この国の「農」を憂いて友人が歩み始めました。


わたしとしては応援したいと思っています。



歌手の加藤登紀子さんのご主人さま


自然農法家の 故、藤本敏夫さんも農に歩を進めました。


やはり土はご先祖さま、風になって土になって


今も私たちを見守っていらっしゃるのでしょうか?


一番大事なものは足元のしっかりとした大地では


ないかということでその後の「大地を守る会」へと


藤本氏の信念が伝え繋がって行ったのでは


ないのでしょうか?



そして、この国の「農」を憂いて友人が始めました。


友人の田んぼのある場所は奇しくも藤本氏と同じ千葉県、


千葉は無農薬農法や自然農法など多くの方が


取り組んでいる場所です。



本格的な稲作、理論と田んぼでの実習、憧れの農的暮らし


田舎暮らしを始めるための基礎作りのお手伝い


田んぼ&畑の貸借、住まい等、何でも親身に


相談に乗ります、とのこと。



日本人の食卓に欠かせないお米


「自分で食べるお米は自分で作る」


大事なご家族のため 一粒一粒に愛情をこめたお米を作る


無農薬、無化学肥料は当たり前(田のクラッカー? 歳が・・・、)


それでいて自然の力強い風味まで醸し出す農法。


舌に残る旨み、安全が目で感覚で実感できる


後世まで伝えつなげる持続可能な栽培法がここにあります。



ご興味のある方は下記ご参照くださいね~。

千葉県香取市 香取タヌキ村自然耕塾
http://www.tanbohakase.com/


この国の未来への一歩はここから・・・・。





こんな素敵な動画があったので・・・。

途中の愛すべきリリーズファンの方々の掛け声は

テロップの「なおちゃ~ん」「まみちゃ~ん」ではなくて

「奈緒美ちゃ~ん」「真由美ちゃ~ん」ですからね。

謹んで訂正をお願い申し上げます。


城みちるさん、当時はいけすかない奴だと思っていたけど

今見ると「かっこいい~!」ファンになっちゃいそう~!

伊藤咲子さんとのほのぼのとしたエピソードも(ほのぼのか?)。


レッツゴーヤングコンサート2012
愛と風のように~ケンとメリーのテーマ~   



朝霞の爽快感を思い起こさせる曲と歌い方は

心の深いところに今も根付いております。

愛のスカイライン、この歌がヒットしたことで

日産スカイライン2000GTは

「ケンメリ」の愛称でみんなに愛されました。

テレビCMでよく流れていましたね。希少なGTRもありました。

当時、うちの近くにケンメリGT-Rがあり憧れたものです。

ケンメリの前のハコスカGT-Rも強烈なインパクトが

ありました。

特にオーバーフェンダーが印象的でした。

・・ネットで調べないで記憶のみで書いているので

違っている部分もあるかもしれませんが

 ご容赦くださいね。

GT-RのS20 日産レーシングマシンR382の

デチューンエンジンだって言っても

もう誰も分からないですよね。 

フェアレディZ432と同じエンジンでした。

Z432はこれからレースを始める人にしか

売らないなんて言われていました。

パトカーのZ432もありました。

ツートンの432は格好良かったです。

4バルブ 3キャブレター 2ツインカムシャフトで432

いかにプリンス自動車の技術が高かったか

推し量れることと思います。いや、技術の日産か?

因みにわたしは可変ウィングの怪鳥日産R381が好きでした。

確かハンドルを切ると2分割されたイン側のウィングが起って

荷重を懸ける感じだったかな?ブレーキング時も?

市販車のGT-R

もちろん現在のGT-R R32,33,34そしてR35とは

時代の流れもありスペック等は較べるべくもありませんが、

ただひとつ高揚感、わくわくさせてくれる度合いが

若者たちを夢中にさせてくれたことは確かなんです。

ローレルも渋かったです。

黄色いチェリーX1-Rなんてのも・・FF?

