老人の顔が曇る。クリスは構わず続けた。

「この棚は動かされると困る。…そういうことだよね?」

「えっ」

思わずタクトは声を出し、その棚を見つめた。変哲のないオープンシェルフで、奥は周りと同じく壁である。だが、言われてみれば怪しい気もしてきた。離れた場所を探していたセルウィンやレイラも棚のそばに集まって来る。

 

「みんなで手分けしよう。まずは横の棚をずらさないとね」

クリスはそう言うと、向かって右側の棚に立てかけてあったモップや箒をわきにずらした。タクトがその棚の横に回り込む。セルウィンが棚板に手をかけながら一緒に持ち上げ、少しずつ動かしていく。

「ちょっと待ってください。中央の棚には大事な薬が置いてあるんですよ」

老人がうろたえて言う。

 

「ああ、確かに。薬は気をつけないとね。そのへんのカゴに入れて、いったん移そう。ガク君、お願いできる?」

「うん、分かった」

クリスの指示に従い、ガクがてきぱきと動く。繊細で脆そうな瓶の数々は、飼育用に使われていた竹籠にまとめられた。他のガラス器具や書籍も、広い作業台の上に移される。

 

「あれっ」

レイラと一緒に中央の棚を動かそうとしたクリスが、何かに気付いてかがみ込んだ。

「なるほどね」

そう言ってレイラに手の平を向け「大丈夫」のジェスチャーをしてから、おもむろに棚を自分の体側に引き寄せた。特に力を入れている素振りもないのに、すっと数センチ動く。

「何だ?」

レイラが不思議そうに首を傾げて棚の下を覗き込み、「あ」と小さく声をあげる。

 

「気付いた?キャスターがついているんだよ。棚の本体に埋め込むようにね。床に顔を近付けたらほんの少しだけ見える。上から見るだけだと、まず分からないな」

クリスは華麗に解説を続けながら、棚を少しずつ手前に引き寄せていった。女性の力でも簡単に動かせる棚。隣の棚を動かす必要は全くなかったわけである。

 

そうしてあっさりと、棚は壁から数メートル引き離された。改めて壁を見る。そこには、棚の外枠と全く同じ大きさの引き戸があった。引き戸には、周りの壁と同じ壁紙が貼られていて、模様もしっかり合わせてある。引き戸はわずかに壁より奥まっているわけだが、棚がある時は薄暗くなっていて分からなかった。

―あれこれ物を置いていたのは、こういうわけもあったのか―

タクトは得心する。

セルウィンが先陣を切り、引き戸の端に指をかけた。

 

 

 

 

〈おまけ〉

クリスが「棚の本体に埋め込むように」と表現したオープンシェルフのキャスターは、前板で隠されている構造です。

いわゆる隠しキャスターですね。

 

 

絵で解説してみたつもりなのですが伝わるでしょうか。頑張って描いてみたのですがうまく描けません。

要するに、キャスターの前と横には床すれすれまである板がはられているので、床すれすれまで顔を近付けないとキャスターの存在が確認できない構造なのです。

 

まあ、キャスターをあえて隠す必要、普通はそんなにない気もします。隙間あった方がホコリがたまったかどうか確認しやすいですからね。あえて言うなら、見えない方がすっきりするのかもしれません。デザイン的に。

 

 

 

「インセクト・パラダイス」は完全フィクションの小説です。

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