ー第143歩ー’11NZ編「高卒フリーターで不安障害(SAD)だった私がNZの永住権を取るまで」 | みどりさんの☆ちょいスピ生活~幸運は人を介して届くもの~

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2023年12月、

同時期に2つの出会いがありました。

 

1つは、

音楽朗読劇「スプーンの盾」

 

もう1つは、

著書「三流シェフ 三國清三」

 

 

朗読劇はふいに知人からチケットを頂いて

内容も演者もよく分からず観に行くことになり、、

 

本は、ずっと前に図書館で予約していたものが

今時分になって「貸出可」で回ってきたのでした。

 

2つの共通点といえば、

主人公が料理人ってこと。

 

 

朗読劇の主人公は、

フランス革命時代に活躍した料理人、

アントナン・カレーム。

 

ナポレオンの専属料理人として

様々な外交の場で料理を振る舞い、

 

フランス料理の基礎を築いた人物。

 

彼は元建築家だったらしいのだが、

カレームが考案した”料理”は数知れず、

 

彼が存在しなければ、

現在当たり前に食べられているフランス料理は、

 

今のものとは全く別物になっていたと思います。

 

 

 

そして三國清三(みくにきよみ)さんは、

現在70歳のジャパニーズ・フレンチの第一人者。

 

15歳で料理の世界に飛び込み、20歳の時に

スイス日本大使館の料理長に就任。

 

その後はフランスで”一流”と呼ばれる

三つ星シェフの元で修行を重ね、

帰国後、自身の店を開店。

 

99年には世界5大陸トップシェフの一人にも選出され、

以降は「名誉博士号」など数々の賞を受賞し、

ジャパニーズ・フレンチの第一人者となりました。

 

近年は自身のyoutubeチャンネルを持ち、

日々料理の素晴らしさを発信し続けている

一流シェフのお一人です。

 

 

私は元料理人でありながらお二人の事を、

全く知りませんでした(笑)汗汗

 

NZの調理師専門学校で1年間学んだ

基本のソースや調理法はこのカレームが1から作り出し、

 

ほとんどのレストランで今や当たり前につかっている

調理システムや運営の仕方についても、

 

このカレームが最初に考案したというのに、

卒業して13年も経って初めてこの事実を知ったのでした。

 

元料理人なのに、今の今までこのお二人の存在に

全く気づかなかったなんて、なんとお馬鹿さんな私・・。

 

そして、三國さんの本に書かれている

三國さんが見習い中に経験した【壮絶な体験】を

 

13年前の私に聞かせることができていれば、

 

”あんなつまらない事"

くよくよと悩まずに済んだかもしれません・・。

 

 

 

ではここで、

三國さんの生い立ちに触れてみたいと思います。

 

 

三國さんは北海道の貧しい漁師の家に生まれました。

 

15歳の時、運良く札幌グランドホテルの厨房で

働き始めることになったのですが、

 

中卒だったことがネックとなり、

なかなか社員として採用されることはなかったそうです。

 

しかし、持ち前の商人気質と頑丈な身体を駆使し、

 

誰からも頼まれていないのに、

仕事が終わってから寝るまでの間、

 

レストラン中の汚れたお鍋を

毎日3~4時間、夜の10時まで

 

一人で乙女のトキメキピカピカ乙女のトキメキに磨き上げていた、

というのです。

 

 

とは言え、好き好んで鍋磨きをやっていたのでは

なかったようで、

 

 

「誰もが嫌がる仕事だったから

  自分がやろうと思った。」

 

 

出世の為ではなく、

楽しいし暇つぶしになるからと、

 

ひたすら鍋磨きを、

半年間、毎日続けていたそうです。

 

 

 

そして半年経ったある日、

三國さんは会議室に呼ばれました。

 

((何かやらかしたかな??))と

ビクビクしながら部屋に入ったら、

 

「三國、お前明日から社員だ。」

 

 

((社員に昇格!?))

 

思ってもみないオファーでしたが、

もちろん快諾しました。

 

それからの三國さんは、

先輩から嫉妬されたり

 

パートのおばちゃんに可愛いがってもらいながら

厳しい修行を耐え抜き、

 

時には先輩とぶつかり合いながら

今の地位まで這い上がっていくんですね。

 

 

本で読む限り三國さんは

いい意味で”ひと垂らし”と言いますか、

 

何かと上司に可愛がられる才能が

あったように思われます。

 

もちろん努力の成果だとも言えるのですが、

 

それ以外にも、

”鬼”や”カリスマ”と呼ばれる相手の懐に

 

ひょいっと飛び込んでいける

度胸があったということも

 

出世できたひとつの要因ではないかと思います。

 

またその才能と料理のセンス、

 

そして漁師である父から教わった魚介類の知識を

存分に生かせる分野にいたからこそ、

 

海外で活躍できる一流シェフになれた

のではないかと思います。

 

 

大元をたどれば”その第一歩”は、

15歳の時の、

 

誰でもできる事だけど、

誰もやりたがらない事(鍋磨き)を

”とことん楽しんで”やる。

 

 

ここから”全て”が始まっているような気がします。ウインク!!

