ある友人とは
苦行(痛み)って、麻薬的だよね
って話をしました。
痛みがあることで、
「あー、私今、成長してるんだあ!!」
「この痛みを越えれば、私また発達できる!!」
と思える。
それはだんだん一種の快楽となり、
苦しんでなんぼ
ってなっちゃったりする。
苦しみや苦行が目的化して………本末転倒??
加えて、たとえば尊敬を受けている人・活躍している人の過去の苦労話を聞くと、グッと親近感がわいたり、共感したり、ってことがありませんでしょうか。
あんなにすごい人も、そんなに大変な体験をしてるんだ!
って。
私もそれはもちろん感じるんですが、これが度を過ぎると
苦労しないとすごくなれない
っていう考えにつながってしまう。
すると、中には要らない苦労や苦行を
これをするのが必要なんだ……!!
と自分に「思い込ませるようになる」ケースも出てきます。
苦行信仰。
要らない苦行は、要らないよね……………
でも、ただ中にいると見えなくなだたりするんだなぁ。
途中で投げ出すのがイヤ、みたいになったりもするし。
損した感じね。
(ちなみに財務関係の専門用語では「サンクコスト」という)
苦しまなくても学べる、っていう別の道筋が見えないと、この苦行コースは続くのです。
あなたはどちらの道を選択しますか?
この話題はまだつづく・・・・