わたしはハコスカGTに乗りました。

その後、TOYOTAセリカ2000STに乗り、

木っ端微塵にしてしまいました。

PHOTOありますが・・・・・。


首都高内回り5分切れなかったな。

無茶な走りをすることも青春だと

 熱く信じていた季節でした。

いまは周りの皆様が避けてくれてたのね・・

・・・と自覚するようにまでなりましたとさ。

今は極めて安全運転ですよ。


そういえば友人は焼玉機関のようなCVCCエンジン、

初代シビックで数メートル下の畑に落下して大破。

その後ギャランFTOに乗って

伊藤咲子のテープをかけながら

タイヤを鳴らしながら走っていたM・M君元気かな?

君のおかげで伊藤咲子さんが好きになりました。

いつもいつもいつも流れていましたね。

マインドコントロールされてしまったかも?

でもいまではとても感謝しています。

M・M君、君のことが好きだよ~。←酔っ払いかい?

戯言を長々と書いてしまいましたが、読んで頂き本当にありがとうございました。

今日は綿のような雪の舞う寒い一日でした。


寒いのは苦手です。心が寒いのはもっと苦手です。


懐もあったかいのがいいな~!




前回か前々回のリリーズのキャプテンズ・レディオかな?


リリーズと一緒にスキーを・・・という話題が出ていました。


お二人とも北海道夕張出身ということで、


ウィンタースポーツはお得意でいらっしゃるのでしょうか?


・・・・・誤解も多いらしいですけれどね。


「北海道出身だからって・・・・」なんてね。


 スキーじゃないけれどこんなのがありました。


リリーズのスケート教室???

転げているところは愛嬌でしょうか

向ヶ丘遊園で一緒に滑りたかった

よみうりランドでも おK!
tangekaoruのブログ


おまけその1 マザーグース

・・・・・・・。
tangekaoruのブログ


その2
tangekaoruのブログ

懐かしいフラフープ とっても流行ったけれど

やりすぎると腸捻転になるといわれて廃れてしまいました

・・・うそらしいけどね

リリーズのキャプテンズ・レディオ@La Donna

毎週日曜日21時~22時
http://www.simulradio.jp/
FMぱるるん等


聴いてみてくださいね~。



こちらをBGMにすると趣があるかも?
Miles Davis Quartet - My Funny Valentine



わたしが子供の頃は未だ今ほどチョコレートのやり取りは盛んではなく

もちろん義理チョコなんて名前も存在しませんでした。

それよりも「女の子から男の子に愛を告げてもいい日」という

意識のほうが強かったように記憶しております。

現在じゃ女の子から・・・なんてのは普通ですよね。


小学生の頃、同級生のU里美さんという子から

生まれて初めてチョコレートを貰いました。

当時、勉強が嫌いでチビでデブでハゲ(?)の

わたしにチョコなんてなぜ?

と思ったもので、それで憶えております。

クラスにはもっと勉強ができて背の高い

格好いい男子はたくさんいたはずなのに~。

なぜわたしに?

それでも ともすれば空に舞い上がりそうな

気持ちを宥めつつ

「ありがとう!」と受け取ると

彼女にっこりと「誤解しないでね!」と冷たいお言葉。

未だにその言葉の真意は計りかねておりますが

お互いに子供だったのできっと

そのままの意味だったのでしょうね。

あっ!余ったのね?

それとも本命の男子にどうしても渡せなかったのかな?

そうだとするとお互いに

甘くほろ苦い思い出ということになるのかな?

それとも・・・・・・・・・・・・・・・。


昨年、同窓会の写真にその人が写っていました。

良いおばちゃんしてたな~。笑顔が素敵でした。

眼鏡越しに映る幼い頃の面影はそのままに

感情を出すのは上手くなったように見受けられました。

わたし?同窓会、クラス会の類には

一切顔を出さないようにしています。



初恋の人には絶対に逢いたくないです。

その後、その人と縁の糸を紡ぎ合うことは出来なかったし
(結構、頑張ったんだけどな~、
  その頃はノッポでスリムでハゲ(?))

自分以外の人との関わりは聞きたくはないです。


そして思い出は美しいまま、

そのままで消えて行きたいですから。

自分勝手かな?

