今年も下半期に入りました。更新が滞っておりますが、元気にしております。
研修の仕事としては、キャリア開発やメンタルヘルス、部下育成と私の3本柱であるテーマを各所で。
オンラインの個人セッションは出張先からでもやっております。
ライターとしては、大きなパンフレットの仕事を終えたので、ホッとひと息。合間に自身の学びや、山伏としての活動も。
相変わらず出張三昧で、なかなか自宅でゆっくり・・・というわけにはまいりません。
が、「忙殺」だけはされないように、気を付けています。(無意識だと、ついそちらに流れてしまいます)
心の中にいつも、静けさのスペースを保つ。
そのためにできることを、合間合間にちょこちょこと取り入れながら。
とまあ、こんな感じの私ですが、ちょうど今年も半分過ぎた、というところで、よくお目にかかるケースからお話したいと思います。
まあ、焦りなさんな、という話です。
ものには段階、とか、道筋、というものがあるのですが、「自分が今どこに立っているのか」に無自覚だと、どうしても華やかで目立つ場所が気になったり、今いる場所よりもはるか遠くばかりに目がいってしまいます。
観るところがそんな場所だったりすると、自分が立っているところとのギャップに(無自覚に)苦しむことになってしまいます。
自分は全然ダメだ、できない、無理だ
という感じで。
自分が今、何についてどのような段階にいて、どんな状況にあり、何を持ち、何を持っていないか。
それを冷静に見極めることができれば、フラットに、今立っている場所を自覚することができます。
その上で、見据えるべき地点を設定し、そこに向かって、よそ見をせずに、一歩ずつあゆみを進めればいいのですが。
つい、しちゃうんですよね。よそ見。
それって、自分の「今」を、ある意味「シビアに観ることができていない」とも言えるんです。
理想とか、「あるべき」と思う姿が大きすぎて(妄想レベル)、自分を見失う・・・・ それはある種の自虐行為といってもいいかもしれない。 そして、その裏には「優越感・劣等感」の鎖で縛られている自分が隠れています。