予定が合う日が1日だけあって3人で食事をすることに!!

お互いの近況から始まり、仕事のこと、現地でギャングの抗争に巻き込まれて大きな交通事故に遭った話とかを聞けたり(笑)、

全くブランクを感じさせないほど盛り上がりました。

 

 

【2月】

ついに、両国国技館で「相撲観戦」を初体験!!!

 

ごめんなさい、どうでもいいですよね??(笑)

年に1度のトーナメント戦らしく、座席の良し悪しもよく

分からないまま切符買ったら・・まさかの土俵際!!(笑)

今話題の力士さん達や、その後怪我で休場続きだった横綱を

間近で見れたという貴重な体験ができました!

 

 

 

【3月】

今世紀最後の「滝沢歌舞伎ファイナル」に当選!!!!

 

”10万倍?!”との噂もあったチケット当選率。

姉が「Snowman」の大ファンだということを初めて知り、

「発売日に電話をかける要員になってほしい」との連絡が・・。

「そんなことをしなくても私□□の会員だよ??」のひと声で

私自身が【ゼロ欲】で抽選に申し込んだら、なんと当選!!

しかも、「抽選結果発表の日が、なんと私の誕生日だった」

というミラクルまで!!初めて姉の役に立ちました(笑)

 

 

 

【4月】

3年振りに姉と再会!!そして異動通告。

 

滝沢歌舞伎を観にはるばる四国から飛行機で関東にやってきた

ラッキー(オールド)ガールの実姉と3年振りに再会。

待ち合わせ場所のカフェでななく、最寄り駅のトイレで10分前に再会を果たすという見事なフライング・ミート!(さすが姉妹!!)

マジで小学生振りにみっちり丸2日間遊びまくりました(笑)。

しかもご飯代は全て姉の驕り!!!!それくらい”プレミアチケット”だったらしいんですよ、「それぐらいしてもまだ安い」って。

 

逆にがっかりしたことと言えば、「6月に異動の知らせを受けた」こと。そろそろかな~とは思っていたけど、いざ来たらやっぱり動揺・・・。

 

 

 

【5月】

推しのお誕生日に大ファンだったあの歌舞伎俳優が!!

明治座通いと、スーパービーバーのライブが中止!!

 

私は大の歌舞伎好き、そして18日その歌舞伎界に激震が走りました!しかもその日よりによって私の推しの誕生日(悲)。

事件で座頭を失ってしまった残りの明治座公演を見守りたい一心で、元々持っていたチケットに加え、新たに当日券にも並び、

計5日も明治座に通いつめました。

 

スーパービーバーは「東京リベンジャーズ」にはまって好きになったバンド。やっと手に入れたライブチケットだったけど、当日会場に着いてから入り口で【ライブ中止】を知りました(泣)。

おばちゃんだからSNSで事前チェックとか無理なのよ(笑)。

これを機に縁を感じなくなってすっかり興味がなくなりました。

 

 

 

【6月】

部署の異動。

 

全く乗り気はしなかった。今でも正直、微妙(笑;)。

ただ救われたのは、前部署の後輩と一緒に異動だったから心細くはなかった点。それくらいかな。もちろん良かった事もあったけど。

 

 

【7月】

虫歯悪化!!(でも新たな出会いも・・・??)

 

差し歯になる予定の虫歯を、お金がなくてずっとほったらかしにしていたらさらに悪化してしまいました(泣)。

痛みで目が覚めたり、仕事中痛くて全く集中できなかったり、

大好きなコーヒーが痛くて飲めなくなったり・・、

大の大人になってこんなに虫歯に苦しめられるとは思ってもいませんでした。

痛みに耐えねがら職場のパソコンで検索かけたら間違って遠方の

歯科医院がヒット。でも気になったので行ってみたら近所のよりいい感じでそこに決定!しかも医院近くの神社で毎回参拝をするようになってから、格段にチケットの当選確率が上がった(ような気がします)。これも縁かな~と思っております。

 

 

【8月】

友人を初めて歌舞伎に誘う!!

 

観劇はだいたい”おひとり様”が多い。だってお芝居に集中したいから。あとは歌舞伎は好き嫌いがあるから、なかなかおいそれと誘いにくい(笑)。でもその思い込みや頑固な壁をとっぱらって、思い切って友人を誘ってみたら・・・。

「落ちるの1秒、はまるの一生」で、その友人もどっぷりはまり、今ではその友人と一緒に行くことが多くなりました!

たまたま「苗字」も「学年」も同じという稀有な友人、しかも今じゃあ同じ歌舞伎ファン(笑)。ご縁ってほんと不思議。

 

 

【9月】

叔父が老人ホームへ!どうなる祖父母の家?!