あれ?いつの間に初恋の話に?(知らね~よ!)

いまは縮んだ くまモン そして進んだハゲ。


Sylvie Vartan - Moi Je Pense Encore A Toi



元歌
Breakin' Up Is Hard To Do - Neil Sedaka


わたしがニールセダカの歌を初めて聴いたのは「スーパーバード」でした。

それまでニールセダカのカバー曲は数知れず聴いていたはずです。

でも好きだった「スーパーバード」は、きっと誰も知らないと思います。


Sylvie Vartan-Tous mes Copains
(おセンチな17才)


この当時の日本の歌手の皆さん。

結構、彼女の影響を受けていませんでしたか?

お名前は割愛させていただきます。

喉元、この辺まで出かかっていますが・・・。ゲップ。

髪型、化粧、歌い方等々・・今だから感じる?今だから?

もちろんシルヴィーの歌も当たり前のようにカバーされていましたね。

L'amour c'est comme une cigarette 恋はジタンのかおり


シャンソンぽくって大好き!でもオリジナルではないんですよね。

シルヴィーは多くの英語の歌ををカバーしていましたが、

時々オリジナルかと思わせる歌い方をしているので油断できないです。

彼女の成せる技か?

フランス語とメロディーの醸し出す妙か?

元歌はこちらシーナ・イーストンでした。
Morning Train (Nine to Five) / Sheena Easton


1965~1970年代に掛けて日本ではお洒落なフレンチポップスのムーブメントが

ヨーロッパファッションの到来とともに確かに存在しました。

(舶来?)

その頃に青春時代を過ごした方々は米国よりも

遥かに豊かで伝統に裏づけされた精神的な何かを肌で感じたはずです。


わたしの記憶の中にもこんなにもたくさんのフランスが

vividに息づいていたことは新しい発見でした。

シルヴィ・バルタンLa plus belle pour aller danser


Ce soir, je serai la plus belle
pour aller danser, danser
pour mieux evincer toutes celles
que tu as aimees, aimees
今夜 私は最高にきれいになる
舞踏会に行くから 舞踏会に行くから
どんなひとをも負かせてきれいになる
あなたが愛したすべてのひとよりも ひとよりも

Ce soir je serai la plus tendre
quand tu me diras, diras
tous les mots que je veux entendre
murmurer par toi, par toi
今夜 私は誰よりも愛らしくなる
あなたが私に言ってくれたら 言ってくれたら
私が聞きたいすべての言葉を
囁いてくれたら あなたから

Je fonde l'espoir que la robe que j'ai voulue
et que j'ai cousue
point par point
sera chiffonnee
et les cheveux que j'ai coiffes
decoiffes par tes mains
私の望みは 着るのを夢見たこのドレスが
自分ひとりで
一針一針 縫った
このドレスが しわくしゃになって
そして 私が結った髪が
あなたの愛撫で乱れること

Quand la nuit refermait ses ailes
j'ai souvent reve, reve
que dans la soie et la dentelle
un soir je serai la plus belle
夜が 翼をたたむたび
私はいつも夢を見る 夢を見る
シルクとレースに包まれて
ある夜 一番きれいな女になる夢を

La plus belle pour aller danser
舞踏会で一番きれいな私

La plus belle pour aller danser
舞踏会で一番きれいな私

La plus belle pour aller danser
舞踏会で一番きれいな私



Oh tu peux me donner le souffle qui manque a ma vie
dans un premier cri de bonheur
Oh si tu veux ce soir cueillir le printemps de mes jours
et l'amour en mon coeur
あなたは私の人生に 今までなかった息吹をくれる
生まれて初めて歓喜の声に包まれる
もし今夜あなたが 私の人生の春を摘み取りたいなら
そして私の心に宿る愛を摘み取りたいなら

Pour connaitre la joie nouvelle
du premier baiser,
je sais
qu'au seuil des amours eternelles
il faut que je sois la plus belle
新しい喜びを知るために
初めてのキスの喜びを知るために
わかっています
永遠の愛の始まりに
一番きれいな女にならなくていけないことを

La plus belle pour aller danser
舞踏会で一番きれいな私

                ×4

訳: HideS
http://www.eigo21.com/03/pops/plusbelle.htmより勝手に転載です。ごめんね~。


もう随分と心に染み込んだ歌なのに、イントロを聴くと未だに鳥肌が立ちます。

やはりEPのイントロですな。

シルヴィ・バルタンさん なぜか事故後の画像が思い起こされます。

・・・・当時はショックで心配しましたよ。

現在はとてもきれいなお顔で「ほっ」としております。

Mon soleil !