 

 

 

 

三國さんと同じように、

 

私もあのとき皿洗いを楽しんでやっていれば、

 

あんなに悩まなくて済んだのになぁ・・と思います(笑)。

 

 

 

 

 

それでは13年前のお話の続きから。

 

 

 

 

【 2011年9月 ~  】

 

 

 

 

 

やっとの思いで就職先がみつかり、

最初の3日間は支店に配属されました。

 

せっかく手にしたシェフ、

末は永住権への道でしたが、

 

”超”短時間労働で、

しかも3日間皿洗いしかさせてもらえず、

 

最後には、

 

「ごめん!みどりがシェフだったとは知らなかったわ(笑)」

とまで言われ・・、

 

自分の存在意義や承認欲求を認めてもらえなかった気がして、

ひどく落ち込みました。

 

今思えば、身の程知らずで勘違いもいいところなのですが、

 

”時間がない”という焦りと、

シェフとしての経験が浅いが為に、

 

その勘違いに全く気づくことができなかったのです。

 

 

 

「辞めるなら早い方がいい・・・」

と思っていた矢先に、急展開がありました。

 

 

「正式契約」

 

 

働き始めて2週間ほど経ったある日、

新しい月に入ったということで、

 

9月1日付けで本店の専属シェフとして

ついに正式に会社と契約を結ぶことになりました!!

 

 

 

 

そのお店は、オークランドの中心部にありました。

 

NZの首都ではないものの、

オークランドと言えば、日本でいうところの

”東京”に近い大都市です。

 

お店は観光客で賑わうヨット・ハーバー沿いにあり、

 

店内で一度に集客できる人数は最大200人、

外にもいくつかテーブルがあったので、

 

それを合わせると一度に「300人」は集客できるという、

わりと大きなアイリッシュ・パブ。

 

巨大スクリーンが常備してあり、

大勢でのスポーツ観戦も可能だったので、

 

スポーツ(特にラグビー)好きの人達に

とても人気があるお店でした。

 

私も少しはナショナルチームの主要メンバーの顔ぐらいは

把握していたので、

 

今回のワールドカップは楽しみにしていました。

 

 

 

契約時にオーナーから、

 

「日本人を雇ったのはみどりが初めてなんだ。」

と言ってくれた時には、

 

嬉しさと同時にプレッシャーも感じました。

 

 

 

 

契約できたこととは全く関係ないかもしれないけれど、

 

私の「みどり」という名前が、

この契約に一役かってくれたようにも思います。

 

というのも、NZやAUSでは

「MIDORI(ミドリ)」という名前のお酒が有名で、

 

どこの居酒屋でも必ず置いているお酒だからです。

 

 

それに私が空港の税関でパスポートを見せると、

 

何回かに1回は「名前格好いいね!」とか、

「ほんとに本名?!」とよく驚かれたものです。

 

AUSで働いたレストランにも今回のアイリッシュパブにも

もちろん「MIDORI」は置いてありました。

 

そのせいか、どこでも名前を覚えてもらえやすかったです。

 

ただ、海外での「MIDORI」の発音は、

「みどり」ではなく「みど~~り」と、

 

”どを伸ばす”のが英語の正しい発音らしいので、

 

自己紹介ではいつも、

「My name is MIDO~~~~RI.

 

と、DOを伸ばして言っておりました(笑)。

(自分の名前なのに言うのちょっと恥ずかしい)

 

 

 

 

えっと、話を元に戻しますと・・・、

 

正式契約して間もなくの9月9日、

【ラグビーワールドカップ2011】が開幕しました。

 

 

 

 

 

ラグビーはニュージーランドの国技なので、

 

開催前から「決勝に進出して当然」という空気が

街中で漂っていました。

 

しかも、優勝候補国での開催だから完全にホーム!!

国民が盛り上がらないわけがないのです。

 

私が「暇すぎて仕事がない・・・・汗汗」と

うじうじ悩んでいる間にも、

 

世界中からぞくぞくとラグビーファンが

NZに押し寄せてきていたのですからね(笑)。

 

私はラグビーに限らず、スポーツ全般に疎かったので、

これから街がどのくらい凄いことになるのか

 

その時の私は全く予想だにしていませんでした。

 

 

 

 

専門学校時代も含めこの数か月、

 

私がやってきたことは

全てこの時の為にあった、

 

それまでの辛い修行は

この為の単なる「準備期間」であって、

 

「皿洗いしかさせてもらえないわ、ぴえん。ぐすん汗

と思う暇があっだけマシ!!と・・・、

 

そして、お店が暇で暇でしょうがなかったのは、

単純に、「嵐の前の静けさだった」ということを、

 

あとになって

というほど思い知るのでした・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。