足下を観る。 | 渡辺清乃の「生きる」とは「表現すること」〜可能性のドアを開き続けよう~

渡辺清乃の「生きる」とは「表現すること」〜可能性のドアを開き続けよう~

キャリア理論・ポジティブ心理学・レジリエンス・マインドフルネスをベースに、「あたま・こころ・からだ」のすべてにアプローチ。人の可能性を最大限に開き、未来を創るアクションにつなげます。

今年も下半期に入りました。更新が滞っておりますが、元気にしております。

研修の仕事としては、キャリア開発やメンタルヘルス、部下育成と私の3本柱であるテーマを各所で。

オンラインの個人セッションは出張先からでもやっております。

ライターとしては、大きなパンフレットの仕事を終えたので、ホッとひと息。合間に自身の学びや、山伏としての活動も。

相変わらず出張三昧で、なかなか自宅でゆっくり・・・というわけにはまいりません。

 

が、「忙殺」だけはされないように、気を付けています。(無意識だと、ついそちらに流れてしまいます)

心の中にいつも、静けさのスペースを保つ。

そのためにできることを、合間合間にちょこちょこと取り入れながら。

 

とまあ、こんな感じの私ですが、ちょうど今年も半分過ぎた、というところで、よくお目にかかるケースからお話したいと思います。

 

まあ、焦りなさんな、という話です。

 

ものには段階、とか、道筋、というものがあるのですが、「自分が今どこに立っているのか」に無自覚だと、どうしても華やかで目立つ場所が気になったり、今いる場所よりもはるか遠くばかりに目がいってしまいます。

 

 

観るところがそんな場所だったりすると、自分が立っているところとのギャップに(無自覚に)苦しむことになってしまいます。

 

自分は全然ダメだ、できない、無理だ

 

という感じで。

自分が今、何についてどのような段階にいて、どんな状況にあり、何を持ち、何を持っていないか。

それを冷静に見極めることができれば、フラットに、今立っている場所を自覚することができます。

その上で、見据えるべき地点を設定し、そこに向かって、よそ見をせずに、一歩ずつあゆみを進めればいいのですが。

 

つい、しちゃうんですよね。よそ見。

 

それって、自分の「今」を、ある意味「シビアに観ることができていない」とも言えるんです。

 理想とか、「あるべき」と思う姿が大きすぎて(妄想レベル)、自分を見失う・・・・ それはある種の自虐行為といってもいいかもしれない。 そして、その裏には「優越感・劣等感」の鎖で縛られている自分が隠れています。

優れていない自分は、許せないわけです。
 
でもね。
まだ双葉の植物に、「なんで実がなっていないの!?ダメでしょう!!」と叱りとばしたりします?
やっていることは、これと同じようなこと・・・
 
 
双葉と、実のなる状態に、優劣はあるでしょうか。
ただ、段階が違うにすぎません。
 
とはいえ、双葉が成長していくには、それなりの条件が必要です。
たとえば、十分な水や光。周囲の助け。
それを積み重ねない限り、実のなる木には育たない。
 
すべてはシンプルに、ジャッジをせずに、「観る」ことから始まるのです。
観る目が曇っていたら、妄想で苦しみ、結局パフォーマンスに繋がらない。
幸せ感もない。
このループを繰り返すことになってしまいます。
 
下半期のスタート。
今一度、足下を観ることから始めてみませんか。
 
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