かつて同い年のニュージーランド出身の同僚がいました。

彼女「日本とフランスはよく似てる、独自の文化を持っているし、

 他の文化も尊重するところが・・」

わたし「そうかな?フランスって他の文化には

 排他的な感じがするけど・・・。」

それには答えず 彼女

「日本と似てるけど違うのは日本に暮らしていると

  冬のように心が縮こまってしまう。

 フランスでは春のように羽を広げ心を伸ばすことが出来る。」

といって目の前の熱燗を空ける彼女、(なぜ日本酒?)

そして一言

「熱燗は感覚の変化のスピードがまるでドラッグみたい!」

と手を広げ、わたしに問いかけるかのように沈黙を作り出す。

わたしはそのことには答えられず、無言で

カルティエのライターでジタンに火を点けました。
(日本製のジタンね・・・ハイライト!!?)

これも青春か?

♪いつか忘れていった~そんなジタンの空箱~
               BY庄野真代


アルチュール・ランボー

こちらもフランスの方でしたよね。

19歳のわたしが19歳のA・ランボー氏の詩に感銘を受けて

新しい夢へと進んでいく道標を刻まれたのは

この二十歳前のことでした。
(二十才前と聞くとヒロリンに繋がるところが変でしょう?)
http://www.youtube.com/watch?v=sli41qBL-Wo

見つけた 何を 永遠を 海とつながった太陽を

・・・この一節ですよ。

ちょっと気障な感覚もフランス文化と許してね。

読んでくれてありがとうね~。メルシ~ボク~!

この時代は米国の文化も多かったけれど

シルヴィ・バルタン やダニエル・ビダル

フランソワーズ・アルディ「さよならを教えて 」


ミッシェル・デルペッシュ「青春に乾杯」
レコード持ってました。(^-^)/
http://www.youtube.com/watch?v=3HrDIH9h__Y

フレンチではないけれど、当時夢中になって聴きました。
イタリアカンツォーネのジリオラ・チンクエッティー「雨」

・・・自身の青春に重ねて熱烈なファンも多いらしいです。

米国以外のPOP musicも元気な時代でした。


M・ポルナレフ(ジョジョじゃないよ!あれはJ・Pか?)
(ジョジョ2ではロギンス&メッシーナの名前も
 出てきて懐かしかったです
 若い方には分からないかな?)


今では「フレンチポップス」という言葉も遠い記憶の彼方へ。

お洒落でPOPな春風のささやきを感じさせてくれる

フレンチポップス・・・また時を巡って来てくれないかな。



フランソワーズ・アルディはユーミンの

♪わたし~のフランソワーズ・・・

・・・のフランソワーズらしいです。

有名な話ですよね。

荒井由実さん、きっと「私のフランソワーズ」は

同じシンガーソングライターとしての

彼女へのオマージュだったのではないでしょうか?


お人形さんみたいで 人気がありました。
天使のらくがき ダニエル・ビダル


こちらも有名
夢見るシャンソン人形 フランス・ギャル


懐かしく思ってくれる方はいらっしゃいますか?
そよ風にのって マージョリー・ノエル



シルヴィ・バルタン
レナウン ワンサカ娘


その昔、満州に有名な 今で言うアパレルメーカー、

ファッション業界を席巻した「大川洋行」

という会社がありました。

そこにその後、VAN創業者となる

IVYの神様 石津謙介さんもいらっしゃいました。

そしてVANの大川照雄専務は大川洋行社長の弟さんでした。

「大川洋行」はレナウンに売って引き上げてきたんだよね。

わたしは大川さんとはちょっと関係があるかな?

