私たちはいつだって、起こることに試されています。
すなわち、「あなたはどう生きるか?」を問われているのです。
生き方にセオリーなどありません。「正しい生き方」など無いのです。
ということは、自らの情熱に従って、自らの選択で、自らの足で踏みだして進むしかないのです。
これは等しく、誰もが、そうなのです。
とはいえ、かつては「王道な生き方」のようなものがありました。
何かに乗っかって、乗っかったものに忠実であれば、生きていけた時代もありました。
けれども今は違います。
違うのです。
「あんなに尽くしたのに…!」は、今後通用しない、胸の潰れる叫びです。
これからの私たちは、試されます。
たとえ誰も味方がいなくなっても、自分の信じたその道を選べるかどうか。
確かなものなどなくても、振り切って進めるかどうか。
いえ、怖い気持ちを振り切ることができなくてもいい。
その繊細な、傷つきやすい丸ごとの自分のままで、それでも一歩を踏み出せるか。
最悪のシナリオを描いてもなお、その入り口に立てたときに、道は拓かれるのですから。