 

まだまだ若いと思っていた叔父がついに老人ホームに入所しました。祖父母が残した家で独り暮らしをしていた叔父が出ることになり、もう誰も住まない家は解体して更地にすることになったのです。亡くなった母の実家でもあるし、私にも大切な思い出がいっぱいあったから、「解体する」と聞いた時はとても悲しかったです。

 

 

【10月】

イエイ!新しい歯だぜ!!

 

7月から歯科医院に通い始め、ついに奥歯を1本セラミックにしました!(笑)高いのでしぶっていたけどやはり歯は大事なので、お金をかけることにしました。

とはいえ一括は無理だったのでローンを組みましたよ。(ぴえーん!)私は小学4年から中3まで歯列矯正をしていたのですが、

貧乏ながら、母はそのローンを一生懸命支払ってくれていました。

「女の子は特に歯は大事にしなさいよ。」母の意思を受け継いで、自分が払える範囲内で最高にいい素材の歯を入れました(笑)。

 

 

【11月】

あの大女優に会った翌日から・・・。

 

映画の初日舞台挨拶のチケットが当選し、ある大女優さん(仮にAさん)を間近で見ることができました。

5列目だったのでスクリーンは見えづらかったけど、日本でこの人を知らない人はいるのだろうか?というほど超有名な女優さんを間近で見れて、めちゃくちゃラッキーでした。(いわゆる私の”レジェンド”的存在) 

目が合ったら、母のような眼差しで「ニコッ」と微笑んでくれて、短いながらも至福の時間を過ごしました。年齢は私とそんなに変わらないのですが、Aさんをテレビでみかけると、不思議なのですがなんとなく亡くなった母と重なって見えることが多々あります。(顔は全然似ていないのに・・・)

 

試写会の翌日、「強烈なパワスポに行ったら体調崩した」みたいな現象になって、その後数週間、体調を崩してしまいました(苦笑)

 

 

【12月】

私の”ベスト・レジェンド”に会う!!!(パート2)

 

私は若かりし頃、いくつかバンドの追っかけをしておりました。気合入れてコスプレとかもしてたくらい「ビジュアル系」と言われるバンドをいろいろと崇拝しておりました。

その中でも私の青春の、私にとって人生の全てと言っても過言ではなかったのが、LUNA SEAです。そのLUNA SEAの「年末恒例ファンミーティング」に今年も参加してきました!

 

しかも、今までなら遠い席(最後列とか)がほとんどだったのに、なぜか今年はまさかの【最前列】だったんですっっ!!!!

(やはりあの神社のおかげかしら??)

とにかく最前列でみたメンバー5人の圧が凄すぎて、目もガッツリ合いまくるし、真冬なのに私のワキ汗が凄かったです(笑)。

35年ほどファンをやっていますが、人生で一番か!?ってぐらい間近で5人を感じることができて本当に幸せでした。

 

ファンだったピーク時はメンバーを追っかけ過ぎてメンバーを遠くに感じていたけど、年齢とともにファン度合いが落ち着いてくると、こうやって向こうから近づいてくるもんなんですね。

(この意味うまく伝わるかな?)

ちなみに・・、3日後くらいに体調を少し崩しました(笑)。

でも今はめちゃめちゃ元気です!!!

 

 

今年は人気アーティストの悲報が相次ぎました。

 

先日亡くなったBUCK-TICKの櫻井さんは、私が初めて好きになったバンドのボーカルでした。BUCK-TICKの次にLUNA SEAを好きになりました。

櫻井さんが最初の入り口だったので、櫻井さんが存在しなければ、きっとLUNA SEAにも興味をもたなかったかもしれないし、今の私も存在しなかったと思います。

 

今年亡くなった坂本龍一さんは、LUNA SEAのSUGIZOが敬愛してやまないアーティストの一人です。

SUGIZOは坂本さんの影響を受けて音楽を始めたといっても過言ではないほど、坂本さんなくしては自分は存在しない。できない。死を受け入れられない。と語っておられました。

 

・・・ということは、今のLUNA SEAがあるのも坂本龍一さんがいてくれたから!!LUNA SEAのボーカルが同じ”りゅういち”という名前なのも、単なる偶然ではない気がします。

 

XJAPANのメンバーとしても活動しているSUGIZOですが、

ベースののヒースさんも急遽してしまいましたよね。

メンバーが亡くなるのは、本当に悲しい事だと思います。

 

 

まだまだ50代、されど50代。

LUNA SEAメンバーも全員50代ですよ。

こんな格好いい50代いますか??