後年、菩薩さまと揶揄されることも多かった

どこか翳りのある「山口百恵さん」

デビュー当時は桜田淳子さんとよく似ていて

「瓜真っ二つ?」と言われていましたね。

その後は山口百恵さんはイメージ路線の変化を

余儀なくされていきました。

桜田淳子さんはデビュー当時はいつも帽子で

確か2ndシングル「天使の初恋」までは

被っていたように思います。

エンジェルハットは脱いだほうが絶対に

可愛いのにと思っていたものです。


山口百恵さん、

皆様いろいろとご意見はおありになるとは存じますが、

わたしは一番好きな歌は誰がなんと言おうと

デビュー曲の「としごろ」・・・ダントツです。

あのまま人気が出なかったら(失礼!)、

わたしの中では「伝説」だったかも?

百恵ちゃんの活躍と同じ時代を生きてきたものとしては

山口百恵はとても素敵で飛びぬけて素晴らしいのですが、

「としごろ」の百恵ちゃんはわたしの中では

いわゆる「山口百恵」ではないのです。




「春風のいたずら」「湖の決心」「白い約束」「愛に走って」には

山口百恵さんとしてちょっと心が揺らぐ瞬間がありました。 

齢を重ねるごとにひょっとしたら

心の中でのウェイトが大きくなって

いくのかもしれませんね。

よく日本人の心と言われる「演歌」のように・・・・。

そしてそのことがいわゆる「大人」、あんなに嫌っていた

大人に同化してしまうことなのかもね。
(・・・もうオヤジなのに?)




わたしは未だに「演歌」はちょっと・・・・です。

しかし都はるみさん、石川さゆりさんには

ちょっと危ない瞬間があります。

きっと生で観たら引き込まれてしまうのでしょうね。

歌えと言われれば場を盛り上げるためには

何でも歌っちゃうけどね。

だって昭和の空気を吸ってきた、和の人間だもの。


これも歌っちゃうぞ! 結構好きだったりして。

「老人と子供のポルカ」 左卜全とひまわりキティーズ


その後のLe coupleの女の子はどの子かな?


「桜田淳子さん」には惹かれました。

一緒になれるなら某団体にも入る覚悟はあったような

なかったような・・・・(いきなりの弱気!)

どっちやね~ん!!!!


しかあ~し! やはり洋楽も捨て切れません。

CCRジョンフォガティー,GFR,ニールセダカ、

エルトンジョン、イングランドダンとジョンフォードコーリー

DAWN,Mポルナレフ,チェイス、ジョン・レノン

PPM,ムーディーブルース、

シカゴ、Trexのマーク・ボラン

DOORSのジム・モリソン、等々(敬称略)

精神的にも当時のわたしに影響を与えてくれていた方々でした。

追々ブログに書いていけたら良いなと思っています。

最後まで読んで戴きありがとうございました。m(_ _ )m

ロイ・ジェームスさん

かつてメディアで
 (いや知り合いから聞いたのかも知れませんが)

トルコ国籍とのことで、ある方から

「トルコにはいらっしゃったことはあるのですか?」

と聞かれた時、瞬時にロイさんは

「あんでオレが んなとこ行かなきゃいけねんだい」
 
と言われたとか。

・・・・ぎゃ~! かっこいい!

ロイ・ジェームスさん、さすが東京下谷生まれ!!!

惚れ惚れするようなお言葉。

生まれも育ちも下谷区(現、台東区)。

その後、日本国籍も取得。きっぷのいい日本人でした~。

でも53歳の若さでは早すぎですよ。

随分と時が経ってしまいましたが、

「青春の歌の数々を演出して頂き
       本当にありがとうございました」



方言を操れる方々には尊敬の念を抱いてしまいますが、

東京下町言葉のキップの良さ、歯切れの良さには

特に感じ入るわたしです。


えっ?わたし?何処生まれかって???

あたしゃ ほれ、あれだ あっこだよ・・・・といって誤魔化す。