 

いつかLUNA SEAが5人じゃなくなったとしても、

これからも35年、40年と・・・、

ずっと応援し続けたいと思っています。

 

 

 

 

 

えっと・・・以上が今年の主な出来事でした。

 

 

こんなどうでもいい発表会、

最後までご参加くださって本当にありがとうございました。

 

ずっとフォロワーになってくださっている

コアな読者様、

 

本当に本当に・・・、

感謝しております。

 

いつも読んでくださって

本当にありがとうございます。

 

来年もよろしければ、

引き続き、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

ありがとうございました!!

そしてよいお年を・・・・・!!!ウインク音譜音譜

 

 

 

 

2023年12月31日、

 

みどり。

 

 

 

p.s.

これから「お雑煮」作りま~~す(笑)

 

 

 

 

 

 

ではさっそく前回の続きから・・・。

 

 

 

【 2011年 8月~  】

 

 

8月8日に2つのレストランの面接を受け、

 

2日後の10日にアイリッシュパブ、

5日後に洋食レストランのトライアルを

受けることになりました。

 

・・・だが土曜日、

約束の時間にレストランへ行ってみると、

 

あろうことか

日にちを聞き間違えていたことが発覚!!

(土曜日ではなく”木曜日”だった!!ポーンあせる

 

 

 

オーナーさんが気を遣って、

「違う日にしようか??」と言ってくれたのに、

 

ショック過ぎてパニックになり、

 

「い、いえ大丈夫ですあせるあせる

と、逃げるようにお店を出てきてしまいました。

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

「17日からうちで働いてほしい。」

 

翌週、アイリッシュパブのヘッドシェフか連絡が入り、

もちろん私は、OK!!ウインク」と返事をしました。

 

 

 

初日の17日、翌18日は16時からのディナー、

3日目の19日は12時からのランチに入りました。

 

 

合計8時間

 

これ、”1日で”じゃないよ??

 

3日間働いた合計が、

8時間。

 

 

意気揚々と始めてみたら、

有り得ないほど短かった汗汗汗汗

 

わたしゃアルバイトか?!学生か?!!!!

 

3か月振りに仕事が見つかって、

バリバリ働けると思ってOKしたのに

 

なんなんだこの待遇は?!?!

 

 

 

 

 

考えたところで無駄だって分かってても、

 

やっぱり不安なことばかり考え始めるよね。

 

 

↓    ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

 

 

((ずっとこのシフトだったらどうしよう・・・汗汗))

 

((これってもしかして

   アルバイトの募集だったのかな・・・・・汗汗))

 

((選択を間違えたのかな・・・・・・・・・・汗汗))

 

((永住権どころか、

      就労ビザさえ危ういかも・・・・・汗汗))

 

((貯金も底をつきかけているし、どうしよう・・汗汗))

 

((「辞める。」って言うなら

       早いほうがいいよね・・・・・・・汗汗))

 

 

 

やっと就職できたというのに、

 

あっという間に

 

仕事に、人生に、

 

絶望しました・・・・・。チーン汗汗

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

8月21日(日曜日)、快晴。

 

19、20、21日の3日間は仕事がオフだったので、

気分転換もかねて、

 

家から徒歩で20分ほどの大型スーパーまで

買い出しに行くことにしました。

 

 

採用になったはいいが、

 

◆全然シフトを入れてもらえない、

◆入れてもらっても1日たったの3時間!!

 

それで気分がずっと鬱々としていたので、

 

気分転換がしたくて、あと、

買い出しも兼ねてお散歩に出かけました。

 

 

全然働いていないのにお腹は空く。

 

レストランだと「賄い」があるから

何とか飢えはしのげるけど、

 

仕事がない日は

自分で「食べ物」を手に入れなきゃいけない。

 

 

とはいえ、労働時間が激減したせいで

かなり節約しなければいけない!!

 

なのに私は今、

スーパーに「買い出し」行っている。

 

 

 

それがとにかくストレスで・・・・・・・。

 

 

 

(せっかくのお散歩日和なのに

   全然気分が乗らないなあ・・・。)

  

と思いながら道路を歩いていました。

 

 

 

 

 

スーパーに行く途中、いくつか横断歩道がありました。

 

 

 

信号が赤になったので立ち止まり、

 

青に変わるのを待っていた時のことです。

 

 

 

 

(もう仕事、辞めようかな・・・・。チーン

 

 

 

 

目の焦点もあってないくらい

ぼーーーーーーーーーーっとしていたら、

 

ふいに誰かが話しかけてきました。

 

 

 

「  まだ蕾(つぼみ)なだけだよ・・・。  」

 

 

 

 

(( え? 今のは・・・何・・・?? ))

 

 

 

 

 

声のした方に視線を向けてみたら、

 

 

ソレと目が合った。

 

 

 

 

 

 

ツバキ・・・??

 

 

 

下ばかり見て歩いていたので

全然気づかなかったけれど、

 

マンションのフェンス沿いに、

椿がたくさん咲いていたのです。

 

 

 

 

「まだつぼみなだけだよ・・・・」と、

 

言葉がはっきりと耳に聞こえてきたというよりは、

 

”テレパシー”のように

 

言葉がスッと脳に直接入ってきたような感じでした。

 

 

 

 

私にはこんなメッセージに聞こえました。

 

 

((もう少しの辛抱だよ、

  だから絶対に諦めないで!!))

 

 

落ち込んでいた私を見かねて、

ツバキが励ましてくれたんだと思いました。

 

 

実際のところ、

本当にテレパシーだったかは分かりません。

 

でも私は嬉しくて、気づいたら、

泣きながら横断歩道を渡っていました。

 

 

 

 わかったよ、笑い泣き

 

 私は絶対に諦めない・・・・!!!!

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

翌日は、

別の支店のランチタイムのお手伝いに行きました。

 

 

本店からは徒歩2~3分の近さで

そこもアイリッシュパブでした。

 

お店のヘッドシェフは

20代前半で私よりもだいぶ年下の女性。

 

小柄なポリネシアンで、

いつも笑顔で優しい雰囲気の人でした。

 

物腰も柔らかで、

私よりも全然落ち着いていて、

 

独身なのに「ママさん??」

という感じがしました。

 

お店の雰囲気も、本店よりもカジュアルで

アットホームな雰囲気でした。

(羨ましい・・・・!!)

 

 

 

その日従業員は、

 

ママさん(ヘッドシェフ)と

私以外にもう1人がいました。

 

オーダーが入るとママさんは、

 

まるで家の台所で料理をしているかのように

楽しそうに調理をしていました。

 

本店のピリピリした雰囲気とは

まるで違っていたのでビックリしました。

 

 

 

月曜の真っ昼間だからなのか、

 

お客があまり来ず、

何もやることがなくてずっと暇で、

 

結局その日は、

12時から18時30分まで働いたけど、

 

その日私がやった事といえば、

【ただただお皿を洗うだけ】の退屈な時間でした。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

その翌日も支店のお手伝い。

 

といっても、

 

その日もお皿を洗ったり、

野菜をカットするだけで、

 

火を使う調理は一度もさせてもらえませんでした。

 

 

オーダーが来ず、暇で暇でしょうがなかったので、

昨日と同じ12時から始めたけれど、

 

やっぱりこの日も早々に

16時で帰らされてしまいました。

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

3日目も支店。

 

この日はなんと、

たったの3時間で帰らされてしまいました。ポーンあせる

 

 

お皿を洗るだけで終わり。

 

シェフらしい仕事は

まったくさせてもらえない。

 

私って何の役にも立たない人材なのだろうか・・・。

 

せっかく専門学校までで出たのに、

一体ここで何をやってるんだろう・・・。

 

 

 

お皿を洗いながら、

毎日そんなことばかり考えていました。

 

 

 

 

なぜ皿洗いしかさせてもらえないのか、

その理由が3日目でやっとわかりました。

 

3日目の最終日、

 

ママさんに言われた一言で

私は愕然としたんです。

 

 

「え??みどりってシェフだったの?!?!

 

ただのキッチンハンドかと思ってた!!

 

知らなかったよ~!!ごめんね~~~!!」

 

 

 

どうやら本店からの【伝達ミス】で、

支店のみんなから私は、

 

シェフの免許を持っていない

ただのアルバイトの人だと思われていたっぽかった。

 

 

 

(どうりで・・・。)

 

 

 

こうして、

皿洗いだけの3日間が無事に終わりました。

 

次回からはまた、

本拠地(=本店)への出勤です!!

 

 

支店での総労働時間は、

3日間で計14時間。

 

5月、高級フレンチで働いていた時の、

1日の労働時間とほぼ変わりませんでした。

 

 

 

 

3日間(22~24日)の支店勤務のあと、

 

25日から29日までは

シフトさえも入れてもらえなかったので、

 

結果的に【5日間の連休】だったことになります。

 

 

 

 

 

せっかくあの日、

ツバキに励ましてもらったけれど、

 

本当にこのままでいいのだろうか・・・・・・・。

本当に「花開く時」はやってくるのだろうか・・・・・。

 

 

 

 

やっぱあれは、気のせいだったのかな。

 

 

 

 

励まされて一度は元気になったのものの、

 

支店での出来事がきっかけでまた落ち込み・・・、

 

 

 

 

あらら??

 

 

また気分が、、、

 

 

振り出し(憂鬱)に戻ってしまったのでした・・・。

 

 

 

 

 

つづく。